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  • 海外の便りから/小林凱@クラス1955

     以前にX'mas Cardを通しての海外の知人との交流に触れたが、今度は最近の便りから彼らの日々とそれに纏わる挿話を紹介します。

     登場する人との出会いはかって居た米国東部で、現在の住所は米国各地と欧州が略半々になっている。長いのは1957年から、新しいので1983年以来になる。元々数十通あった交信も帰国後暫くするとすっと減衰する。その後安定期に入り毎年のCard交換から家族を知り、来日の折に案内したりこちらも家内と旅行の折に訪問した。
     この後、今度は加齢による減衰期に入っている。先ず年長の人でCardの添え書きが奥さんの字に変わり、これが遅れて来る様になると何か負担になっていないかと察して出状を控えるとすっと終る。一抹の寂しさはあるが永年ご交誼戴いた感謝の気持ちで、そのままそっと記憶に残して置く。こうして現在十通位になったが、大半が似た年配で今後の安定継続を願って居る。
     このCard交換では家族や自分の出来事を書いて来る。今回はその中から彼らの近況を幾つかご紹介しよう。

     カナダのCalgary(かっての冬季オリンピック会場)に住む男は、資源開発会社に働いていたが退職後も同じ住所に住んで、毎年世界各地を旅しての記念写真をX'mas Cardに仕立てて送ってくる。奥さんが旅行代理店をやっていたから旅のアレンジはお手のものらしく、昨年は中国の紫禁城での写真であった。全く元気そうで、以前の写真と比較しても老けて来ない。夫婦揃って良い血色だからこの中で一番長生きすると見ている。現役時代は地球相手で過酷な仕事もあったろうが、終った後はさっぱりして却って良い効果を残すのかも知れない。

     ロンドン郊外に住む男は私より一つ年長で昔からの海好きである。1957年のMayflower二世号の大西洋横断プロジェクト(注) に乗組員として参加して米国に来て、記念行事が済むと其の儘米国に残り、当時の Westinghouse社に就職した。後に英国に帰りSail boat製造など海と関係した色んな仕事をやって、今も自営のビジネスをやっている。昨年末の手紙では早くビジネスを売却してリタイア出来たら、もっと海に出る時間が出来るのが昨今の状況でそれも未だしと嘆いている。
     彼のCardは実は12月早々に来たが年末にもう一通届いた。そこには「今年はX'mas Cardが大変遅くなって申し訳ない、これは Happy New Year !にさせて貰う」とあった。私のCardを見て自分のは?と急ぎ出した様だ。私達の年賀状でも似た様な事があるが。
    (注) Mayflower号は、1620年に102人の清教徒を乗せて英国Southamptonから米国Massachusetts州Plymouthに渡り、この航海の成功は新大陸建設のシンボルとなった。第二次大戦後、一緒に戦い抜いた両国の絆を更に深めようと、この航海の再現計画が発足しMayflower号のレプリカが建造された。その航海は昔と同じ区間を、同じ構成の乗組員約30人により1957年に実現した。この二世号は米国に寄贈されPlymouth海岸に係留されて居り、私も1974年夏に家族旅行で見学した。また二世号航海50周年記念の話が2007年にあり、友人も嬉々として米国に赴き、船上の同窓会写真や記念グッズを送って来た。

     パリ郊外に住む友人は、始め電機メーカーに居てから航空機メーカーで働いた。処で当人もその子供さんも一族みな子沢山で、フランスの人口政策が見事に成功した見本である。先年一族三代の家族集合写真が同封されて来たが20数人も居て実に壮観だ。三年前の手紙では孫は16人居て次の年には更に増えると書いて来たが、昨年は静かな年で孫はもう増えなかったと言ってきた。彼とは1957年に米国で知ったが、その頃は細身で背も私と似た様なもので、どうしてこの様なエネルギーを持っていたか判らない。
     今度の手紙では家族に就いて成る程と思う話を書いて来た。これはフランス人の全体像か判らぬがご紹介しよう。
    「この夏も我々はとても興味ある3日間の旅行をした。これはロワール河流域の古城や史跡を10才になった二人の孫を伴って廻ったもので、この旅行は我家のTraditionとして初孫が10才になった8年前に始めて、既に4回、フランスの色んな地方を旅している。来年は二人ずつ二回に分けて行う計画だ。孫達もこの祖父母との旅を楽しんで呉れている。」
    彼の子供には娘さんも居るから、日本流に言えば嫁ぎ先の外孫も入る訳だが、その様なことには拘らずに世代間の伝承を考えて居る様だ。いま日本の社会では消えて行く文化を、彼らは大切にして居る様にも思える。

     1973年、私は米国東部のPittsburgh市(昨年秋にサミット開催)に赴任した。その同じ時期に事務所に採用された秘書が居て、高校を卒業して秘書の学校に行ったから20歳前くらい、花恥らう可愛い子ちゃんであった。
     彼女はその後結婚して男子を設けたが数年で離婚し、詳しい事は判らぬが、姓は結婚後の儘で子供は引取った。金融機関に再就職して後は仕事と子育て一筋の生活で、その子煩悩振りはこちらも呆れる位であった。X`mas Cardには子供の写真を添えて之だけ大きくなったこと、学校へ上がれば何が得意で褒められた、高校ではサッカーの選手で何処へ試合に行った等など詳しく書いて来た。家内も良く知っているから何か私達に報告する様な形で、これで自分の気持ちも引き締めて居たのかも知れない。随分大変だったと思うが、休暇で来日して私の家に泊っていった時でも、そうした事は一言も言わなかった。
     やがて息子の大学進学となり色々考えた様だがPennsilvania州立大学へ進んだ。家から車で数時間で行け、州住民には奨学金も考慮して貰い易い様で、希望の工学部に進めたと喜んでいた。これに重なる様にとうとう念願の家を手に入れたと、写真入りの手紙を送って来た。ファイナンスに就いても上司が良く相談に乗って呉れた様で、平屋建ての可愛い家でとても気に入って居ると嬉しそうであった。Pittsburgh市郊外の小さな町で、緩やかな丘陵と近くをアレゲニー川(すぐオハイオ川に名を変えやがてミシシッピ川に合流してメキシコ湾に注ぐ)が流れている。
     昨年の手紙では、今年は愈々息子はカレッジを卒業するとあった。そしてこの1月には「息子は先月SanDiegoへ旅立って行った。それで私の家は今とても静かだ」と書いてあった。
     今年は米国東部は寒い様で、あの辺も一面の雪ではないかと思う。冬空の下で鈍い冬の陽が川面に映している様子を想像した。

     永年AT&Tに勤めていた男は、退職後もWisconsin州の同じ郊外の家に住んでいた。訪ねた事は無いが写真から想像では大きな家で、毎年のX'mas Cardには子供に孫も含めた家族一同の写真を同封してきた。彼はその中央にでんと座って、まるで一族のGodfatherの様であった。これが昨年は同封されず代りに一枚のCardが入ってきた。
     これは住所の他は原文の儘で読んで貰った方が良さそうで引用させて貰う。
    「We used to live where we ain't no more.
     We've moved where we never was before.
     You know where we was, but not where we is;
     So here's the new address where 'tis:
       After January 15, 2010 –
     ABCD Evangelist House, Apt.#123
     E Street  F City, WI53xxx 」
     そしてX'mas Cardの添え書きには、
    「To Gai and your family…. As you can see from the insert, we are moving to apt. living. No more raking leaves, cutting grass or blowing snow. We are looking forward to it.」
     Wisconsin州は米国の中北部で冬は寒い。夏も庭が広ければ手入れが大変だろう。次のCardでは期待通りのCity living が披露されることを待っている。
           2010/02/08

    3 Comments »
    1.  米国でも会社によってはエリートの転勤が多い処もあるようです。
      「I.B.M.は“I’ve Been Moved”で転勤が全米一多いのだ」と社員から良く聞きました。あまり出来の良くない“acronymic joke”ですが、彼らの仲間内では大いに受けていたようなので、ある程度は本当でしょう。
       日本の会社での転勤に関する普遍的な伝説は「家を新築すると転勤する(させられる?)」というものでした。「当たっている」と同感される方が多かったのですが、同窓生諸氏の会社では如何だったでしょうか。

      コメント by 寺山進 — 2010年2月22日 @ 20:55

    2. クリスマスカードに関する小林さんのお話を読んで、私も同じような経過を辿っていると思いました。親しかった海外の人達が様々な経緯を経て、消えて行かれるのは悲しいことです。一方、元気な友人の中には、クリスマスカードに大勢の子供達や孫達の近況を詳細に書いてくる者もいます。
      また、転勤については、海外でもあることで、且つ会社を変わったり、転職することも多いようです。寺山さんの「家を新築すると転勤する」という話は会社でよく聞きました。しかし青天の霹靂が、自分自身に降りかかってくるとは思っていませんでした。私は、20数年住宅公団のお世話になり、朝6時50分に玄関を出て(当時玉川工場は8時始業)南武線の谷保駅から向河原駅に通っていました。50歳になって、借金して現在の溝の口のマンションに引っ越しました。やっと会社が近くなったと思ったら、間も無くNECから新電々の日本高速通信(株)に出向・移籍となり、六本木に通うことになりました。でも、国立駅にバスで行き、更にJR、地下鉄を乗り継いで通うより良かったと慰めています。

      コメント by 大橋康隆 — 2010年2月24日 @ 22:40

    3. 大橋兄の例は、「転勤に関する伝説」の定義に当てはまらない。
      新居から却って便利に成った栄転先に、通勤出来るような人は対象外である。 
      「伝説」に該当するのは、新築の我が家に全くか或いは殆ど住めずに赴任するケース。大抵の場合は、その後も長期の単身赴任を余儀なくされる。中には定年を迎える頃には、成人した子供達が住む東京に居ついてしまい、結局地方の自宅に全く住めなかった人もいる。

      コメント by 寺山進 — 2010年2月25日 @ 19:36

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