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  • 危機管理/斎藤嘉博@クラス1955

      東北の大震災からもう5か月になろうとしています。「頑張ろう日本」のポスターがあちこちに見られ、報道される若い方たちの献身的な奉仕などには感動させられます。

      復興はすこしづつ軌道に乗っているようですが、仮設住宅に過ごす被災者の心労、仕事を失った方々の不安が思いやられます。それにしても福島原発の事故はツナミの災害を数倍にも拡大してしまったものでした。もしあの後処理がうまくいっていたら「安全な日本の原発」を海外に売り込むよい契機になり、システムハンドリングの教師として高く評価されたかもしれません。現実は反面教師になってしまいました。この事故についての大方の論評は出尽くし、収束への見通しも、被災者への対応もすこしづつ進展していますが、避難地域の方々の不安、製造業、農業、漁業などへの損害ははかりしれないものがあります。そしてそのツケは国民全体にかかってくるもので、危機管理の難しさを今更のように感じます。
      「あのときに提言したようにしていたら」とほぞをかんでいる先見ある技術者も少なからずおられるでしょう。しかし大方は原子炉の安全性に全幅の、絶大な信頼を寄せていたように思います。私の友人で東海村で仕事をしていた故Y君もクラス会に来るたびに、原発の重要性と安全性を声を大にして叫んでいました。
      話のスケールは大分小さいのですが、過日ロッキー山の散歩にでかけたとき、ゲートシティ―のグランドレイクに着いた直後に家内が頭が痛いと言ってベッドに寝込んでしまいました。時計の高度計を見ると標高2745m。高山病なら1~2日ここで馴れればいいかなと思ったのですが、もし水素爆発でもしたらタイヘンと思い翌朝早くロッジをキャンセルしてデンバーに下りました。ここは標高1750m.。その日の夕方にはほぼ回復して、訪ねたクリニックでの診断も標高による障害として薬を処方してくれました。家内はそのまま元気になって後はロッキー山残雪のトレッキングを楽しむことが出来ましたが、あのときそのままロッジにいても同じように回復したのかもしれなかったのです。そうすれば余分な時間や経費の支出をすることはなかったかもしれなかった。しかしまた、体調が回復しないまま長引いて悪化し、最悪の場合後遺症が残ったかもしれません。危ないなと思ったら損を承知で安全サイドを採るのがフェイルセイフの考え方でしょう。
      福島の事故は原因の根源が安全への過信、そのための事故発生時への準備不十分という点にあったのでしょう。事故後の対応は天上(天井は水素爆発で抜けていたので)から目薬のようにヘリで水を撒くという、誰の目にもその狼狽がわかるものでしたし、世界一だったはずの日本のロボット技術も役に立たずにアメリカのものを借りる始末。しかし、もし東電が千年に一度のツナミを予想して一見過剰にみえる準備をしていたら?マスコミは“屠龍の技”、“枯れすすきにおびえる経営者”と揶揄したでしょうし、株主は「そのんな金があるならもっと配当に回せと」総会で怒ったことでしょう。こうした社会の雑音が多い中で仕事を進めなくてはならない現今の経営者の大きなご苦労は察しられますが、それでもそれを乗り越えるだけの資質が要求されますし、それなりの高給が払われているはずなのです。危機管理とは言うは易くしかし誠に難しい。この震災で新幹線や女川原発で大事に至らなかったのは大いに称賛されてよいと思います。普段からの心構えと準備の賜でしょう。
      私のNHKの上司で大学の先輩でもある松浦隼雄さんは常々「日本人は小技は上手だが大きなシステムの設計、運用に弱い。これからはその勉強をする必要がある」と教えてくれていました。この機会に原発だけでなく日本のシステム技術が一段と進歩すれば転禍為福となるでしょう。

    8 Comments »
    1. 「もし東電が千年に一度のツナミを予想して・・・」の指摘は面白いと思います。
      「東電さん」の経営トップなら先見性と信念を持ってマスコミや株主の批判など気にせずに堂々とやってて欲しかったと言いたい所ですが。
      所で、失敗学の権威である畑村洋太朗博士の近著「未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ」が講談社現代新書として出ているので、この機会に紹介しておきます。博士のモットーは「現地・現物・現人」の三現主義だそうで、本来は今回の大震災についてももう少し「三現」を続けてからまとめるつもりだった所、青天の霹靂で「福島原発事故調査・検証委員会」の委員長就任が決まったため駆け足でこの本をまとめることにしたとのこと。
      永年の研究に裏打ちされた経験から、「未曾有」や「想定外」などの単語が言い訳的に軽々しく使われている現状への厳しい批判が展開されています。
      関心のある方へ一読を勧めます。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2011年8月6日 @ 14:13

    2. 今日は8月6日で、NHKスペシャル「原爆投下・いかされなかった極秘情報」を観ていたのでコメントが遅くなりました。NHKのテレビでは久しぶりに骨があり、もっと早く観られたらと思いました。しかし、証言者が今になって告白される「生きていて申し訳ない」という気持ちも理解できますし、亡くなる直前に真実を語ったり、書き残したりした方もおられました。原爆投下に至る経過が判り貴重な番組であったと思います。
      危機管理や失敗については、私自身についても色々な体験があり、反省を込めて投稿をしたいと思います。斉藤さんのフェイルセイフの考え方には大いに賛成ですが、撤退するためには絶大な勇気と力をもって周囲を説得する必要があります。
      日本はシステム技術が弱いことを痛感しています。中核技術がいくら最先端であっても、システム全体では1か所弱いところがあれば失敗します。過去のロケットの失敗の歴史を振り返ると、脚光を浴びないつまらなそうな所で命取りになっています。専門性は必要ですが、同時に広い視野を持ち、様々な不愉快な意見や事実に耳を傾ける習慣が必要です。囲碁でいう「大局観」でしょうが、実行順序はあくまで「大場より急場」で、強い人は必ず自分の弱い所を守ってから攻めてきます。
      大曲さんが紹介された畑村博士の本は、ぜひ読んでみたいと思います。

      コメント by 大橋康隆 — 2011年8月7日 @ 00:14

    3. 東電がもし15mとか20mの津波を予想して、自主的に対策を講じていたら、多分、それ、法律上必要な措置なの、そんな事よりもっと他にやるべき事があるんじゃないの、と株主や世間から非難されていたかも、と僕も思ったことがあります。世の中は不合理なもので、こうなってみると皆、東電を非難しますが、当事者の身になってみると、なかなか辛いところだと思います。
       この不都合な現実を回避する方法は規制を強化して、「どんな津波にも耐えるようにせよ」と施設者に要求すればよいでしょう。従わなければ許可されないのですから、株主も世間も納得して、そうした過剰とも見える投資を認めるでしょう。その代わり、規制当局の厳し過ぎる対応が非難される可能性があります。
       今回のことは、規制法違反になっていない原子力施設が、非常に稀な厳しい自然現象によって重大な事態を惹き起した事例ではないでしょうか。先月、僕が仕事でウクライナのキエフに行ったとき、或る人物から、どうして東電が非難されているのか分からないという感想を聞かされ、「え!」と驚いたのですが、彼に「あの原発は合法的に認可されたのもではないのか、東電は法律に違反してあの原発を運転していたのか」と問い詰めらて、なるほどと思ったのです。もし、東電が法律を犯していないのなら、責めらるべきは法の不備であって、事故の責任は政府にあるはずではないか、と彼は言うのです。
       実のところ、僕はあまり法律に詳しくないので、どこかでロッジック的に飛躍があって、彼に誤魔化されたのかも知れませんが、こういう理詰の議論に辟易しました。皆さん、この議論、どう思いますか。

      コメント by 武田充司 — 2011年8月7日 @ 18:41

    4. 先に紹介した畑村博士の「未曾有と想定外」の中で、博士は福島原発事故に関して以下のような指摘をしています。
      『2007/7の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が震度6強の揺れを受け、原子炉の中枢部分は無事だったものの設備を動かす電力用変圧器で火災発生、また原子炉建屋内のクレーンが破損するなどの「周辺事故」が起きた。今回の福島原発も「周辺事故」であり、柏崎刈羽のケースと全く同じ。その点では東電は過去の事故に全く学んで来なかったと言える。
      実は柏崎刈羽原発事故の後、東電の幹部と会う機会があり「周辺事故」の危険性について話をしたが、その人は原発は「五重の防護」に守られているから絶対に安全だと言ういつもの建前論を述べただけだった』
      あの日の夕方、夕闇が迫るなか福島第一原発の管制室では発電所の停電というまさに「想定外のトラブル」に遭遇して担当者は途方に暮れ、近所の民家に懐中電灯を借りに行った者もいたらしい。
      防潮堤が低かったのは別としても、非常用ディーゼル発電機が海側のタービン建屋地下に設置されているため、もし浸水した場合真っ先に使えなくなる危険性が全く認識されていなかったのは(結果論ではあるが)お粗末としか言いようがない。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2011年8月8日 @ 11:23

    5. 大変有意義なコメントありがとうございました。法律については今国会でも審議がされていますが、わたしも勉強してみます。畑村博士のご本はまだ読んでいませんが面白そう。次(かな?)の号に関連の稿をもう一つ書きますのでご批判をください。

      コメント by サイトウ — 2011年8月8日 @ 21:04

    6. 大曲君の指摘されていることは、全くその通りだと思います。我々は、3.11以来、非常に多くの情報を得ていますが、それによって、東電のリスク管理に対する鈍感さや、外部の人の意見に謙虚に耳を傾けようとしない傲慢さなどが強く印象づけられて、不信感や反感が醸成されてきたと思います。それに対して、外国の人は、そうした情報に接していないか、情報があったとしても対岸の火事の話として、詳しく見ていない可能性があります。その結果、我々との間に大きな認識の差が生じたと考えると、僕の経験した何となく違和感のある議論も理解できそうです。
       余談ですが、2009年の5月の原子力安全月間に、僕は自分の古巣である原電の敦賀発電所で「チェルノブイリ事故後の世界」という題目で講演をしました。そのとき、僕は「・・・この頃から(チェルノブイリ事故後あたりから)、日本の原子力屋は少し自信過剰になって、外部のことに対する純真な好奇心を失いはじめていたのではないかと思います・・・」と昔を振り返って、発電所の所員に警告したことを憶えています。
       
       

      コメント by 武田充司 — 2011年8月9日 @ 09:06

    7. 順序が逆になりましたが、2011/8/7 18:41付け武田君の問いかけに対して思いついたことが幾つかあるので書いておきます。
      (1) ウクライナは社会主義の国(今もそうなのかよく知らないが)なので、電力会社は当然国有であると思っているのでは?
      (2) 法律は完璧なものではなく、事実を後追いする形で少しずつ整備されていく。最初は多分穴だらけで法律に従っているだけでは何も出来ないはず、企業の責任は当然非常に大きい。
      (3)法律が成熟(?)しても企業の責任は残る。法律が想定していない範囲のことについては企業が責任を負わねばならない。
      (4)国情の差、国民性の差から当然 “一般常識” も相当違うはず。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2011年8月9日 @ 10:39

    8. 今回の原発事故に関しては、絶対に起こしてはいけない事故を起こしてしまったなという思いと、今後の原発のあり方を大変憂慮しています。少々長くなりますが、意見を述べさせてもらいます。
       現役の時、背の高い高電圧用遮断機の開発設計に従事し、耐震性能の必要から、素人なりに地震の調査をし、1965年ごろ実際の耐震試験を、我孫子の電力中央研究所の10トンの加振台を借りて、エロセントロの波形(最大加速度330ガル)を中心にいろいろの試験データを取った経験があります。この加振台は、横だけで垂直加振はできませんでしたが、後年耐震試験機を調べてみたら、原発機器用の横、垂直が出来、更に重いものが加振できるものが出来ており、これで日本の原発の耐震試験は充分できているなと確信しました。確かに今回の地震でも、震度6に耐え、自然停止を行いました。地震には耐えましたが、津波にやられたという感じです。
       明治三陸地震の時、岩手県の大船渡で津波が38メートルまで遡上し、その場所に記念のポールが立っているのを知りました。なお今回も同じところまで遡上しました。
       確かに過去の津波について岩手、宮城に比べますと、福島は低いようで、地震津波の権威ある専門家が集まって論議し、津波の設計仕様を5.7mと決めたようですが、私は、通常の電気機器、例えば同じ出力の火力発電所ならそれでも良いを考えますが、原発は非常に特殊で、停止しても完全には止まらず、すなわち連鎖反応は止まりますが、同位元素を持った燃料の崩壊熱が続きますのでその熱エネルギー(計算すると大きな熱量であることがわかります。)を除去しないと圧力が上がって中の放射能を持った燃料を吹き飛ばし、チエルノブイリの二の舞となります。この様な機器には、もっと厳しい仕様を設定すべきだったと思います。地震学者と機器の専門家とのギャップがあったのではないかと思います。
       しかしこの仕様で走ったにしろ、私は2度ほど見直す大きなチャンスがあったと考えます。
       1、貞観地震(869年)による津波の跡が確認されたとき。-これにより東北電力の女川原発の津波設計仕様は、9.1mとした。
       2、2004年のスマトラ沖地震の後。環太平洋地震帯で、1960年チリ沖地震M9.5 1964年アラスカ沖地震M9.2 2004年スマトラ沖地震M9.3とくれば、次は日本でM9.0が来ることも考え対策をとる。先ずは東海、東南海、南海の3連動が考えられたであろうが、東北沖にもM9.0の地震の可能性を考えるべきであったと思います。
       この機会に仕様を見直し、防潮堤を高く補強するか、停止(現実には不可能)することを考えるべきであったのではないでしょうか。
       私がこのように言うと後ずけならば何とでも言えると言われそうですが、先日インターネットで見て驚きました。岩手県の普代村では、明治、昭和三陸津波の悲劇を2度と起こさないと村長さんが頑張り、村民の反対を押し切り、県、国と粘り強く交渉し僅か3000人の村で総計38億円をかけて15.5mの津波に耐える防潮堤、水門を完成させていたおかげで、今回津波の被害を完全に防ぐことができ、村民がこぞって村長さんの墓前にお礼の報告をしているとのことです。
       もしこの原発について、国、東電、学識経験者にこの村長さんの様な見識が示されれば、今回の事故が防ぐことが出来、地震にも耐え、津波にも耐えたということで、その評価は月とスッポンの差であったろうと思います。
       日本は、唯一の原爆被災国で、その酷さ、放射能の厳しさを世界に訴えている中で、自国の機器の放射能で被爆しているということで、今後の原発については、理論や理屈ではなく、感情的に難しくなることは容易に想像できます。
       今後の原発行政を大いに憂慮しています。

      コメント by 新田義雄 — 2011年8月9日 @ 18:27

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