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  • 気になった言葉/寺山進@クラス1955

    1. O.S. 及びDATA処理システム
    前回の投稿「マンハッタン地区」は元々、本稿の主題「気になった言葉」のテーマの一つとして取り上げる予定でいた。


    業務上に限らず、意味が良く判らなかったり、どこか不自然だったりする言葉に良く出会って来た。その時は多忙でもあり、直に解決の必要も無いのでそのままにしていたものを、ブログのネタにしようと思ったのである。”Manhattan District” はその一つであったが、話題が広がったので独立の投稿にした。

     ここでは残りの項目を取り上げてみたい。初めに、本来なら小生の腑に落ちない筈の用語として O.S. がある。意味については初心者から専門家まで、それぞれのレベルに応じた理解は出来ると思う。問題はそういう基本シフトが何故 “Operating System” と呼ばれるかである。
     もし今初めてパソコンをいじる事になり”Windows” がそれだと聞かされたら、不思議な気持ちになるだろう。一体 Operating とは何を Operate するのか。
     しかし、大昔のコンピュータをいじった経験のある人なら何となく感覚で判る。スイッチを入り切りしたり、結構重かったテープ・リールを抱えて右往左往していた「オペレータ」の肉体的及び精神的労働が、急速に軽減されていったのは、I.B.M.命名の「オペレーティング・システム」のお蔭だったからである。

     それでも尚 Operation や Operational でなく ”Operating” と進行形にした理由が、特に何かあるのかなと気を廻す。之は用語の命名一つにもI.B.M. の営業戦略が潜むのではないかと、勘ぐってしまうからである。ユニバックやバローズなどの競争相手が「電子計算機」の開発に血眼だった1950年代、同社は決してこの言葉を使わなかった。
     「E.D.P.S.」つまり ”Electronic Data Processing System” であると云う。「計算ではない、データ処理だ」今にして思うと、之は時代の先を読んだ素晴らしい卓見であった。

    2. O.E.M.
     この言葉は級友諸氏も私同様、数えきれない位見聞きして来た事と思う。専門家に限らず一般のサラリーマンにも普及するに至っている。
     私がこの言葉を初めて知ったのは、確か1965年頃アメリカの雑誌だったと思う。注として”Original Equipment Manufacturer” とあったが、「独創的な装置の製造業者」位の積りで読み進むと、文章全体の意味がしっくり来なくなって戸惑った。

     その頃、理経と云う商社経由で ”Digital Equipment Corporation(DEC)”のPDP-8を購入し、自家製の計測システムなどを道楽半分で構築していた。すると DEC から「OEM契約」を結ばないかと云って来た。所謂「ミニコン・ブーム」の始まる頃である。何と当方が “OEM” になるのであって、 ”VAR” つまり ”Value Added Reseller” みたいなものだと云う。こちらの方は判り易い英語だが、では “OEM” とはどう違うのかと尋ねても、納得のいく答は貰えなかった。まあそんな事はどうでもいい、という事で契約した。DEC が日本上陸直後の頃だったので、あまり義務も無いのにハードの割引率も大きい。条件的には良かったからである。その後に出てきたPDP-11などを種々なシステムに組み込んで、社内で使って貰ったり社外に売ったりもした。

     その内に日本の雑誌などでも “OEM” が使われだして、「相手先ブランドによる製造業者」の事だという。これは今でも辞書に載っている定義である。しかし、どちらのブランドなのか、どちらが何を造っているのか、「オリジナル」なのはどっちなのか、「エクイップメント」とはどういう製品なのか。何がどうなっているのか、さっぱり判らない。
     もう今更どうでもいいから深刻に考えてないが、およそ曖昧かつ意味不明な専門用語が長い間使われてきているのが不思議でならない。

    3. エンドラン
      野球の評論家の中には、英語が全く苦手の人もいる。「エンドラン」と云うので何かと思ったら ”Hit and Run” の事だった。この言葉の語順はプレイの起こる順序と逆になっている。”Run and Hit” か “Hit after Run” というべきであろう。どうせ「フォア・ボール」と同じ様な、和製疑似英語だと思っていた。
     所がこの評論家が「ラン・エンド・ヒット」は「エンドラン」と違い、打者はストライクだけを打てば良いのだと云う。益々判らなくなって来た。そこで “WIKIPEDIA” で “Hit and Run” を調べてみると、どうも正しい野球英語のようである。“Run and Hit” も出ている。
     A variant of the hit and run is the run-and-hit, in which the runner takes off on a straight steal of second and the batter has the option of whether or not to swing at the pitch.

     「英語は論理的だが日本語は非論理的な言語である」というような妄想的命題からは、とうの昔に脱却した積りでいた。それなのに「おかしい言葉だから和製疑似英語だろう」と思ってしまった事を反省する次第である。考えてみると、”base on balls” よりも「フォア・ボール」の方が判り易い。W.B.C.の優勝を手始めに、「野球」が “Baseball” を征服すれば良いのである。自然に「和製野球用語」が国際標準になってくる。

     「ヒット・エンド・ラン」には他に、「ひき逃げ」という犯罪用語、「攻撃してすぐに引き上げる戦法」という軍事用語もある。この二つは野球用語と異なり、順序どおりである。
     軍事の “Hit and Run” で思い出すのは、日本海軍のゼロ戦に苦戦した米軍が「O.R.」即ち “Operations Research” の手法を駆使して生み出した戦術の事だ。「上空から二機共同でゼロ戦に襲い掛かり、機銃を発射したら結果の如何に拘わらず一直線で戦場を離脱せよ、決して “Dog Fight” をしてはならない」というものである。「一撃離脱作戦」と日本側でも認識していて、対策を立てようとした。しかしソロモン群島の消耗戦で次々と歴戦の搭乗員が戦死していき、米戦闘機の質、量両面の進展もあって、成果を出す迄に至らなかった。

    4. HIT OR  SPLASH
     沖縄戦で米軍の無線電話を傍聴していた帝国海軍士官の話を聞いた事がある。特別攻撃隊の突入時間になると、レーダー見張所から司令部に報告する若い米兵の声が聞こえてくるので、之を記録した。
     “One bogey approach. ・・Japs are diving.・・ Splash,splash. Oh, one hit. Next ,splash.・・”という具合なので、この人は戦後になっても野球放送を聞く事が出来なかった。アナウンサーが「ヒット、クリーン・ヒット」と絶叫し球場全体が歓声に包まれる。そうすると居ても立ってもいられない気持ちになったそうだ。

     小生はそれ程でもなかったが、野球放送の途中で「ヒット」と聞いて、前回のブログでご紹介した恩師を思い出す事は何度もあった。新田兄がコメントでご指摘の通り、先生は97式艦攻で出撃された。元々雷撃用で速度は遅く運動性能も悪い。敵戦闘機に最も喰われ易い鈍重な艦上攻撃機である。空母を取り囲む輪形陣の外側で ”Splash” した可能性が高いな・・と、今更言っても詮無い事を気にするのである。
     (注) bogeyは、ゴルフのボギーと同じ綴りだが、ここでは米国海軍用語で「国籍不明機」或いは「敵味方未識別機」をいう。

     昭和17年4月二宮小学校4年に進級直後、3年の担任だった志沢先生のお宅で。
     先生は3月に代用教員を辞め、早稲田大学の学生専任になった。この頃は、今と違ってカメラなど一般に普及していなかった。たまたま小生が壊れて光が漏れるカメラを親戚から貰ってきて、だましだまし写したもの。ぼやけた写真だが、先生が写っている唯一のものである。先生はこの後学徒動員で海軍に応召され、神風特別攻撃隊の一員として昭和20年4月に沖縄で散華された。
    志沢-2(修正).jpg
    志沢先生
    3 Comments »
    1. OSという言葉で思い出したこと:
      OSにはMS-DOSの頃からお世話になっているが「機械語しか理解できないコンピューターと人間サマとの仲介をしてくれる有り難い仕組み」
      くらいの認識しかなく、何故Operating Systemと名付けられたのか全く気にしたこともなかった。
      MS-DOSの時代は真っ黒画面が相手。一行ずつ入力し、コンピューターのご機嫌を伺いながら次の手を考えるという感じだった。
      Windowsが登場してOSが一挙に巨大化。しかし当時記憶メディアはフロッピーディスク(FD)しかなかったため、FD30枚とか40枚とかを必要とするようになった。そのFDを順番を間違えないようにキチンと積み上げてからスロットに挿入する。しばらくすると「次のディスクを挿入して下さい」というメッセージが出る。それを数十回繰り返してやっとインストール完了となる。さながらパソコンに魂を入れるための儀式を厳かに執り行っているという感じだった。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2010年7月1日 @ 10:08

    2. 寺山様
       前回のブログで書かれた貴兄の敬愛する恩師志澤先生の写真をみると、一層心が痛みます。
       あらためて、御霊に心からの追悼の意を表します。前回のコメントではあえて書きませんでしたが、一般的にはおそらく九州の基地を飛び上がった瞬間から、アメリカ側のレーダーに克明に捉えられ、多くの護衛戦闘機F6Fが待ち構えている中、空母の近くまでも行かないうちに撃墜されると考えるのが普通でしょう。特攻隊には必ず戦果の確認をかねて護衛戦闘機が付いて行きましたが、数も多くなく性能もF6Fの上を行くものではなく、厳しい結果になったものと思います。反面、乗員の若い隊員は、正確な情報は知らされていませんでしたから、必ず空母に激突できると信じて飛んでいったことと思います。ますます心が痛みます。
       Hit and Run につきましては、ご存知とは思いますが、昭和17年6月にアリューシャン列島のダッチハーバー爆撃をした際に被弾し湿地帯に不時着した殆ど無傷(ひっくり返っていましが、)のゼロ戦をアメリカ側が持ち帰り、2ヶ月間に亘り20数回の試験飛行を繰り返し、徹底的に性能をチエックした結果、限界設計をしているので機械強度に余裕が無く、したがって大きな急降下が出来ないことを突き止め、その結果、一撃して、すぐ急降下で退避すれば(F4Fはさえない戦闘機でしたが頑丈でした。)ゼロ戦が付いてこれないので、Hit and Run 別名 Hit and Away 戦法を考え出したようです。戦法を決めるのも極めて科学的ですね。

      コメント by 新田義雄 — 2010年7月6日 @ 22:23

    3. 随分遅れてしまって間が抜けていますが、お二人のコメントに御礼申し上げます。
       小生、I.B.M.の汎用機の初期、主記憶4Kの科学技術計算用のOKITAC、DECのミニコン、アナコンなどなど若い頃は色々いじった経験はあるのですが、パソコンが出てきた昭和50年代半ばにはそんな余裕はなく、本格的に使いだしたのはこのブログ向けが初めてです。余りにも便利になってしまい、何でもワン・クリックで出来てしまうのには驚きました。OKITACと同じ原理で作動している機械だとは信じられません。
       今回に限らず、新田兄のコメントは大変参考になります。人文系の学者、評論家、小説家等の書く戦記ものには見られない視点と深い分析があります。「あまりいい加減なことを書いて投稿するわけにはいかないな」と改めて思っています。今後とも、程ほどのご批判を何とぞ宜しくお願い申し上げます。

      コメント by 寺山進 — 2010年7月13日 @ 04:58

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