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  • 放送衛星の黎明期(下)/大曲恒雄@クラス1955

    2. 打ち上げ準備
     衛星の管制はNASDA(宇宙開発事業団)の筑波宇宙センターが中心となり、


    また、本来のミッションである実験は鹿島にある郵政省電波研究所の主局が中心となって行われることになったので、そのために必要な機材を製造・納入した。特に衛星との直接的なインターフェイスとなるテレメトリ/コマンド系のシステムは、GEで使用していた衛星試験用チェックアウトシステムをベースにして管制のためのシステムを製造・納入した。

     打ち上げに先立ってGEの運用支援関係技術者十数人が来日し東芝の技術者と一緒に筑波で管制チームを支援した。GE技術者の歓迎会で、日本酒を初めて飲んで気に入ったのが何人かいて腰を抜かす騒ぎ発生、後始末に苦労する事件があった。
     筑波宇宙センターで仕事をする東芝関係者が多数、長期間存在することとなったため宇宙センターの敷地内に臨時事務所を設置した(一時期は所長と女性スタッフを配置)。会議スペースの他に仮眠もできる和室、キッチンや自動販売機も備えた立派なものであった。また、3交替の支援チームを編成したがメンバーのやりくりや、シフト切り替え時の処置などには苦労した。
     これらの仕事のため、小生は打ち上げの年の前半、毎週半分くらいは筑波勤務をすることとなった。当時は筑波、土浦付近に宿泊施設が少なく出張の度に宿の確保に苦労させられた。

     当時のNASDA管制チームの責任者はNHKから出向されていたM氏(後に衆議院議員になられた)だった。豪放なタイプの方で打合せの際に喧々諤々の大議論となることもあったが、今となっては大変懐かしい思い出である。打ち上げが近づくにつれてリハーサルやミニリハーサルが頻繁に行われ、緊張が徐々に高まって行った。打ち上げ直前には一時東芝事務所内が定員オーバーとなり、イスが足りなくなる騒ぎが起こったこともある。

     衛星は1978/2 ケープカナベラルのNASA東部射場に搬入され、一連の性能確認試験、AKM(*1)取り付け、燃料注入が行われた。
     (*1)AKM:Apogee Kick Motor 衛星に搭載された固体ロケットで、いわば4段目のロケットに相当する。

    3. 打ち上げ~静止軌道投入~動作チェック~運用テレビジョン学会誌(a).jpg
     衛星は1978/4/8 NASAのデルタロケット(3段ロケット)で打ち上げられ、「ゆり」と名付けられた。
     まず、遠地点高度約36,000Kmの長楕円軌道(トランスファー軌道)に投入され、次に地球を2周半した所でAKMを噴射してほぼ静止軌道(*2)に近い軌道(ドリフト軌道)に投入された。その後、姿勢安定化、太陽電池パネル展開、初期動作確認、軌道変更など一連の初期運用を経て約3週間後に予定の静止位置
    (赤道上空東経110度)に達した。
                   (参考資料:テレビジョン学会誌1979/10)

     (*2)静止軌道は赤道上空約36,000Kmの円軌道で、この軌道上を3.07Km/secで東向きに飛ぶ衛星は地球の自転と同期して静止衛星となることができる。しかし、本当に“静止”させるためには非常に精密な軌道制御を必要とする。ちなみにBSの軌道保持確度は東西(経度)及び南北(緯度)とも±0.1度であった。

    余談1)“鷹野地球儀”では56cm離れた所に相当し、まさに宇宙空間に飛び出したという感じになる。これは月までの距離の1/10に近い。静止衛星を実現するにはここまで衛星を持ち上げる必要があり、非常に大きなエネルギーを必要とするということである。
    余談2)1945年にSF作家のA.C.クラークが「静止通信衛星3基で地球のほぼ全域をカバーできる」という構想をWireless World誌に発表している。

     宇宙空間で産声をあげた衛星が目を開け、腕を伸ばし、やがて五体満足なことを確認されて指定の住み処に導かれ、我が国初の放送衛星が誕生するという歴史的なドラマに管制中枢の直ぐ近くで立ち会うことができた。これは非常に幸せな経験であったと思っている。
     
     BSは何しろ我が国初めての三軸姿勢制御方式衛星であり、いろいろな問題に初体験の機会を与えてくれたとも言える。その一例が1978/6/27 Stabilization Panicの発生で、大事件であった。
     軌道の制御には大きな推力の出るスラスターをペアで使うがそのバランスが狂うと衛星の姿勢に大きな影響を与える。この時は何らかの原因で姿勢制御が乱れ、衛星が回転運動を始めた。太陽電池パネルからの電力が正常に得られないために処置がもたつくと衛星が“凍死”してしまう危険性があったが、関係者の冷静・適確な処置で何とか大事に至らず復旧することができた。
     1978/7/20まで各種のチェックが行われた後、定常運用段階に移行し打ち上げ支援隊が解散した。この後は電波研究所が主体となり、本来の目的である実験用放送衛星としてのデータ取得を目的とする各種実験が行われた。

     幾つかのトラブルにも遭遇して100点満点とは行かなかったようだが、実験用放送衛星としてのミッションは十分に果たし、何よりも我が国初めての三軸姿勢制御方式衛星の運用技術・経験の蓄積という大きな成果を残してBSはやがて寿命終盤を迎えることとなる。
     昔の手帳に1982/1/21、BS寿命末期運用に立ち会ったとの記録が残っていた。どのような運用がされたのか覚えていないが、この後間もなくBSは最後の燃料を使い果たしテレメトリ電波を止めてミッションを完全に終えることとなった模様である。

     間もなくBSが打ち上げられてから31年になる。ミッションを終えてからも既に久しいが、今も宇宙の遙かな高みから地球を見下ろして静かな余生を送っているに違いないBSの姿に思いを馳せてみた。
    (この原稿をまとめるに当たり、元東芝GE駐在所長大武逞伯氏のサポートを得たことを付記し、謝意を表する)

    1件のコメント »
    1. NHKは昭和41年から本格的に放送衛星の研究、開発を開始し、実験用放送衛星、実用放送衛星につなげた。我々のクラスでは斎藤さんと沢辺がこれらの研究、開発に関係した。昨年は実験用放送衛星の打ち上げ30周年でNHKの関係者が集まりお祝いをした。また、今年は衛星からの本放送が開始されて丁度20年になる。
      最近アーサー・クラークが亡くなられたが、静止衛星による通信の構想はクラークより前1929年にオーストリアの軍人ポトクニクが提案している。ご参考まで

      コメント by 沢辺栄一 — 2009年3月23日 @ 07:52

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