ギャラリー巡り/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2013年度, class1955, 消息)
油絵修行の一環として、日展、一水会展、あるいは特別企画展など超一流展示会に行くことは大切であるが、それとは別に小さなギャラリー巡りをするのも大変勉強になる。
私は京橋、銀座方面に出掛ける時は、出来るだけギャラリー巡りをすることにしている。小さなギャラリーでは、グループ展や個展を至る所で楽しむことが出来る。特に個展の時は、何時かは訪れたいと思っても、訪れることが難しい風景が展示されていることが多い。「素晴らしい風景ですね。どうやってここへ行かれましたか。」と尋ねると、年配のご夫妻が待ってましたとばかり、「どうぞお座り下さい。」と言って椅子を進められ、テーブルにはお茶やお菓子が出てきて、苦労して訪れた話を詳しくして下さることもある。時には席を立ちがたく、次のお客様が来るまで延々と続く始末になる。
私は定年になってから、岡村会(岡村研究室の集まり)に出席している。ある時、岡村先生が「先日、海軍時代の集まりがあって、Y先輩が1年に四百数十回ギャラリーを訪れたという話をされたんだ。1年は365日しかないのに、おかしな話だと思ったら、1日にいくつかハシゴをされることが判ったよ。」と言われた。「私も同じことをしています。」とお答えした。実はY先輩は、造船科卒であるが、神奈川銀杏会の囲碁会で2度だけ4目置いて打って頂いたことがある。出席者名簿を見て「あなたは電気科ですが、岡村総吾先生をご存知ですか。」と尋ねられたので、「卒業論文のご指導まで頂きました。」とお答えした。
「海軍で一緒だったので、お会いしたらよろしくお伝え下さい。」と言われた。Y先輩は小柄であるが、剣道の達人で、書道、水墨画に通じ、囲碁も戦わずして勝つ風格のある名手で、尊敬する先輩の一人である。
印象に残る個展も数々あるが、2004年4月に偶然、銀座の泰明画廊で中村清治展に立ち寄った時は、強烈なインパクトを受けた。私の目指す写実的な画風で、「モレー風景」「フィレンチェ風景」などの他、静物、人物画すべてに感銘を受けた。更に画集を見て、1995年に右手が不自由となられたが、1997年には左手で描いて個展を開催され、絶賛を博されたことを知り、驚いた。残念なことに、中村画伯は、一昨年に逝去され、今年3月には日本橋三越本店で展示会が開催され、順次、仙台、福岡、大阪、名古屋で開催予定である。(写真、中村清治展:新美術新聞掲載)
2002年9月に、Nさんが米寿の個展を開催された。定年退職されてから、趣味として絵画を始められたが、ヨーロッパ、カナダなど海外の風景画が多く、個展に訪れた方々は行動範囲の広さに圧倒されたことと思う。私は日本高速通信(株)で、ご長男と一緒に勤務したので、Nさんが油絵を描いておられることを知った。更に、奥様が表紙を作成され、ご子息達が編集された立派な「思い出の画集」を頂戴して感激した。
2010年8月に開催された岡山朝日校の同期生Sさんの遺作展は忘れることができない。Sさんは既に高校生の時に油絵を描き入選した才能の持ち主だった。残念なことに、私は彼が亡くなる数年前に、油絵を描いていることを同期会で知った。多くの同期生は、岡山一中から6年間一緒なので、一度は私と同じクラスになり、親交が深まっていた。彼は父親の転勤で、岡山朝日高校に転入してきたので、同じクラスになったことが無かった。早速彼のお宅を家内と訪問して、沢山の作品を見せてもらった。更にSさん夫妻も拙宅にお招きして、自作の油絵の批評をしてもらった。勿論、彼が所属するグループ展にも出かけたが、「シュノンソー城」は彼の名作だと思う。彼の息子さんがパリの大学に留学していたのでヨーロッパ各地を訪れ、多くの作品を描いていた。彼の遺作展には、多くの男女同期生やフアンが訪れ、早逝したSさんを悼んだ。「アルハンブラ城」の前で、娘さんの夫が「アルハンブラの思い出」をギターで弾き、作品の雰囲気が深まった。
2013年4月21日 記>級会消息