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  • 松代の大本営用地下壕を訪ねて/西道夫@クラス1955

     太平洋戦争の末期、軍は本土決戦に備えて、大本営や政府機関、皇室を移すため、松代の町に地下壕を構築した。


    その一部は地震観測所として活用されていることを知っている人は多いと思う。現在、大本営用の地下壕の一部が公開されているので、去る5月、長野での会合の翌日、松代を訪ねた。
     1.松代の場所:長野駅の南方約8km、上信越自動車道の長野ICからは南約500mに松代の街がある。交通は長野駅善光寺口から、1時間に2本運行される川中島バスが便利で、古戦場経由、30分程で松代駅に着く。電車はあるが、乗り換えもあって、時間がかかる。
     2.地下壕の概要:地下壕は舞鶴山(現在は気象庁精密地震観測室)、皆神山、像山(ぞうざん)の三カ所に碁盤の目のように掘られた。その延長は10km程。像山地下壕はほぼ西から東へ長さ200m前後、20m間隔で20本掘られ、50m間隔で横方向の連絡坑が4本作られた。総延長は5,8km余、その内の約500mを見学する。地下壕の断面は底長4m、頂高2,7mである。
     3.地下壕の構築:昭和19年11月11日午前11時に着工、翌20年8月15日までの約9ヶ月、当時の金額で約2億円の巨費と延べ300万人の住民及び朝鮮人が労働者として強制的に動員され、1日3交代徹夜で工事が進められた。単純に計算すると、毎日、約11000人が、そして1直当たり3700人が従事したことになる。探訪当日聞いた話では朝鮮人が約6000人集められた。旧式な人海作戦を強いられ、多くの犠牲者が出た。食べ物はコーリャンに米3割を混ぜたもの、コーリャンは栄養価が少ない上に消化し難いので、苦労が忍ばれる、とのことだった。その他、多くの悲惨な話を聞かされたが省略する。
     4.探訪の概要:
    4.1.長野駅から松代地下壕まで:
    駅善光寺口から8:35発のバスに乗車、9:40八十二銀行前で下車、歩いて地下壕に向かう。10分で像山が見えてきた(写真1)。地上高80m程の、緑に覆われた美しい山である。受付で見学を伝え、ヘルメットを借りる。

    松代1.jpg 松代2.jpg 松代3.jpg

    写真1

    写真2

    写真3

    4.2.地下壕へ:先ず入口で(写真2)を撮影。1mほどの下り勾配後は水平で、適当な間隔で投光器がある。(写真3)は地下壕内の写真。この写真は資料「もうひとつの歴史館・松代展示室」の表紙のもの。道路や鉄道のトンネルと異なり、壁面は岩石そのままで、削岩用ロッドが岩に突き刺さったまま残されている場所もある。また、トンネルと言えば水が出る、底面には水が溜まっているのが普通だが、ここでは全く水気がない。下には岩石のかけらが無数にあるが、いずれも端は刃物の様にするどい。前に、このブログで屯鶴峰の奇妙な景観を紹介したが、その時に、近くの二上山では石器時代の刃物になる岩石があることを紹介したが、それと同じような石であった。このような堅い岩の山での地下壕掘削はさぞ苦労したことであろう。
    4.3.もうひとつの歴史館・松代展示室:地下壕出口の横に、工事用の小屋のような展示室がある。入館料200円を払って入る。地下壕工事の機材、その他種々の資料が展示されている。説明人のおばさんはボランティアの由。この展示室は松代が長野市に編入された時、長野市が出資して作ってくれたが、あとの整備や運営はすべて松代のボランティアの人々が行っている由。ここで当時の労働者の苦労などを聞かされた次第である。あとで気づいたのだが、このような秘密施設の工事に従事した労働者は、もう外部には出られない筈。彼等の精神的な苦しみは言葉で表せないであろう。
    地下壕探訪後、松代の街を散策した。
     5.松代の街散策:
    5.1.城下町:松代は家康の時代から、真田家の城下町として栄えた。町内には、松代城跡、真田宝物館、真田邸(新御殿)と庭園、などがある。また、松代藩士の佐久間国善(くによし)の長男に生まれた佐久間象山(1811~1864)は幕末に活動した人で、象山記念館には活動の内容や遺品などが展示されている。他に文武学校(松代藩が設けた文武併習の学校の校舎)、象山神社(佐久間象山生家跡地に建てられた、知恵と学問の神様)などがある。現代人では長野市出身の芸術家池田満寿夫の作品などを展示する池田満寿夫美術館がある。20年以上前の横浜から出る相鉄の車体の模様も彼の作品であった。
    今回は象山記念館、象山神社、真田宝物館を訪ねた。結果は省略する。
    5.2.グルメ:真田宝物館の駐車場の横に、「おやきや総本家・松代店」がある。ここでは毎朝「おやき」を作っているが、ここのは絶品である。おやきの旨さは中華饅頭と同様、中身でなく、皮の旨みにある。信州ではどこでもおやきが売られているが、ここのおやき程の味は私は経験していない。

    1件のコメント »
    1. 松本や長野近辺には何度も行くのだが、松代迄は中々機会が無い。一つには交通の不便さ、又家族の中で興味があるのは小生だけという事もある。「大本営?それって一体何ですか」という時代になってしまった。
      例によって西兄の旅行記で、行った気分にさせて貰った。しかし矢張り一度は行ってみたいものである。

      コメント by 寺山進 — 2010年7月13日 @ 05:22

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