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  • イギリスの旅/大曲恒雄@クラス1955

     イギリスの正式な国名は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」で、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国(Country)から構成されている。


    歴史上の主な経緯は1066年にウィリアム征服王がイングランドを制圧、1536年にウェールズを併合、1707年(*)スコットランドと合併してグレートブリテン王国となった。更に、1801年にアイルランドと合併したが1922年に北アイルランドの6州を除く26州がアイルランド自由国として独立し現在の姿になっている。事情が複雑で外国人には理解しにくいことが多いが、特にスコットランド人の独立心、或いはイングランドに対する対抗意識は非常に高く、「我々はスコットランド人であってイギリス人ではない」という気風が漲っているようである。
    $00A0 (*) 日本では宝永4年にあたる。この年富士山が大噴火した。

     2004年6月、エディンバラからロンドンまでイギリスを北から南へ縦断する10日ほどの旅をしたが、この時にエディンバラを案内してくれた現地ガイド(日本人女性)が「スコットランド人の気持ちは外国人には理解しづらいはず」と言って以下のような“例え話的お伽噺”をしてくれた。この話がはっきり記憶に残っているので、要点を紹介しておきたい。
    『2xxx年、中国が遂に北東アジアの覇権を握り、日本、韓国を勢力下に治めて北東アジア共和国が誕生、日本国は消滅した。それから更に300年経った頃、旧日本国の人間は「我々は日本人である。北東アジア共和国人ではない」と言うでしょう。今のスコットランド人の気持ちはそれと同じです』
    この“例え話的お伽噺”が現実にならないことを期待したいものである。

     旅は“盛り沢山&欲張り”コースで、エディンバラ~湖水地方~ハワーズ~チェスター~ストラトフォード・アポン・エイボン~コッツウォルズ~バース~ストーンヘンジ~オックスフォード~ウィンザー~ロンドンと駆け巡ったが、そのうち下記の4カ所をショートムービーにまとめた。

    Part1: エディンバラ
    エディンバラはスコットランドの首都で人口約50万人。エディンバラ城は6世紀に最初の城砦が建てられ、その後歴代スコットランド王の居城となった。日本の城の持つ優美なイメージは全然なく、砦/要塞そのもので無骨さ丸出しと言った感じ。ただ、ビデオの冒頭タイトルバックに使った映像は城の北側プリンシス通り公園から見上げたものだが、ここから見ると堂々たる古城の風格が感じられる。

    Part2:チェスター

    チェスターの時計塔.jpg$00A0
    $00A0The Eastergate
    $00A0$00A0$00A0$00A0 Clock

    イギリス中西部の街。AD79年にローマの要塞都市として作られたのが始まりで、今も中世に作られた城壁に囲まれており中世の面影が色濃く残っている。写真のThe Eastgate Clockはビクトリア女王即位60周年(1897)を記念して作られたもの。Wikipedia(英語版)によると、ビッグベンの次に写真に撮られる機会の多い時計だそうだ。

    Part3:ストーンヘンジ
    起源は今から約5000年前、現在見られるのはBC2500~2000年の時代に神殿として使われていた構造物の廃墟だと言われている。サークルを形作る巨石は軽いもので8トン、重いもので50トンと推定されている。横石と縦石は「ほぞさし式」に組み合わされ、縦石が倒れないように工夫されているなど高度の技術が窺われるそうだ。周囲を遠巻きに一回りしていろいろな方向から撮影したが、見る方向によって形が変り面白い。BGMとしてはホルストの「惑星」を使いたい所であるが、著作権の問題で使えず残念。

    Part4:ウィンザー城
    歴代の王や女王が使い続けて来た城としてイギリス現役最古の歴史を誇っている。1080年にウイリアム征服王がこの地に築いた砦が起源で、その後何度も増改築が繰り返された。現在も女王一家は殆どの私的な週末をこの城で過ごしているそうで、その際はラウンド・タワー上の国旗が王室旗に変わる。5月18日にはエリザベス女王の即位60周年を祝う午餐会がこの城で開催され、天皇ご夫妻も出席されたそうだ。
    時間の制約もあってほんの一部しか見てないが、大英帝国の貫禄というか歴史の重みのようなものを感じさせられた。

    2 Comments »
    1. 私がエジンバラに行ったのは1998年の8月、午後3時ごろに着いて翌朝は10時ごろに出発し湖水地方に行きましたのでエジンバラはほとんど通過。城も外から眺めただけ。しかしその夜チャールズ皇太子が来られるというので街は遅くまで沢山の人でにぎわっていました。その様子を尋ねるのが大変。街の人の話す英語がちっともわからないのです。貴兄のたとえ話を聴いてナルホドナルホド。そう、あれは日本で韓国語を聞くようなもの?。通り過ぎたエジンバラの様子を貴兄のビデオで改めて知りました。

      コメント by サイトウ — 2012年5月21日 @ 23:05

    2. イギリスの正式な国名を、私は長い間知りませんでした。1968年にジュネーブで開催されたCCITT(国際電信電話諮問委員会)に初めて出席して、書類にUK(United Kingdom)と書いてあるので知りました。
      ビデオを拝見して懐かしい日々が蘇ってきました。ウィンザー、ストーンヘッジ、オックスフォード、ストラトフォード・アポン・エイボンは、1962年に留学の帰途、ロンドンから観光バスで訪れました。エジンバラとスコットランドは、1996年に勤務中最初で最後の夏期休暇をとり、訪れました。いずれ写真を整理して紹介しましょう。

      コメント by 大橋康隆 — 2012年5月22日 @ 20:33

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