「長崎の鐘」を観て/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
久し振りに見応えのある演劇を観た。7月6日(月)に多摩市民館大ホールで公演された「長崎の鐘」である。
関東地域では当日のみで、以後は長崎を中心に九州地方で公演される。長崎の原爆を描き、戦後の一大ベストセラーとなった永井隆の「長崎の鐘」である。かつ永井隆を演じるのが、我等の高橋編集長の長男、高橋広司(文学座)さんである。昔、学生時代に文学座の「どん底」を観たり、多くの欧州映画を観ていた私としては見逃せない。早速前売り券を購入して、家内同伴で多摩市民館に早くから行列し、前方の良く観える座席を確保した。隣席では、沖電気で高橋編集長の同僚であった夫妻も観劇されていた。彼とは私もジュネーブの国際会議で旧知の間柄であった。
有名な原作ではあるが、主演高橋広司さんの演技は異様な迫力があった。主演を演じるために、頭は丸刈りで、永井隆になりきって、原爆投下の理不尽さと、被爆の惨状を語る鬼気迫る台詞は、大ホールに響き渡った。あんなに長い台詞が次から次に飛びだす記憶力にも驚嘆した。年齢と共に衰える記憶力を気にする老人には、活が入り、様々な記憶が一度に蘇り、タイム・スリップして若き日の血潮がたぎる思いに浸った。終演後、出口で観劇者に挨拶されている高橋広司さんに、高橋編集長から紹介され、すっかりファンになってしまった。
「長崎の鐘」のストーリーは、ブログの写真として掲載したプログラムの裏面に書いてある。拡大すれば読めると思う。原作についてはGHQとの妥協もあり、色々批判もある。原爆投下の責任を美化してはいけない。しかしこの時期に「長崎の鐘」が再演されたことは、問題提起として大きな意義がある。$00A0 | $00A0 | $00A0 |
プログラム表面
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プログラム裏面
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原爆の悲惨な体験をしたのは日本人だけであり、声を大にして世界に訴えるべきである。武田兄がチェルノブイリ原発の後始末のため、現在も海外出張されているのを知り、正直、私は驚いた。広島の原爆は、当時岡山に住んでいた私には「ピカドン」という言葉で、その惨状が直ちに伝わった。近所の医師達が広島に動員されたからである。
岡山一中の先輩達の多くは水島の軍需工場(現在は水島コンビナート)に動員されていた。ところが7名の先輩は広島県の呉の軍需工場に動員され、放射線を浴びていた。敗戦後無事生きて帰郷されたが、段々髪の毛が抜けてきて、まもなく全員この世を去られた。広島より先に、岡山が6月29日未明に空襲を受けた理由も判明した。当時B-29は広島に向かっていると判断され、岡山には警戒警報しか出ておらず、不意打ちで被害が拡大した。しかし、岡山は米どころなので、戦後、大阪や神戸から戦災孤児が機関車にぶら下がって岡山駅前に集まり、戦災孤児の町と呼ばれた。「長崎の鐘」に出てくる戦災孤児の元締め・愚連隊のオアニイサマや、娼婦・闇市のマリアを観ていると、当時の世相がくっきりと思い出された。
「長崎の鐘」の会場は川崎市多摩区登戸で、自宅に近く、観劇の機会に恵まれたのは幸運であった。しかし、高橋広司さん出演の「鳥の飛ぶ高さ」が、6月20日から26日まで三軒茶屋で公演されていたのを見逃したのは誠に残念である。「鳥の飛ぶ高さ」はフランスを代表する現代劇作家の舞台を、日本に置き換えたドロ沼企業買収劇である。2010年1月13日~2月20日まで、フランスのパリ、リヨンなど各地で公演される。同様の内容はテレビの「ハゲタカ」で私も熱心に観たが、もう少し若くて健康であれば、飛んで行って観劇したいものである。フランスでの公演が盛況であることを期待している。
注1.高橋広司さんのHPは下記です。
http://hiroiku.art.coocan.jp/
注2.「長崎の鐘」に刺激されて、クラス雑誌を思い出し、探したところ、シミだらけの「雑草」を発見した。映画評論は、第一号に、吉田進さんの「古い映画から」と小生の「赤い風車」、第二号に、三井一郎さんの「‘モダン・タイムス’を観て」中原新さんの「映画雑感」小生の「‘二十四の瞳’を観て」が掲載されていた。
2009年8月3日 記>級会消息
「長崎の鐘」を観劇されての感想、また、広司に対する過分な評価を頂き有難うございました。8月6日と9日を前にして朝日新聞に昨日から「核なき世界へ」“オバマと被爆者”の連載記事が掲載されています。核なき世界と戦争のない世界が人間の知恵で実現されることを願うばかりです。
コメント by 高橋 郁雄 — 2009年8月3日 @ 18:09