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  • 久しぶりのチェルノブイリ訪問/武田充司@クラス1955

     いつもはロンドンの欧州銀行(EBRD:注1)の原子力部でやっている我々顧問団(IAG:注2)の会合が、今回は欧州銀行のキエフ事務所で開かれた。


    会議の前日(7月12日)、集まったIAGメンバー全員が銀行の手配した車でチェルノブイリの現場に向かった。新シェルター(NSC:注3)の建設工事が始まった現場を見るためである。朝8時にキエフのホテルを出発し、いつもの道を車が淡々と進んで行くが、車窓から見る沿道の人家が以前よりずっと綺麗になり、新築とおぼしき洒落た邸宅も多くなった。たしかに、ウクライナの人々の暮らし向きもよくなったのだと実感する。しかし、それは首都キエフとその郊外だけに限った現象なのか、あちこち見て歩いたわけでもないから何とも言えない。2時間ちっとで、現場についた。途中で検問所があったが、簡単に通してくれた。
     
     
     先ず、ホールボディー・カウンター(Whole Body Counter)にかかって、そのあと、パンツ一丁になって着替えをし、防塵マスクを装着して工事現場に入った。現場では、新シェルター(NSC)のアーチが乗る南北両サイドの巨大レールの基礎工事が始まっていた。長い鋼管の杭を打ち込む作業の最中である。基礎工事のために掘削すると、掘り出した汚染土の始末が必要になるし、掘っているうちに妙なものを掘り当てたりする恐れもあるから、掘削は最小限にするよう考えられている。その結果、鋼管の杭を多数打ち込んで地耐力を稼ぎ、その上に鉄筋コンクリート製の基礎を打つという設計が採用された。しかし、地表面の土砂を多少は削らなければならない。したがって、乾燥して土埃が立つ現場を歩き回るには防塵マスクも必要だ。当日は、晴天で日中は28℃にもなり、かなり暑く乾燥していたから、工事場では土埃を抑えるために所々で散水していた。しかし、このときは殆ど無風だったから、散水とは関係なく、土埃は全く気にならなかった。それに、事故から25年も経っているので、表面の放射性物質は地中に浸み込んで、ある程度の深さの所で最大濃度になっているはずで、表土はほとんど気にしなくてもよい。
     現場を歩きまわって長々と見たあと、午後1時過ぎにシャワーを浴びて上り、汚染検査ゲートを無事通過して最後にホールボディー・カウンターにかかった。みな青ランプでOKだ。それから、狭い部屋でサンドイッチとウクライナでよく出る甘みあるジュースで遅い昼食を急いでとり、直ぐ、プロジェク管理(PMU:注4)側からの詳細説明をきく会議を始めた。質疑応答を含め延々と5時過ぎまでやったが、もう帰る時間だからとせき立てられ、残った議論は明日のIAG会合でということになった。
     
     同じ車で帰路についたが、途中のゲートで車の汚染検査があった。そのあとは、やたらとブッ飛ばす運転で、道路状況は昔とあまり変わっていないから、ガタガタと激しく揺れる。座席の上の棚に載せたジャケットやカバンが車の激しい揺れで少しずつずれて棚から落ちそうになる。後部座席に座っていた我々数人が、何分で落ちるか賭けをして眺めていたが、どれも数分から10数分で落下する。キエフ郊外にさしかかると、夕方のラッシュ・アワーの渋滞で車は進まなくなった。それでも、午後7時半近くにはホテルに着いた。
     夜は9時頃まで明るいが、夕方からぐっと気温が下がって18℃程度になるから、キエフの夏の夜は実に気持ちがよい。その日の夕食は数人のIAGメンバーと「黄金の門」の近くにあるレストランに行き、ビールを飲みながら様々な話に夢中になった。事故から3年後の1989年に、石棺の中に入って「象の足」(注5)を見てきたという話を昨日の事のように詳細に話す人もいた。あの頃は、ソヴィエト連邦が崩壊する直前で政治も経済も混乱し、ウクライナの社会はひどい状況だったはずだ。チェルノブイリの後始末が事故から25年経った現在でも、まだこんな状態なのは、そうした混乱の時期があったことと無縁ではない。
     
     2004年のオレンジ革命でウクライナの西側志向が強まり、その後はずいぶん変わったが、協力関係にあったユーシェンコ大統領派とティモシェンコ首相派の抗争から、オレンジ革命は色褪せてしまった。それが親ロシア派の台頭を許し、いまや、再び、不気味な警察国家の影が忍び寄っているようにすら感じた。そして、隣国ロシアは、米国の衰退と経済危機に乗じてウクライナのロシア化(Russification)をはかろうとしている。それは、オレンジ革命を後押しした米国に対する強烈な報復と巻き返しでもある。
     キエフの空港は明るく綺麗になり、日本人は90日以内の滞在ならビザも不要となったから、表面的には西側とあまり違わない雰囲気なのだが、米ロの激しい綱引きの狭間にあって、昨年(2010年)の選挙で親ロ派のヤヌコーヴィッチが大統領になり、ウクライナは再び昔のソ連時代に逆戻りするのだろうかと危ぶむ声も聞かれた。IAGの会議のあと訪れたキエフ工科大学で知人に合ったのだが、彼の部屋には昨年の大統領選で敗れたティモシェンコ女史のポスターがいまだに貼ってあり、彼女を支持する熱烈な知識人も多いことを物語っていた。しかし、帰国して1ヶ月も経たない先週、前首相ティモシェンコ女史が逮捕されたというニュースが入ってきた。嫌疑は首相在任中の職権乱用とか収賄ということらしい。こうした政治的対立と激しいロシア化への変化が、最後の段階に突入したチェルノブイリ新シェルター建設の工程にまた影響を及ぼさないかと心配になった。
    (注1)EBRD:European Bank for Reconstruction and Development)の略
    (注2)IAG:International Advisory Groupの略
    (注3)NSC:New Safe Confinementの略
    (注4)PMU:Project Management Unitの略
    (注5)「象の足」とは、燃料溶融物質が炉心から階下の部屋に流れ出て固まったもので、その形が象の足に似ていることからそう呼ばれている。
                             (2011年8月10日 記:武田充司)

    5 Comments »
    1. チェルノブイリの生々しい様子、拝見して福島も25年以上かかるのかなと寒くなりました。現場を体験された印象は強烈と思います。なんとかこの会議の議論を福島の後始末に生かしていただきたいものです。とにかく今は早く収束して地域の皆さんが普通の生活に戻られることが第一。避難で残した牛や家畜が心配です。

      コメント by サイトウ — 2011年8月17日 @ 08:30

    2. チェルノブイリの事故から25年も経過したのに、事後処理のためいまだ出張されていることを多くの人に知ってもらいたいと思いました。現地の詳しい状況や、国際情勢の変化がよく分かりました。「象の足」にはギョッとしました。
      先日NHKのテレビで「アメリカから見た福島原発事故」という番組を観ました。今更ながら自分の無知に呆れました。米国でも色々議論があってベントが導入されたようですが、福島では汚染物質を除去するフィルターが装着してないことを知りました。他の原発ではどうなっているのでしょう。1号機はフルターンキーで止むを得なかったと思いますが、
      外国との折衝の甘さのせいか、米国国内では儲からなかったが、日本では儲かったという証言もありました。米国でも、スリーマイル事故の後は、新規原発の建設までは長期間が経過しています。また非常電源が地下に移設される経緯や、防水扉がなかったことなどを知りました。
      畑村博士の「未曽有と想定外、東日本大震災に学ぶ」を読みましたが、「事故調査・検証委員会」の報告が自由にオープンになることを期待しています。

      コメント by 大橋康隆 — 2011年8月17日 @ 21:00

    3. 大橋兄の紹介されたTV番組「アメリから見た福島原発事故」を是非見てみたいものと思い、NHKネットクラブの再放送ウオッチなどをチェックしていた所、この放送の「お詫びと訂正」が入った記事を発見した。
       http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0814.html
      主な内容は
      (1)格納容器の蓋のボルトが浮いている映像を1号機と紹介したが、
      4号機の間違いだった
      (2)非常用ディーゼル発電機が1階から地下に移されたと伝えたが、
      最初から地下に設置されていた
      (2)についての小生の認識は:
      アメリカでは原発に対する「一番恐い自然災害」は竜巻であり、それに備えるために非常用発電機は通常地下に設置される。その考え方がそのまま地震/津波多発国の日本の原発にも適用され、しかも何十年も見直されずに来てしまったということが今回の事故の本質ではないだろうか。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2011年8月19日 @ 14:57

    4. 米国における初期の軽水炉開発時の安全性議論で、竜巻がどのように取り上げられたかについて、僕は知らないので、大曲君の説には何ともコメントできませんが、現在、僕が関与しているチェルノブイリの新シェルターの設計では、竜巻による荷重が重要な問題として当初から取り上げられています。
       なお、蛇足ですが、ヨーロッパ大陸の原発は冷却水の取水のために大きな河川の近くに立地しているため、津波の心配のない代わりに、洪水による水没の心配があります。特に、最近のような異常気象では、豪雨による、これまで経験したことのないような、河川の大氾濫が予想されます。ヨーロッパの平坦な地形では、一旦、水が出るとなかなか引かないので、秀吉の水攻めにあった城のように、発電所が孤立してしまう恐れがあります。これが、丁度、日本の原発に対する津波被害に対応する問題であろうと思います。
       また、僕が経験したロシアの原発問題では、厳冬期の異常低音による、配管や取水施設の完全凍結という問題があります。凍結防止対策は十分やっているのですが、それでも、たとえば、長時間の電源喪失で、暖房が切れると危険です。一旦、全凍結になってしまうと、ちょっとやそっとでは、溶かせませんから、大変危険です。
       このように、原子炉の冷却確保の問題も、ところ変われば、問題となる事象も変わります。

      コメント by 武田充司 — 2011年8月21日 @ 09:07

    5. 前のコメントでも触れたように、大橋兄の紹介されたTV番組「アメリカから見た福島原発事故」を是非見てみたいものと思い、NHKネットクラブの「再放送ウオッチ!」に登録しておいた所、下記の連絡があったのでお伝えします。
      [ 番 組 名 ] ETV特集「アメリカから見た福島原発事故」
      [チャンネル] Eテレ/ Eテレ3
      [ 放送日時 ] 2011年9月4日(日)午前0:20~午前1:50 [3日(土)深夜](90分)
      [ 地 域 ] 東京
      なお、下記の注記あり。
      お知らせした番組の放送予定は、メール配信時点(2011/8/27 08:00)のものです。
      番組はニュース等により変更になることがあります。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2011年8月27日 @ 10:15

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