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  • 「はやぶさ」60億キロの旅(その1)/大曲恒雄@クラス1955

     「2010年6月」という月はワールドカップサッカーでの日本チームの健闘と、「はやぶさ」の快挙とで永く日本人の心に残るのではないだろうか。

    1. 「はやぶさ」君おかえり
     「はやぶさ」は60億キロ7年余りに亘る壮大な宇宙の旅を終えて6月13日地球に戻ってきた。60億キロと言ってもピンと来ないが地球と太陽の間を20往復する距離に相当する。
     「はやぶさ」の最後の姿は華麗な流れ星で、多数のカメラが待ち構える中をほぼ予告された通りに現れ、感動的な映像を数多く残

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    $00A0   写真1

    してくれた。写真1はその中の一つで(資料1)の裏表紙に掲載されているものである。「はやぶさ」は画面右方向から現れ、2回大きな爆発を起こし、その後静かに消えていく。左の方へ細く伸びているのは先に分離されたカプセルである。小生としては(資料2)の巻末に掲載されている写真の方が迫力があって素晴らしいと思うが、転載できないので紹介だけに留めておく。もし、本屋などで(資料2)を目にされた場合は是非巻末10章の見開き写真を見て頂きたい。

     (資料1)探査機 はやぶさ 7年の全軌跡(Newton 別冊2010/7)
     (資料2)山根一眞:小惑星探査機 はやぶさの大冒険(マガジンハウス2010/7) 
     『7年間の厳しいエネルギー節約モードが終わったことを知った「はやぶさ」は、ぼろぼろの全身からありったけの力をふりしぼり、壮大な星空を昼のように照らしてすべての使命から解き放たれた喜びをふりまき、私たちへの永遠の別れを告げたのだ。「はやぶさ」、君は、最後の最後まで大したやつだった。』これは(資料2)の一節である。さすがプロの文章であると感心させられる。
     当初予定された計画より3年も帰還が遅れたこともあって「はやぶさ」は実に数多くのトラブルに遭遇した。その度に管制チームから次々に繰り出される対応策にまるで生命があるかのようにきちんと反応し、一時は絶望的とも思えた地球帰還を見事に果たした。満身創痍とか不死鳥とか奇跡的とか、いろいろの形容詞が使われたが、文字通りボロボロになりながらも必死になって何とか地球に帰り着いたという感じがする。
     チームリーダー川口教授の言葉の一つに「意地と忍耐と、最後は神頼み」というのがある。その「最後は神頼み」ということについて、(資料3)に要旨下記のようなことが書かれている。
    『「はやぶさ」の管制室には日本各地の神社の御札がある。順調な飛行と無事帰還を祈って、東京の飛(とび)不動と京都の飛行神社から御札を授かった。通信が途絶した時には京都の電波神社にお参りし、イオンエンジントラブルの時はエンジンがうまく中和するようにと岡山の中和神社に参拝した。』
     (資料3)川口淳一郎:「はやぶさ」は根性で翔んでくれました(文藝春秋 2010/8)
     
     以下、「はやぶさ」の軌跡をたどってみることとする。
    2. 「はやぶさ」誕生まで
     「はやぶさ」の構想が生まれたのは1985年。(資料4)によると『1985年、宇宙研の内部で、「小惑星サンプルリターン研究会」が発足した。それが“歴史の一頁目”であった』
     (資料4)吉田武:はやぶさ(幻冬舎新書2010/6第2刷)

     その後紆余曲折がいろいろあったようだが、1995年MUSES-C(*)計画の概算要求が行われ、1996年プロジェクトがスタートした。
     (*1)MUSES:MU Space Engineering Spasecraft

     「はやぶさ」の主なミッションは下記の5つである。
    (1)イオンエンジンを使った惑星間飛行
    $00A0 キセノンガスをマイクロ波でイオン化し超高速で噴出させる方式のエンジンで、従来の化学推進剤方式に比べて推進剤の重量が1/10で済む。推力は小さいが宇宙空間で継続的に使用できれば惑星間飛行目的には大変有効、今後の宇宙探査機用エンジンの主流になるはず。
    (2)光学補正を利用した自律誘導航法
     イトカワ接近時には地球との距離が3億キロ、電波の往復時間が30分以上にもなるので「はやぶさ」には自律航法が不可欠。
    (3)小惑星からの試料採取
    (4)イオンエンジンを使用した地球スウィングバイ
     次回、説明する。
    (5)再突入カプセルを使って地球へ資料を持ち帰る

     打ち上げは2003/5/9 M-V型ロケット5号機により行われた。ただしこの段階ではまだ「はやぶさ」ではなく、MUSES-Cである。打ち上げは順調で、20数分後にNASAから衛星の電波を受信したとの連絡が入り、この時点で正式に「はやぶさ」と命名された。「はやぶさ」の由来について(資料4)に要旨次のようなことが書いてある。
    『故糸川博士の設計になる名機“隼”への敬意、かって内之浦へ行くための“最高の贅沢”であった寝台特急「はやぶさ」への郷愁、そして何より瞬時に獲物に飛びかかりそれを奪い去る俊敏な鳥“隼”へ自らをなぞなえ、必ず小惑星のサンプルを獲ってくるぞ、という固い決意がこめられていた』
     このようにして「はやぶさ」は小惑星探査の旅へと出発する。当初の計画では2007年夏の地球帰還を目指していた。なお、目標とした小惑星はこの時点ではまだ「イトカワ」と名付けられておらず1998SF36という記号で呼ばれていた。
        ~「はやぶさ」60億キロの旅(その2)に続く~

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