タイガー計算機/斎藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
地球館2階の一角に様々なコンピューターの展示があります。
1944年に航研の佐々木さんらが作られたアナログ方式の九元連立方程式求解機。一度動かして見たい気がしていますが、そんなお許しは出そうにありません。そして新幹線開業直前に完成し13万座席をリアルタイムオンラインで稼動した国鉄の座席予約システムMARS 101。その間に富士フィルムの岡崎文次さんがカメラのレンズ計算用に作った日本最初の実用電子計算機FUJICが置いてあります。UY76を中心とする1700本の真空管はスミソニアン博物館にあるENIACの16,000本には及びませんが、この計算機の導入でレンズ計算の速さが2000倍になったと記されています。感心するのは記憶装置。超音波を使った水銀遅延線で容量は225語ということですから、ギガ、テラが普通という今になってみるとこれでどれほどのことが出来たかと思います。当時計算機の研究をしておられた山下先生、元岡先生はさぞ苦労されたことでしょう。
しかし電卓、パソコンに馴れた現代では特別の郷愁を持った方以外にこうした古典的な計算機にはあまり興味を示さないようです。むしろ「これなに?」と古びたタイガー計算機に見入っている方が目立つのです。ボランティアのデスクには実演の出来る1台が用意されています。
「なんでもいいから2桁の掛け算を言ってごらん」と問題をだすと「6×9は?」。「それって1桁の計算だけどまあいいや、やってみましょ」とハンドルを回して「ほらここに54と答えが出ている」「ホントダア」と声をあげるのは子供たちで、おかあさんは「あれ、掛け算て足し算なんですねえ。これなら計算の仕組みがわかりますねえ。どうして学校でこうしたことをやらないんでしょう」と感激一入。「でも例えば×998だと廻すのが大変でしょう?」「いやそれは桁を三つずらしてまづ1000倍、そこから2回分を引けばいいから、回転は3回で済むのです」「なるほどネエ!!」
タイガー計算機生みの親の大本寅治郎さんがこの計算機を製品として完成したのが大正12年のこと。昭和15年の販売価格は155円。その頃東京帝国大学の授業料は年間120円、ビール1本が50銭でした。電卓の進出に押されて昭和45年には製造の幕を閉じることになりますが、最終時の価格は3万5000円だったそうです。
「割り算もできるの?」「割り算は引き算ですからね」とハンドルを逆に回しての実演。「チーンとベルが鳴ったら1回もどしておしまい」「この音がイイネエ」と昔使った経験のあるおじさまの感想。ついでに開平を披露しようものならもうこれが魔法の機械のように感嘆しきりです。電卓であればボタンを一つ押すだけのことで、そのなかでどのようなプロセスが行なわれているのか皆目知ることができません。メカニズムを理解するということは物事の本質を理解し論理性を養う上で大変大切なことだと思うのですが、いまやすべてブラックボックスの中の出来事。計算尺や7桁の対数表なんて、関孝和の算盤と同じレベルでの歴史的な存在になってしまっているのです。インドでは二桁の掛け算を暗記するそうですが、四足演算の基礎ぐらいはしっかりと勉強してほしいものです。
それにしても“タイガー”は人気がありますネ。
2009年7月6日 記>級会消息