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  • 「ミッドウェイ海戦」-【Ⅵ】/寺山進@クラス1955

                  旧友南雲忠彦君を偲ぶ
    6 勝てた戦(いくさ)だったのか?
     贔屓のチ-ムが勝てる筈のゲ-ムに負けたりすると、鬱憤の矛先が指揮官に向けられるのは、スポーツの世界でも良く見られる。


     ミッドウェイ海戦の論評でも「本来負ける筈のない戦いだったのに・・」という感情が底に流れているものが多いような気がする。

     果たしてそうだろうか。連合艦隊の全勢力を投入・・中核の南雲機動部隊搭乗員は世界最高の技量を誇る・・暗号を破られていた位では決定的ではない・・
     淵田中佐以下の最前線の戦士達がそう思うのは止むを得ないが、70年経った今でもそう思っている輩がいるようである。

     畏敬する友人朝日出文雄君に若い頃教えられた事がある。物事を考えたり表現したりする時は「FFL(Fact, Figure, Logic)つまり事実と数値を基にして論理的に進めよ」と云うのである。
     この原則に従えば答えは自然に出て来る。

     実際に最前線で激突した機動部隊同士を比較すると、空母こそ4:3で日本側が多いが搭載機数はほぼ互角であり、ミッドウェイ基地の機数を含めると逆に米軍の方が多い。日本側は攻撃対象が基地と米艦隊両方に分散されるので、圧倒的に不利である。米軍の最高レベルの防御能力を考慮すれば、搭乗員の技量の差は打ち消される。
     米海軍の組織的防御力は素晴らしい。レーダー;艦上の司令塔から防空戦闘機群への無線電話による一元的指揮;強力な対空砲火;空母のダメージ・コントロール;すべて日本海軍と比べると、大リ-グと高校野球くらいの差がある。

     これらはすべて事実として当時でも分かっていた筈であるのに何故か見ようとしない。都合の悪い事は自分達だけには起きないと思うのが、我々日本人の習癖なのだろうか。本来なら内地駐在の軍令部なり連合艦隊司令部が情報収集と対策研究に当たり、前線を駆け巡ってきた南雲部隊に指示すべき事柄であった。

     まだ日本が「勝った!」と浮かれていたこの年、昭和17年の早春、米機動部隊は日本占領区域の先端部にヒットエンドラン作戦を仕掛けて来た。その集大成が4月8日の東京初空襲だが、いずれも警戒しながら一方的に奇襲されて反撃も出来ない。唯一2月のラバウルでは敵空母を捕捉して、陸攻17機を出撃させたが15機を撃墜され命中弾ゼロである。まるで大人と子供の喧嘩である。ただし帝国海軍の名誉のため付言すると、マレー沖や印度洋で英国海軍には圧勝しているのであって、この頃は米海軍が圧倒的に強かった訳である。  
     
     この海戦の後半でも早速こういう事例が出現している。米海軍急降下爆撃隊の奇襲攻撃の後、ただ一艦だけ生き残った空母飛龍は、直ちに待望の艦爆隊を発進させた。これは小林道夫大尉率いる18機の99式艦上攻撃機であった。小林隊は本海戦直前に行われた人事異動の影響も少なく、印度洋で英海軍の重巡コーンウォールに94パーセントという驚異的命中率を出した精鋭部隊である。しかし13機も失いながら漸く2発の命中弾を与えて空母ヨークタウンを小破せしめたに過ぎない。
     最後の攻撃になった友永大尉の10機の艦攻隊も、魚雷2発を同じヨークタウンに命中させたが、半数の5機を失った。両隊の帰還機でも被弾多数である。
     「山口司令官から無傷の空母を狙えと厳命されていたので、何度も確かめたのに・・」と奇跡的に生還した橋本大尉は、戦後になっても未だ信じられなかった。つまり米軍のダメージ・コントロールのレベルは全くの想定外だったのである。
     
     5月の珊瑚海海戦で米軍が空母レキシントンを失ったのは、漏れたガソリンの引火による大爆発が主因だった。これは短期的に見ると米軍の不運・日本軍の幸運なのだが、長期的には全く逆になった。
     日本側は米空母を安易に仕留められると思い上がり、米側は元々進んでいたダメージ・コントロールを更に徹底させた。6月のヨークタウンでは早速その効果が出た。
     ヨークタウンの艦長が早すぎた総員退去を命じなければ、或いは又、伊168潜水艦長・田辺彌八中佐の抜群の才能と超人的努力が無ければ、本艦はハワイに帰還出来ただろう。
      
     日本海軍の方はこの後2年も経ったマリアナ沖海戦でも、漏れたガソリンの大爆発を引き起こしている。初陣の新鋭空母「大鵬」と歴戦の空母「翔鶴」共に之で沈没した。大学生の大半は車の運転が出来た米国と、ガソリンなど海軍に応召されるまで触った事もない水兵が多かった日本の違いである。

     作戦計画自体が「敵空母は島の占領後に出て来る」という前提である。之が狂った以上は幸運に恵まれたとしも「相打ち」が精々であった。一寸「つき」がなかったので惨敗という憂き目に会った。
     本作戦を山本連合艦隊司令長官が強行した理由は全く不可解である。「時々頑迷な独善家になる人だ」というのが、唯一納得出来る意見である。「水に或る種の粉を入れて石油にする」という詐欺師を信用し、大々的に実験させて失敗するまで部下の意見を聞かなかった事がある。米国海軍なら即日馘首であろう。

     結局は「近代工業化社会に対するリテラシーの差」と「ミッドウェイ島占領計画それ自体の無謀さ」が敗因であって、その他の要素は之に比べると二次的三次的になってしまう。
     歴史の教訓などといった代物は、ありふれていて本来は面白味が無いのではないか。小説の材料にはなっても評論や教訓の対象にはならないと思うのである。 
        2013年5月15日

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