• 最近の記事

  • Multi-Language

  • 「ミッドウェイ海戦」―【Ⅴ】/寺山進@クラス1955

                  旧友南雲忠彦君を偲ぶ

    4. 戦史の魔力
     元々小生が太平洋海戦史、特にミッドウェイ海戦に関心を持ち始めたのは、旧友南雲忠彦君の父君が「南雲中将」だったからである。

     しかし資料や文献を調べて行く内に戦史の持つ不思議な魅力に嵌ってしまった。「二度と起こしてはならぬ悲惨な戦争で尊い命が失われたというのに、魅力とは何事であるか」と顰蹙を買うのを承知で敢えて言っている。結果が深刻かつ重大なだけに、その魅力というか悪魔の魔力は、野球やサッカーの無責任評論の比ではない。 
     
     戦後、何度か「日本人論」や「比較文化論」などが定期的にブームになった。「日本人は国民性や民族性を論ずるのが好きだが、学問的には殆ど意味のない議論が多い」という専門家もいる。しかし、一見尤もらしい議論を展開し易いテーマではある。
    又日本経済の発展に伴って、企業経営論などは今でも盛んである。この中では人事評価、信賞必罰、適材適所などの人事制度論やリーダーシップ・意思決定システムなどの組織論が必ず取り上げられる。
     学術的な論文から軽いエッセイに至る迄の硬軟取り混ぜての文書に於いて、どんな立場からでも百花繚乱の議論の種を戦史に見出すことが出来るのである。
     これに加えて、責任の取り方や勝敗の非情さなど話題の彩りには事欠かない。
     
    5. 南雲が受けた不運な悪評価
     「南雲中将」は実戦における不運に加えて、特に戦後は不運な悪評価をも受ける羽目になった。
     そのきっかけは、ミッドウェイ海戦に関する最初の文献で、淵田美津雄・奥宮正武共著の「ミッドウェイ海戦」である。戦後しばらくの間は、この本の記述が史実と思われていた。昭和40年代に起きた「戦史ブーム」の頃、日米両国から何本かの映画も上映されたが、殆どが之をベースにしている。
    山本連合艦隊司令長官や山口第二航空戦隊司令官は英雄だが、南雲第一航空艦隊司令長官はいかにも風采の上がらない、優柔不断な無能提督に描かれていた。

     淵田中佐もこの本を執筆した当時はまだ意気盛んであった。「例え暗号が解読されていたとしても、本来負ける筈のない“いくさ”に負けたのは、“運命の5分間”だけ攻撃隊の発進が遅れたという不運もあったが、結局は指揮官が無能だったのだ」と決めつけた。南雲長官は寧ろ海軍の人事制度の被害者だと同情はしていても、一方では「耄碌してしまった」と嘆いてもいる。
     この頃までは口が悪かった中佐だが、悪口を言う相手は気心の知れた相手だけといった所もあった。生死を共にした高橋赫一艦爆隊長にも「あいつはおつむが弱いんねん」と平気で奈良弁を使う。
     しかし、未完に終わった晩年執筆の回顧録では一寸様子が違う。
    ハワイ空襲の成功直後に「打ち漏らした敵の空母を探してもっと滞在せよ。どうしても帰るなら、来た道ではなく真っ直ぐ西に進路を取り、索敵しつつ戻れ」と南雲長官に意見具申して却下された件では「之は全く長官の決定が正しかったので、自分の考えは間違いだった」と反省している。

     「勝てた戦に残念!」の感情と共に、長官に不運だったのは「山本五十六」人気である。戦時中は一種国民的人気があったが、戦後も郷愁的旧海軍フアン、例えば中曽根康弘元総理や戦後を代表的する文学者の一人である阿川弘之氏などの間に残っていた。阿川氏の著書「山本五十六」は三島由紀夫氏が「あれは“阿川五十六”だ」と評したように、自分が願望する五十六像を描いた「小説」なのであるが、何しろ当代きっての「手練れの書き手」である。五十六ご本人の性格等プライベイトな部分を除いた昭和前期の史実等は、誠に正確に記述されていることも相まって、全部が正しい歴史書だと思わせてしまう。

     五十六を魅力的に描く為に被害を受けたのは、私的面ではご遺族特に夫人であり、公的には「南雲中将」である。
     現在のモラル基準で云えば「不倫」と糾弾されるような「女性関係」迄魅力的に描写されるのだが、何となく夫人が悪者にされてしまった。そこで夫人は「名誉棄損」の訴えを起こし、旧版を大幅に改定させて新版を発行させた。小生は当然の事ながら新・旧両版を購入したが、旧版のほうが圧倒的に面白い。

     以前にも言及したが、小生は幾ら旧友の父君だからといって「南雲中将」に責任が無いとか、ただ不運だっただけだとか、云うつもりは全く無い。海戦の結果は運と錯誤の連続によるものではあるが、それらを含めて結果が全てであり、ミッドウェイの敗戦の責任を先ず負わねばならないのは、現場の最高責任者である「南雲忠一第一航空艦隊司令長官」を措いて他にない。
    つまり「南雲中将」の方は如何なる批判をも甘受せざるを得ない立場なので、淵田総隊長の評価や映画やドラマの情けないイメージと相まって「無能提督」論が蔓延る事になってしまった。
     「真珠湾」の様な成功はすべて山本の功績「ミッドウェイ」の様な失敗はすべて南雲の責任という訳である。
    $00A0$00A0$00A0$00A0$00A02013年4月15日

    コメントはまだありません »
    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。