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  • Queen’s English in Paris/森山寛美@クラス1955

     30年程前の話である。英語については仕事の関係なら自信があったが,一般人の英語は分かりにくく,ましてフランス,ドイツ,イタリアなどでは怪しげな記憶と勘が頼りとなる。


    通常英語が使われない土地ではハプニングがつきものであった。案内書と地図を片手に行動するわけだが,案内書には普通標準コースしか紹介されていない。このハプニングを期待して見知らぬ土地に足を踏み入れるのもまた楽しいものである。勿論一人旅でなければならないが。
     CNET(フランスの通信研究所)を訪問するためパリを訪れたときのことである。ロンドンからの飛行機はパリのオルリ空港へ到着した。案内書にはパリ市街地行きはタクシーかバスを利用するように書いてある。タクシーは便利だが,ドア・ツー・ドアのタクシーには旅の面白さがないので,バスを利用することとし,入国手続きをすませ外に出たところにいたバスにさっと乗り込んだ。乗客数人を乗せガラガラのバスはすぐに発車したが,数分後に停まってドライバが何か言っている。早口のフランス語で何を言っているのかよく分からないが,どうも下車して電車に乗り換えろということのようだ。降りるとなるほど電車の駅があり,これがパリ市街に通じているらしい。
     パリ市街行きと思われる電車に乗り込んだが何となく心もとない。電車はすいており,通路の斜め向こうの席に美人が一人座っているだけだった。その美人は地図を広げており,やがてきれいな女王英語で「オルリ空港から電車でパリへ行くとは思ってもいなかったわ。どういうルートで行くのかしら」と話しかけてきた。同病相哀れむといったところ。一つの地図を見るのに離れた席にすわっているわけにもいかないので,美人の隣に席を移し,二人で地図を覗くはめになった。
     それから何という駅で降りたらよいか,どこへ何しに行くのかなど次から次へと話が弾んだ。その美人はウエールズからきた人で,ご主人がオルリ空港で仕事をしている間シャンゼリゼに買い物に行くとのことであった。同じシチュエーションにあったためごく自然に話が進んだわけで,言葉の通じない土地でのハプニングであった。その美人は,きれいな分かりやすい女王英語を話し,日本にも理解があった。
     妙齢の美人と風采の上がらない東洋人が寄り添って話が弾んでいるのは目立つのか,ガキどもが奇声を発して横を走っていく。羨ましがられるのも悪くないものだ。しかし,残念ながらあっという間にパリに着いてしまった。
     電車を降りた後タクシー乗り場を探したが,そこでまた彼女と一緒になった。タクシーに先に乗るよう薦めたがかなわず,こちらが先に乗る羽目になってしまった。英国美人は男性を立てるのだろうか? アメリカではこうはいかないと思うのだが。
     ロンドンではほとんど聞けなかったきれいで分かりやすい女王英語をパリで,しかも美人の口から聞くことができた。これが1人旅の楽しさでもある。

    3 Comments »
    1. 正月早々に粋な昔話を紹介されて、ほほうと思いました。オルリ空港からパリまで英国美人との会話はさぞ楽しかったことでしょう。外国を旅すると、時々思いがけない出会いをするものですね。小生は、1962年の秋に、米国留学の帰路パリを訪れました。空港からは地下鉄でモンパルナス駅に到着して近くのホテルに一泊。翌朝、CNETを訪問したのですが、すっかり冷や汗をかきました。パリのリパブリーク街に到着しても研究所らしき建物が見つからない。フランス語は分からず、やっと英語の分かる親切なフランス人に遭遇しました。驚いたことに、地下鉄の終点の郊外にもリパブリーク街があることが判明。幸い朝早くホテルを出発したので約束の時間には間に合いホッとした。実は当時のNECは漸く技術導入から脱却して自主開発を始め、国際化はこれからだった。CNETを訪問出来たのはNTTのご紹介によるものでした。技師長さんの説明を聞いているときに電話が鳴り、君への電話だと電話器を渡された。先方はフランスから米国へ留学していた親友の妹さんであったが、電話機を通すと英語が良く通じない。近くにフランス人がいないかと言われ、やむ無く技師長さんに代わってもらった。彼はフランス語で若い女性の声を楽しんだ後、「君は運が良い。明日9時にホテルに迎えに行き、案内してくれるそうだ。」と言われた。翌日は、このパリジェンヌの案内でモンマルトルをはじめ、パリ市内を見物し、ソルボンヌ大学の食堂で昼食を共にした。小生にとって印象に残るパリの休日となった。

      コメント by 大橋康隆 — 2010年1月1日 @ 20:32

    2.  一人旅の海外出張は何十回も経験したが、お二人のような良い思い出は全くない。
       心細かったのは、Grey Houndの深夜長距離バス。アイゼンハウワーが大統領だった頃で小生もまだ若く、何事も経験の積りだった。乗ってみると周りは皆黒人で、白人はたまに若い兵隊さんが乗って来る位である。困ったのは休憩時であった。真っ暗な寂しいバス停で、ドライバーがマイクで「もごもご」と何か言ったと思ったら、すっと降りてしまう。出発時間が分からない。降りる時もバスの番号などを良く確認しておかないと、同じようなのが並んでいて自分のバスに戻れなくなる。ドライバーが「おれの顔を覚えていてくれ」みたいなことを言って、親切にも顔を突き出して見せてくれた。「みんな同じ顔に見えるんだ」と言う訳にもいかないので、「サンキュウ」とお礼を言っておいた。
       腹が立ったのは中近東諸国であるが、長くなるので次の機会にしたい。

      コメント by 寺山 進 — 2010年1月8日 @ 14:39

    3. 寺山“コメンテーター”殿 久しぶりの登場ですね。
      話の続きは是非投稿の方へお願いします。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2010年1月9日 @ 14:20

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