蘭学事始/斎藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
過日寺山さんが寄稿された「四苦八苦の技術屋英語(上・下)」面白く拝見しました。
科博の2階、前にお話しした田中久重さんの万年時計の奥に江戸時代に活躍した先駆者たちの業績が展示されています。塵劫記の吉田光由、その弟子の関孝和、51歳で天文学の勉強を始て「大日本沿海輿地全図」を完成させた伊能忠敬などなど。それらについてはまたあらためてご紹介するとして、今回は寺山さんのお話しと関連して杉田玄白の展示と業績をご紹介しましょう。
彼が解体新書の翻訳を手がけた頃はもちろん蘭和辞書なんてありませんでした。彼は「僅か一二寸ばかりの文章、一行も解し得ることならぬことにてありしなり」と蘭学事始に記しています。「鼻のところにフルヘンヘッドせしものなりとあるに至りしに、この語わからず。(中略)フルヘンヘッドの訳注に木の枝を断ち去ればその跡フルヘンヘッドをなし、庭を掃除すればその塵土聚まりフルヘンヘッドをなすというように読みだせり。これは堆くといふことになるべし」と、まことに苦労が目に見えるようです。
玄白は小塚原刑場で死刑囚を腑分けしたとき、その体内の様子を見て、「古来医経に説きたる肺の六葉両耳の分かちもなく、腸、胃の位置形状も大いに異なり、ただ和蘭図には異なるところなきにみな人驚嘆せるのみなり」とターヘルアナトミアの正確さに驚いてその翻訳を思い立ったと言います。
この辺りの展示を観る方たち、おとうさん、おかあさんが子供に熱心に説明しているのに感心します。これまで三度ほどあった質問は「六腑のうち三焦ってなんですか?」。五臓はご承知のとおり。腑は容れもので中が空洞の臓器を言い、六腑は胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦。三焦は上焦、中焦、下焦の三つに分かれていてホルモン、リンパ管系を含む内分泌系の臓器の総称です。古くから今で言うメタボ、ホルモンつまり人間の活性機能に着目しているのには感心します。伝来の医学は臓器の位置形状を間違って認識していたとしても、人としての機能にはしっかりした眼をもっていたようです。さる病院の入口に「病気を見ずに病人を見よ」と書いてあったのを思い出します。漢方医学が見直されているのもこうした経緯によるのでしょう。
玄白展示の周辺には現代医学の芽生えを感じさせる貝原益見の房事養生訓、奥田万里が制作した木骨模型などがあります。江戸中期に作られた銅人は1mほどの背丈の人型。これには十四経路と人体のツボがしつらえられていて、鍼灸を学習する者がツボを正確に突くと水銀が出るようになっていたとか。ゲーム感覚の学習思想がもうこのころから芽生えているのですね。こうした展示を見ていると21世紀の科学技術を考えるためには江戸時代の技術をもう一度見直して見るのが近道のように思えます。
玄白が回想録「蘭学事始」を書いたのはなんと八十三歳のとき。ということは諸兄もまだまだ世間のお役に立ちうる年齢ということ。
皆さん元気で若い人たちの役に立ってください。
(写真はターヘルアナトミアと銅人)
2009年4月6日 記>級会消息
参考までにお知らせします。杉田玄白様の墓が港区愛宕の栄閑院猿寺にあるのを御存知ですか。家内の母方の墓が栄閑院猿寺にあるので時々お参りしていますが、その度に杉田玄白様の墓の前を歩いています。
コメント by 高橋 郁雄 — 2009年4月7日 @ 09:31
高橋さん、ありがとうございました。
知りませんでした。そのお寺どのへんでしょうか。
コメント by サイトウ — 2009年4月8日 @ 18:01
栄閑院猿寺の住所は「東京都港区虎ノ門3丁目-10-10」です。NHK放送博物館がある愛宕山の広場の西側にある階段を降りて愛宕トンネルの西側へ降り更に西へ道なりに歩き一つ目の曲がり角を右へ曲がって直進すると何軒目かに、右側にあります。Googleの地図検索で上記の住所を入れて検索すると詳しい地図を見ることが出来ます。機会があったら訪ねてみて下さい。
コメント by 高橋 郁雄 — 2009年4月9日 @ 12:05
栄閑院の入口の左側に「都遺跡 杉田玄白墓」と書かれた石柱があります。
コメント by 高橋 郁雄 — 2009年4月9日 @ 12:20
先程のコメントに間違いがありました。
「都遺跡→都史跡」と読み替えて下さい。
コメント by 高橋 郁雄 — 2009年4月9日 @ 13:31