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  • トルコの旅(その2)/大橋康隆@クラス1955

     6月21日朝、アンカラ空港から約1時間でアンタルヤ空港に到着。


    旧市街カレイチやハドリアヌス門を観光して、地中海を眺めながら昼食。椰子の木が現れると急に暑くなった。午後は、バスで3時間地中海を眺めながらケコワに到着。ここで貸切のグラスボートに乗って水中遺跡を見学。海底の壺などがガラス越しに見えた。ケコア島を一周したが、昔の遺跡が海面に反射して美しい。(写真1) 対岸のスィメナ(地震前には、ケコア島と陸続き)に寄港して、更に背後の山にある城跡に登った。(写真2)ここからの眺めも素晴らしい。下山してバスで約1時間、ようやくカッシュのリゾート・ホテルに到着したが、既に日は傾き夕焼けになっていた。(写真3

    3写真1 ケコア島の遺跡.jpg 3写真2 スィメナの城.jpg 3写真3 カッシュの夕焼.jpg
    写真1
    ケコア島の遺跡
    写真2
    スィメナの城
    写真3
    カッシュの夕焼$00A0

     この日、バスで移動中に、ガイドのシナンさんから面白い話を聞いた。昔は、男子が農業に適した平野を相続し、女子は荒れた山地や断崖の海岸を相続した。ところが、断崖を削って道路が出来ると、海岸と山地はリゾート地になり、女性は一躍大金持ちになった。男性は平野のビニール・ハウスで、トマトやトウガラシを栽培して、リゾート地に供給する羽目になったそうだ。
     6月22日朝、カッシュからバスで1時間少々でクサントスに到着。世界遺産クサントス遺跡やレトゥーン遺跡を見物。劇場の上部には、家型の石棺がある。(写真4)午後は、バスで約4時間後に、世界遺産バムッカレに到着。石灰棚 (写真5) を素足で散策し、ヒエラポリス遺跡を見学した。観光後、温泉ホテルに宿泊した。

    3写真4 家型石棺.jpg 3写真5 石灰棚.jpg 3写真6 エフェスの遺跡.jpg
    写真4
    家型石棺
    写真5
    石灰棚
    写真6
    エフェスの遺跡

     6月23日朝、バムッカレからバスで約3時間後に、エーゲ海で最大の遺跡が残るエフェスに到着。エフェス遺跡では、大劇場からケルスス図書館に至るマーブル通りが賑わっていた。(写真6)ケルスス図書館の正面には、知恵・運命・学問・美徳、を象徴する4体の女性像がある。写真を見下ろす大円形劇場は2万4千人が収容できたという。この大円形劇場から右方にアルカディアン通りが港まで続いている。昔、アントニウスとクレオパトラが手をつないで歩いたそうで、壮大なロマンの世界が広がっていた。観光後、バスで約5時間揺られ、エドレミットのホテルに宿泊した。
     6月24日朝、エドレミットからバスで約2時間後に、世界遺産トロイ遺跡に到着。トロイの木馬(1975年に観光用に建設)の窓から顔を出して写真を撮った。しかし、本当に木馬が存在したのか、何故作られたのかは諸説があり、真実は謎に包まれている。紀元前3000年頃から、繁栄と滅亡を繰り返し、都市遺跡は9層にわたっている。紀元前1200年頃トロイ戦争で町は滅亡しているが、10年間も情勢は一進一退であったそうだ。観光後、バスで約30分後にチャナッカレに到着。久し振りにホテルでゆっくり休めた。
     6月25日朝、チャナカレからバスでダーダネルス海峡を渡り、約4時間後にギリシャ国境に近いエディルネに到着。世界遺産セリミエ・モスクを見学した。市内は車が渋滞するので、郊外からレストランに向ったが、古くて細い石橋では大型バスは通行禁止であった。炎天下を2つの石橋を歩いて渡り、ようやくレストランに到着した。午後はバスで約2時間半後に、イスタンブールに到着した。途中、黄色いひまわりの畑が印象的であった。

     6月26日午前中は、スレイマニエ・モスクの見学と、イスタンブール市内観光をした。昼食は日本レストランで日本料理を味わった。午後は、ポスポラス海峡を貸切船で巡り、素晴らしい眺めを堪能した。(写真7)イスタンブールのアジア側へも上陸し、映画やドラマの舞台になるクズグンジュックの町を散策し、乙女の塔の近くまで行った。 3写真7 ポスポラス海峡の別荘.jpg
    写真7
    ポスポラス海峡の別荘
     6月27日午前中は、地下宮殿を見学し、グランドバザールを見物した。昼食後バスで空港に向い、17時にトルコ航空・直行便に搭乗した。帰路は約11時間半で、翌朝10時半に成田空港に到着した。(時差は6時間)最後に、12日間の専用バスを交代で運転して下さった2人の運転手さんに、心から感謝します。(写真8 3写真8 バスの運転手さん.jpg
    写真8
    バスの運転手さん

     今回の旅行で特に感じたことは、次の3点である。
    1:トルコは非常に親日的である。
     1890年にオスマン帝国の軍艦が、和歌山県串本町沖で遭難した時に、住民達が献身的に生存者の救護に努めた。政府も尽力して生存者を本国に送り届けたので、トルコは大いに感謝した。1985年イラン・イラク戦争の時は、トルコ航空機により、イラン在住の日本人は救出された。また、トルコと欧州を結ぶポスポラス海峡の橋は、日本が建設している。現在、トンネルを建設しているが、遺跡が発見されたため開通が2年延期されている。山中の遺跡では、大人も子供も商売のためではあるが、片言の日本語を話す。
    2:トルコは現在急成長している。
     都市は勿論、地方の小さな町でも、マンションや個人住宅がどんどん建設されている。その屋根には、太陽電池パネルと温水器が設置されている。山上には風力発電の風車が見えた。トルコは石油を輸入しており、水も不足している。町にはサムスンの大きな看板が至る所に見えるが、日本の看板はあまり見当たらなかった。
    3:トルコの歴史は古い。
     トルコは紀元前から栄枯盛衰を繰り返し、未だ謎に包まれている歴史も多い。多くの遺跡を残しているが、重要な部分は、イギリスの大英博物館やドイツの博物館に持ち去られ、運べない部分しか残ってないのは、トルコ人にとって悲しいことだ。7月1日にNHKスペッシャルで「謎の文明ギリシャ」を見た。大英博物館で石像などが洗浄されたり、異なる頭部を接着したりして、真実が歪曲されていることを知り、愕然とした。先進国は大いに反省し、国際的に歴史的遺産の保管、管理の在り方を再検討すべきだと思う。

    2 Comments »
    1. 二週間の大旅行お疲れ様でした。私は手元の地図を見ながら楽しく拝見しましたが、読んでいるだけでくたびれました。東西の文化の接点、ギリシャ文明とシュメール文明のはざま、イスラーム教とキリスト教のはざま。見ごたえのある旅だったと思います。それにしても注3のコメントは同感。ギリシャの経済破たんに融資をするくらいなら、大英、ルーブルなどにあるこれらの国の盗品を地元に返却し、その国全体を博物館にしたら観光収入も増え、観光客も環境と一体となった過去の遺産を楽しみながらこの国の経済を立て直すことが出来ると思うのですがネ。

      コメント by サイトウ — 2012年7月22日 @ 14:27

    2. 斉藤さんのコメントに全く同感です。詰め込みメニューの強行軍にお付き合い頂き有難うございました。記憶が薄れぬ間にまとめておこうと書いているうちに、私も疲れ果てました。

      コメント by 大橋康隆 — 2012年7月24日 @ 09:59

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