• 最近の記事

  • Multi-Language

  • 最盛期のアメリカで驚いた経験2件/沢辺栄一@クラス1955

     今では海外旅行も日常茶飯事であり、世界の色々な国で個人的に色々な経験をすることができる。


    昔、井の中の蛙であった頃、初めてアメリカを訪れた人は誰でもその発想、習慣、規模など色々な面で驚かされる経験をした。以下は最盛期のアメリカで私が経験した驚いたことである。
     (その1)約40年前、衛星技術の勉強のため、MITの宇宙研究センターがNASAに提案した太陽観測衛星の「サンブレーザー」プロジェクトに参加させてもらった。私は衛星から地上へデータを送信する送信機の出力増幅器の設計を担当した。私のミッションが終了して日本に帰ることになったが、直接日本に帰るのももったいないと思い、センターの副所長さんにMITとNASAの宇宙関連施設の見学のアレンジをお願いした。私がRFエンジニアであったので、その中のひとつとして直径70mという世界一直径の大きいアンテナを有するいわゆるディープ・スペースと称する惑星探査衛星と通信する施設の見学を依頼した。
     NASAの人間が迎えに行くからホテルで待っていろということで、ロスアンジェルスのホテルで待っていた所、約束の時間に車で迎えに来てくれた。これから現地まで車で行くのかと思っていたら、直ぐ近くの学校の庭に降ろされた。前を見たらヘリコプターが待っていた。ヘリコプターにはそれまで数回搭乗したことがあったので、また楽しめると思いながら乗り込んだ。ヘリコプターで施設まで行くのだと思っていたらロスアンジェルスの東側にある小さな山脈に沿って北の方に飛んでいるので、方向が少し違っているようなので、質問したらバーバンク飛行場に行くとのことであった。10分程度でヘリコプターはバーバンクの飛行場に降りたが、目の前に1台の双発の小型飛行機が待っていた。二人で飛行機に乗り込んだが、約1時間半後に広い黄色い砂漠の中にぽつんと小さなパラボラアンテナを機上から見つけ、アンテナから300m位離れたところにある滑走路に着陸した。迎えにきた車に乗ってアンテナ施設舎に到着した。ゆっくりと見学してまた同じコースでホテルに戻った。
     ホテルに戻ってから、一介の未熟な外国のエンジニアに対してこのようにヘリコプターおよび飛行機を専用にアレンジしてくれたことにアメリカおよびMITの凄さに驚くと共に感謝で一杯であった。
     ちなみに、翌日、パサディナにあるジェット推進研究所に衛星の信頼性に関しての調査と見学にレンタカーで訪れたが、何処の部屋でも多くの所員ががやがやとCRTの前で騒いでいた。丁度、アポロ11号が月に着陸する所であった。私はホテルに帰ってからTVで月への到着の再生映像を観た。
     ディープ・スペース送信施設を見学するのにヘリコプターと飛行機をアレンジして貰ったこととアメリカのアポロ計画の頂点をアメリカで観たこととは今でも忘れられない経験であった。
     (その2)30数年前、実験用中型放送衛星の開発に関連して、フィラデルフィアの近郊に住むようになった時、3年ほど住むことになると思ったので家族を呼んだ。1年と幼稚園の子供が現地の小学校に入ることについて、一般に子供は適応性が良いので特に心配も無く学校へ連れて行った。その学校の校長先生がその学校区の教育委員会は外国から来て英語のできない子供がいるときにはその子供がこれまで使用していた言語と英語が話せるいわゆるバイリンガルな先生を雇う事ができると云われ、日本語と英語のできる若い女性の先生を雇って下さった。
     このことは子供たちにとって英語学習に良いのかどうかは不明であったが、アメリカの学校と英語に慣れることに全く不安がなくなったことで大変有難かった。世界2位の経済大国である日本で小学校に例えばタイ人が1~2名入ってきた場合にタイ語と日本語のできる先生を雇うであろうか。そんな事はしないであろう。当時、我々が住んでいた所には我々以外には日本人は全くおらず、学校でも日本人は我が子の二人だけであり、二人のためだけにバイリンガルの先生を雇ってくれるアメリカの余裕、素晴らしさに驚き、また、感謝した。
     このようなことで今でもアメリカには足を向けて寝られない状態である。帰国後もお世話になった校長先生には2年前に亡くなられるまで子供たちの成長を伝え、感謝の意を表わしてきた。

    1件のコメント »
    1. M.I.T.から優遇されたのは、沢辺兄が若くてもプロジェクトの一端を担って成果を上げられたからだと思う。ただし我々世代には、全盛期のアメリカの強烈な印象が根強く残っている人も多い。小生もその一人で、まだ戦災の痕跡が残っていた東京からニューヨークに着いて、Rockefeller Center の花壇を見た時は、大げさに云えば「天国か」と思った。しかし、その後は渡米する毎に落胆の度合いが増していった様な感じがする。

      コメント by 寺山進 — 2010年6月16日 @ 09:24

    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。