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  • 近頃思うこと(その18)/沢辺栄一@クラス1955

      昨年、尖閣諸島近海の中国漁船による海上保安庁巡視船への故意の衝突事件の後、中国外務省幹部は丹羽日本中国大使に対し「尖閣諸島は中国固有の領土」と強調した。


    丹羽大使は「尖閣諸島は日本固有の領土」との立場を説明した。
     尖閣諸島にはれっきとした日本人の開拓者、所有者がいた。明治12年、古賀辰四郎が沖縄県石垣島で海産物店を開き、周辺海域の調査に乗り出した。尖閣諸島の調査を本格的に開始したのは明治17年であった。彼は日本が海に囲まれている国であることから水産業を繁栄させるため、汽船をチャーターして魚釣島に探検隊を派遣、翌年には自らも調査に加わった。明治18年に彼は明治政府に開拓許可の申請を行ったが、当時未だこの島の帰属が明確でないとしてこの申請は受理されなかった。明治政府は明治28年1月14日尖閣諸島を日本領と宣言した。この時に彼は「官有地拝借御願」を内務省に提出し、30年間の期間を限って、尖閣諸島の魚釣島と久場島の貸与を許可された。許可が下りた後、開発は飛躍的に進み、家屋の建築や開墾により生活の基盤を築いて人を移住させ、魚介類の加工工場やアホウドリ等の羽毛製造所等多岐にわたる施設を設け発展させた。明治42年尖閣諸島等の目覚しい開拓事業に対して古賀は藍綬褒章を受けている。大正8年中国福建省の漁船が尖閣列島沖合いで難破した。その時にたまたま古賀の長男善次の船がそれを見つけ、難破船と31名の乗組員を救助し、石垣島に連れて行き手厚い保護を行い、彼らを親切にもてなし、修理した船とともに乗組員を中国に帰した。翌年、中国政府から関係者7名に感謝状が送られた。この感謝状には「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記述している部分があり、当時中国が尖閣諸島を日本の領土と認めていることを示している。善次は昭和6年に尖閣諸島の払い下げを申請し、翌年許可を受けている。尖閣諸島のうち魚釣島を含む4島が古賀善次の所有となった。米国からの沖縄返還後、現在までに尖閣諸島が何故無人になったのかは知らないが、昭和40年代国際連合機関による海底調査でこの一帯に豊富な海底油田存在の可能性が報告されたため、中国や台湾の一部勢力が領有権を主張し始めたのであるが、古賀父子の開拓、中国政府からの感謝状の史実により尖閣諸島が日本領土であることを示している。
     
     中国外務省は「海上保安庁巡視船が故意に衝突し、不法に漁船と船長、乗組員を拘束した。さらに、海上保安官が船長らを殴った」と主張していた。巡視船が衝突の模様をビデオに撮影していたが、日本政府が公開しなかったので、真実が伝わらず、中国国内では尖閣諸島は中国の領土だと主張し、日本を非難するデモが拡大したが、心ある一海上保安官がビデオをWEBに公開した結果、世界中が中国漁船が意図的に衝突を行った真実を知り、日本の正当性が立証され、それ以後、中国からの日本への非難が消えた。この海上保安官は日本の国益のために行動したのに、辞職しなければならなくなったのは如何いうことであろうか。日本の法律はおかしいのではないだろうか。
     石垣市議会は昨年10月「尖閣諸島上陸視察決議」を行い、続いて12月に明治政府が明治28年日本の領土とすることを決定した1月14日を「尖閣諸島開拓の日」とする条例を可決した。石垣市議会が尖閣諸島の調査のための上陸許可申請が10月になされたが、政府は1月になって上陸不許可と回答をした。石垣市のある市議はこれまで10数回上陸したが、毎回10万円の罰金を支払っているという。日本の領土である所に日本人の上陸、調査を認めない政府は何処の国に対して遠慮しているのか、国際外交において主張をしなかったり、既成事実を造らないことは問題を後に残すことになる。
     自民党を初めとしてこれまでの戦後の政府が、日本国土と言うことに対して無策であり、日本領土と主張する具体的な行動を行ってこなかったため、竹島が韓国に押さえられてしまったり、中国が尖閣諸島を自国領とするための試みの行動に出たり、ソビエトが日本の北方領土である国後島、択捉島をソビエト領土とする行動を阻止することができないでいる。対馬の広い土地が韓国資本に買収されたり、日本森林やリゾートが外国資本に買収されたりしている。
     
     今から160年近く前にペリー率いる黒船が浦賀水道を通過し、日本中が大騒ぎになった。この黒船到来によってそれまでの太平の夢を破られ、日本人が先進欧米諸国に国を乗っ取られる可能性を知り、誰もが強い危機感を持ち、欧米の諸制度、技術を学び、明治時代にある程度の近代化の仲間入りを果たすことができた。
     昨年は尖閣諸島近海の中国漁船による海上保安庁巡視船への故意の衝突事件、北朝鮮による韓国、延坪(よんぴょん)島への無差別砲撃、ロシア大統領のわが国固有の領土である国後島への上陸、鳩山首相の普天間基地問題に対する不定見な発言による日米関係の亀裂発生等、こちらが平和的行動をとっていたら相手もこちらを平和的に扱ってくれるとこれまで信じていた平和な国民にこれまでにない大きな危機感を与えた。昨年を平成の黒船の年と思い、危機感が一過で終わらず、将来に備える行動が続けられてほしい。
     
     昨年12月18日に内閣府が発表した「外交に関する世論調査」の結果によると、「日中関係は良好でない」との回答が前年に比し33.4ポイント増加し、過去最悪の88.6%になった。2007年末に発生した毒餃子事件、2008年の北京オリンピックにおける開会式のCGによる偽装花火や口パクの国歌斉唱、昨年の尖閣諸島近海での衝突事件のビデオによる真実の公開等が中国に対する信頼感を著しく低下させたものと思われる。
     日本の憲法の前文に「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した」とある。昨年の中国の尖閣諸島の領海侵犯、領有権の主張とそれに続くわが国への謝罪と賠償の要求、北朝鮮の延坪島への砲撃、ロシア大統領の国後島への上陸と領土権固めはわが国憲法の前提条件である諸国民の公正と信義を信頼することが国際外交の世界では無理であることを示した。
     昭和27年に講和条約が結ばれて日本は独立したことになっているが、実体は米国の隷属であり、中国の御機嫌を伺いながら対処しており、独立とは程遠い。真の独立国家になれるよう憲法を改正しなければいけないのではないかと思うこの頃である。
    [参考文献]占部賢志「尖閣諸島開拓に献身した父子鷹」致知2011年1月号
    (2011.2.7)

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