徒然なるままに…(瀧)/鷹野泰@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
「水主火従」の時代に電気工学の道に入り込んだ我が人生は偶然ではあるが、瀧と縁が多かった。
仕事の関係で住み着いた大阪北摂の箕面は古くから瀧で有名な観光地である。また、これも仕事上短期間ではあったが生活したカナダ中部には世界的に有名な「ナイヤガラの瀧」が、越中の富山には立山の水を集めて日本一の落差を誇る「称名の瀧」があった。更に、学生時代特にお世話になった先生の名は「瀧先生」である。
瀧を見ていると、三水偏に「龍」と書く本来の漢字が示すように、ある種の神秘的霊気・霊力を感じて来る。戦後まで生きていた俳人後藤夜半の句に
「瀧の上に水あらわれて落ちにけり」
と言う有名な句がある。箕面公園に句碑もある。確かに見ていると瀧の上に何かが現れどうどうと落ちて来る神秘な力を感じる。夜半がこれを単に水とまで単純化して表現したところが俳句として評価されるのだろう。ただ正直なところ、この句が「瀧を詠むでこれ以上の名句は現れない」とまで高く評価されている価値判断はまだ自分の句力の及ばない所である。同じく、夜半の
「瀧落ちて群青世界とゞろけり」
と言う一句の方が解り易い。
箕面の瀧は落差も33メートルで小さく、何故昔からこれ程の賛辞を受けてきたかは、それなりの歴史があるからなのだろう。
立山の「称名の瀧」は小生の最も好きな瀧の一つである。落差350メートルで水量の多い夏場は瀑布と呼ぶのに相応しく、霊峰立山(雄山)の水を集めて轟いている。真夏でも寒くなり長時間見ていられないほどである。俳句で瀧は夏の季語として取り扱われていることも頷かれる。正に霊気にも捕われ、異常な気持ちにもなる。明治の末頃、「萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く不可解」と日光の華厳の瀧に一命を投じた我々の大先輩の有名な話も自然に思い出される。自分も一句と、
「雄山なる霊気やここに瀧となり」
と詠んでみた。厚かましくも前掲の夜半の句と並べて見ると、大きな落差を歴然と感じ寒気を感じる次第。
瀧に関し話は尽きないが、最後に瀧に纏わる失敗談を付け加えよう。それは数年前にイギリスのCotswolds地方を妻と二人で地図を頼りにレンタカーで散策した時のことである。ユックリと広々としたあの丘陵地帯に展開している古く素朴なイギリスそのものを満喫できたことは、いまだに良い思い出であるが、その最後の日、地図上で見付けた瀧(fall)を訪れようと、好奇心から2-3時間掛けて探して見た。遂には車を放棄し、イギリスで普及しているフットパス (footpath)を歩きやっと見付けたところは“waterfall” ではなく “waterfowl (水鳥)”の飼育場だった。これがイギリスのジョークなのかそれとも地図製作時のミスプリントだったのか未だに判らないでいる。
2009年5月18日 記>級会消息