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  • 弥生時代からの米つくり/斎藤嘉博@クラス1955

     日本館の2階に1万数千年前から現代にいたる日本人の生活の一端を表現した六つのジオラマがあります。


    その最初は港川人に代表される旧石器時代。親子3人の家族が夕飯の準備というつもりでしょう、親父は近くで獲ったヤンバルクイナを、カミサンは蔓で編んだ小さな籠に一杯の木の実と浜で拾った巻貝を持っています。食材を探すことは命をつなぐこと。しかしまだたしかな狩猟の道具はありませんでしたのでせいぜい木槍で突くか石を投げてしとめるか。というわけでほとんど飛ぶことの出来ないヤンバルクイナはかっこうのご馳走だったのかもしれません。

     隣の小間は縄文時代で設定は前と同じ夕食への準備。この頃には弓矢と土器の出現という生活道具への大きな進歩が見られます。土器によってそれまで生で食べるか焼くかしかなかった調理法に煮炊きが加わりました。手にぶら下げている食材は鮭。これは鋭い銛の成果でしょう。そしてさらに隣りは弥生時代の生活。
     弥生時代の特徴は南の国からやってきた稲作です。自然にまかされていた食材が人によって手なずけられることになりました。しかしイネの栽培には大変な智恵と労力が必要だったに違いありません。播種、収穫、貯蔵そして潅概のための土木工事などなど。
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    弥生時代の生活

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    イネの改良

     それまでの小さな家族単位の生活では出来ない共同作業の必要にも迫られたでしょう。イネがもたらされたのは北九州の暖い水の豊な土地でしたが、その耕作が次第に東へ北へと広がっていくと寒冷への対策が必要になります。イネの改良の過程を同じフロアの展示に見ることが出来ます。昔の旭、愛国から始まって私たちになじみの深い農林1号。これは先月新田さんに頂いたコメントにもありました。そして近年ではササニシキ、ヒトメボレ、コシヒカリ。台風、病害への対策と同時に収量も増え、味も一層おいしくなりました。寒い北海道で育つように改良されたキララ397と本州種のササニシキが寒冷の地でどのように生育が異なるかも展示されています。
     日本は農耕地の少ない山国。陸稲ならまだしも、放牧も難しそうな山の急斜面に作ったちいさな水田。こうした棚田を景観のすばらしさと喜び、田毎の月を愛でるという風流な感性は身につけましたが、なんと効率の悪い食材つくり。外国でなだらかな丘陵地に実る小麦やブドウの畑をみると一層その感を深くします。我々の祖先はなぜこうした栽培に手のかかる植物を主食にしてきたのか、面倒なことは自然に淘汰されるのが常なのだがと不思議に思うのです。瑞穂の国と名付けて米は神様への供え物。新嘗祭、神嘗祭として大切にされてきた心が支えだったのでしょうか。米対策は国家農政の基本で文字通り票の田にもなっていましたが、個別補償制度などすこしづつ見直しが進んでいくのかもしれません。さりとて炊き立ての銀シャリは確かにおいしいですネ。こんなおいしいものを食べられるのは幸せという実感を持つ世代はもう少なくなってきているようです。 
     ついでながら前述のジオラマは弥生のあと中世、徳川時代、現代へと続きます。中世以降は衣食足って礼節を知ると、宗教、学問がテーマになり、現代の小間では、どうぞご自分の姿を見てくださいと来館者自身がこのジオラマの主人になります。子供がこのガラス枠の中に入って喜んでいるのを見ると、将来この子たちは何をどのように食べているのだろうかと想います。

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