近頃思うこと(その6)/沢辺栄一@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
約40年前、ボストン近郊に住んでいた時、地下鉄に乗ったらドアの脇のスペースに貼られた「人口爆発が人類を破滅させる」と印刷されたA0版の広告に目を奪われ、人口問題は大変なことだと感じたことを思い出す。
また、御存知のように37年前、スイスに世界中の科学者、経済学者、教育者、経営者等の賢人が集まり設立された民間組織であるローマ・クラブが「成長の限界」を発表し、当時のままの人口増加、工業化が進めば100年以内にその成長は限界に達すると結論付け、将来長期に亙って持続可能な安定性を打ち立てる事も可能であるとし、人口成長、経済成長を抑制し、安定成長の状態にすることを勧告したことを聞き、驚いたことを覚えている。その後の同クラブの動きは知らないが、同クラブの結論が今日にも生きているとすれば、後約60年で成長が止まる事になる。
その後、農業技術の進歩もあってか、最近まで余り人口問題は表に出て来なかったが、近年、中国、インドの多人口国家の急激な経済進展等により、エネルギー問題、食糧問題がクローズアップしてきた。中国はアフリカに農業生産のための土地を確保したと聞く。
地球的見地からの立場から考えると、地球全体の人口増加はエネルギーや資源の消費も増加するし、食糧問題でも望ましくないと一般的には考えられる。この観点からは今問題にしている日本の少子化、人口減は全地球的に見たら望ましい事ではないかとか、地球、人間も自然の産物であり、人工的行為より自然淘汰に任せた方がよいのではないかとも思ったりする。詳しくは知らないが、日本では江戸時代に約200年にも亙って人口が約3,000万人とほぼ一定で、しかも、限られた狭い面積の中で色々な方面で繁栄をした経験を持っている。この裏には人道的には問題のある行為もあったと推察されるが、また、現代人には戻ることのできない生活状態ではあるが、江戸時代の成長のない長い間バランスのとれた社会が続いた仕組みは一考に価するのではないかとも思う。
成長の無い経済では生きていけないのであろうか。経済的に成長の無い社会は人間にとって不幸な事なのであろうか。そのような社会は自由でなく管理された状態でしかありえないのであろうか。江戸時代の社会システムの研究がローマ・クラブの言う成長の無い長期繁栄を実現することに貢献するのではないかと思ったりしている。人間の叡智は無限である。成長の無い永遠の繁栄をもたらすシステムが考えられ、生まれ出ることを願う最近である。
2009年5月4日 記>級会消息
僕も、あの当時、「成長の限界」を読みました。いまや、地球人口の定員を真剣に考えてもよい時期に来ているのでしょう。「生存限界定員」と「最適定員」とあるでしょうが、前者は、この文明社会には適合しそうもありません。したがって、人口の削減のみが意味のある解決策だと思いますが、集団としての人間、特に、現代の「経済的政治的人間」には、それが出来るのでしょうか。
人口減が経済的困難を惹き起すので、少子化対策が必要だと言うのは、いかにも安易な、問題先送りに聞こえてなりません。人口減少でも安定な社会状況を作り出す政策を考えるのが、専門家の仕事で、何でも右肩上がりでなければやって行けないというなら、専門家など必要ないように思います。我々技術屋だって、金をかけないから良いものが作れないなどと言っていたら笑われますから。
コメント by 武田充司 — 2009年5月5日 @ 21:38