一葉と横光利一/武田充司@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
以前、山本夏彦の「完本 文語文」(平成12年:文芸春秋刊)という本を読んでいたら、横光利一と樋口一葉のことが書いてありました。
僕の勝手な解釈ですが、著者が言いたかったことというのは、こんなことだったと思うのです。
横光利一は小説の神様といわれ、昭和十年代には一世を風靡しましたが、結局、今になってみれば、長く日本人の心をとらえて生き残ったのは、神様の作品ではなく、僅か21歳の一葉が、貧乏生活のどん底で、短時間に書きのこした短編の数々だったのですが、この違いは、表現手段としての口語文と文語文の違いによるのではないか、というのです。一葉の文があんなに美しいのは、彼女ひとりの力ではなく、長い文語文の伝統という先人の肩の上に乗って書いているからで、それに比べて、横光利一の口語文には、そうした先人の遺産を利用できないことによる弱さがある、というわけです。
実は、僕も高校時代に、先生から小説の神様の話を聞かされ、一時、「旅愁」など幾つかの横光作品を熱読したのですが、直ぐに熱がさめ、一葉に回帰しました。一葉の作品は高校時代に殆ど読み尽くしてしまいましたが、下町育ちの僕には、一葉の世界がどこか懐かしいものだったので、自然に好きになったのだと、ずっと思っていましたが、山本夏彦の本を読んで、なるほどと思いました。
萩原朔太郎の口語詩「竹、竹、・・・竹が生え」とかいうあれも、根底には文語文の素養があって生れた緊張感ではないかと思うのですが、彼も晩年には文語詩を書いています。宮沢賢治にも文語詩があったと思いますが、一般には、こうした大詩人も、晩年には詩作の源泉が枯れてしまって、月並みな文語体に安らぎを見出したと見られているようです。しかし、どうもそれは違うと思うようになりました。これも、僕自身が年を取ったためでしょうか。
自然な文語文を書ける世代は、一葉、鴎外あたりで終ったらしいですが、その後も、戦前までは、文語文の精神風土は生きていたと思います。しかし、戦後になって、それも破壊されてしまったので、今や、一葉の口語訳が必要な時代になってきたようです。しかし、鴎外の「即興詩人」の口語訳などという愚行はないでしょう。ただ、あの美しい「即興詩人」の語り口や、藤村詩集が愛唱されなくなってしまうのは残念です。
ところで、「お前のその締まらない文章はなんだ!」と言われそうですが、実は、「完全な言文一致」を目指して、話し言葉で文を書いたらどうなるかを、このブログで実験しているところなのです。「ブログは話し言葉の世界」なのだからと勝手に決め込んでの実験です。しかし、確かに、これはやりにくい。自分でもうんざりしています。
2009年6月15日 記>級会消息
武田さんの文章に対する感度の鋭さに感嘆しました。このような感覚は、美しい日本語、日本文を守るのに大変重要だと思います。
その中で、コメントを書くのも恥ずかしい次第ですが、敢えて一言書かせていただきます。
小生も、御多分に漏れず 樋口一葉は熱心に読みましたが、明治時代の東京の雰囲気や、戦災にも残った本郷、根津には、それが残っているのに強い関心を持って読んだ感じです。横光利一の「旅愁」には、あのロマンチックさに衝撃を受け、安っぽいパリへの憧れを持ちました。
その程度の読み方で、武田さんの感度に比べるとお恥ずかしい次第です。今後は、少し心して、文章を読みたいと思いました。
コメント by 新田義雄 — 2009年6月17日 @ 16:55