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  • 北ホテル/大橋康隆@クラス1955

     正月早々に、マルセル・カルネ監督の戦前の代表作「北ホテル」(1938)について投稿するなど、思いもよらなかった。


    「北ホテル」を思い出したのは、岡山朝日高校の同期生、木畑通晃君が贈ってくれたDVD「シルクロードの旅」、「パリの空の下」の中に「北ホテル」を発見したからである。(注)木畑君は、高校時代から映画への造詣が深く、電気科に進学してから同宿の大西利夫君の薫陶を受けて、映画に開眼した小生より遥かに先覚者である。

     「北ホテル」を私が大西君と共に観たのは、1953年11月8日(日)に映画館エビス本庄である。ストーリーは、北ホテルで若い失業者ピエール(ジャン・ピエール・オーモン)と恋人ルネ(アナベラ)が心中を図るところから始まり、隣室のイカサマ的な中年男エドモン(ルイ・ジューヴェ)と情婦レイモンド(アルレッティ)を巡る単純なものだ。しかし、出演者の個性と、台詞の素晴らしさで、当時の庶民の哀歓に魅了された。今でも、ルイ・ジューヴェが「理想的な女は、空気の様な女だ。」と言うと、洗濯していたアルレッティが「何?私が空気だって。」と息巻く場面は忘れられない。余りにも気に入っていたので、ある日部下の結婚式でこの台詞が出て、後で「花嫁さんに失礼ですよ。」と家内に注意された。
     会社に勤務中は、屡パリを訪れる機会があったが、北ホテルを訪れる余裕はなかった。

    2写真1 北ホテル(45%).jpg 2写真2 ルイ・ジューヴェ(45%).jpg 2写真3 アルレッティ(45%).jpg 2写真4 映画場面(45%).jpg
    写真1
    北ホテル
    写真2
    ルイ・ジューヴェ
    写真3
    アルレッティ
    写真4
    映画場面

     幸い定年後1年経った1998年7月に、家内がストラスブルグで開催されたInternational Carbon Conferenceに出席したので、同伴した帰途にパリに滞在して念願の北ホテルを7月26日に訪れた。(写真1)現在はホテルではなく、レストラン・カフェになっている。

     許可を得て内部の壁に懸けられた「北ホテル」に出演したルイ・ジューヴェ(写真2)やアルレッティ(写真3)、更に7月14日の革命記念日に、ルイ・ジューヴェが昔の仲間に北ホテルで撃たれる場面等の写真を撮影してきた。(写真4)
     帰路、サン・マルタン運河でも記念に写真を撮った。(写真5)この運河に懸かる橋を油絵に描いた画家は多い。
    2写真5 サン・マルタン運河.jpg
    写真5
    サンマルタン運河

     アルレッティは事故のため1966年に失明したが、その後も声優として活躍し、1992年に逝去した。葬儀には多くのパリ市民が参列して悲しんだとカフェの人から聞いた。マルセル・カルネ監督の戦後の代表作「天井桟敷の人々」(1945)を観た方は多いと思うが、「天井桟敷の人々」で、妖艶な女芸人ガランス役を演じたアルレッティの姿は、共演したパントマイムの芸人バチスト役ジャン・ルイ・バローと共に、永遠に映画ファンの心に残るであろう。アナベラは「巴里祭」で既に有名女優であった。名優ルイ・ジューヴェは、「旅路の果て」、「舞踏会の手帖」など不朽の名作での名演技で一世を風靡しており、今更書くのは恐れ多いが、「北ホテル」は嵌り役であったと思う。
    (注)昨年10月26日に岡山朝日高校昭和26年卒業関東地区同期会が開催された。最終回の幹事で28名出席の記念写真が上手く撮れず困っていたら、木畑君が岡山から出席していて立派な写真を提供してくれた。東京の写真展でも受賞したプロ級の腕である。メールの交換で、映画通であることも知った。更に高校2年の時、同じクラスであり、その時の記念写真も送ってもらい、感謝、感謝である。

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