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  • 世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」を訪ねて/西道夫@クラス1955

    昨年12月、旅行社のツアーに参加し、石見銀山を見てきた。
     1.場所:出雲大社の西南西40km、瀬戸内からは広島市の北北東80km、


    日本海からは5kmの山間にある。
     2.ユネスコの世界遺産に登録:銀鉱石や銀の海外への積出港であった地区をも含め、次の三カ所がまとめて「石見銀山遺跡とその文化的景観」として2007年に登録された。
      A.大森地区:良質の銀鉱石を含む鉱床が分布し、採掘、精錬が行われた地域
      B.馬路・鞆ヶ浦地区:銀山開発初期の16世紀中頃の銀鉱石搬出港
      C.温泉津・沖泊地区:温泉津は銀山の生活を支えた港、沖泊は16世紀後半の銀搬出港

     3.今回の行き先:Aの大森地区に行った。北東から南西方向に当時の道約4kmがあり、東の端に城上神社、大森代官所跡(今は石見銀山資料館)、ここから緩やかな上り坂で両側には役人(武士)や商家、売店、個人の住居、お寺などが当時の構造そのままの姿で並んでいる。1km程で銀山公園に着く。更に進むと建物は少なくなり、3km先に龍源寺間歩(マブ)がある。  資料館前で.jpg 
      資料館の前で

     間歩とは銀鉱石を採掘する坑道で600以上確認されているが、公開されているのはここだけ(約200m歩くのみで400円)。今回は時間が少なかったので銀山公園の駐車場から街並みを見ながら東方向に歩き、前記の資料館内を見た後、公園に戻った。

    龍源寺間歩入口.jpg   龍源寺間歩内部.jpg  街並み.jpg
       龍源寺間歩入口    龍源寺間歩内部       街並み

     世界遺産に登録された理由は昔の街並みがそのまま残されていることにもある。壊れかけた建物がそのままのもあれば、昔の形状に修復した建物もあり、住民の努力が偲ばれる。今回のツアー客の中には間歩のみ見に行った人達も居たが、トンネルを歩くだけでつまらなかった、とのこと。(バスガイドも同じことを言っていた)
     4.歴史:石見銀山は1526年に博多の豪商神屋寿禎によって発見されて以来、1923の休山まで約400年間採掘されてきた世界有数の鉱山遺跡である。17世紀初めには世界の産出量の約3分の1が日本銀(殆どが石見産)で占められた。最盛期にはここで年間1万貫(約38屯)の銀が生産され、当地域の人口は22万人にもなっていた。
     5.付け足し
     ①今回のツアーはこだま号で岡山下車、バスで帝釈峡(楓は殆ど落葉/昼食)、おろちループ(720度廻って高度150m下がる)、宍道湖温泉泊(黄金色に輝く夕日、雲、湖面は素晴らしかった)、出雲大社、石見銀山、そして広島からのぞみ号で大阪に帰着した。
      ②石見銀山の記念切手がある。80円切手10種セットのシートで、散策途中の郵便局で購入した。勿体ないので、未だ使用していない。
      ③石見では銀鉱石の他、砂金(当時の日本刀の原料)も多量に採取された。今まで砂金は海岸で取るものと思っていたが、これは磁石を持つ現代の子供の常識に過ぎなかった。   以上

    4 Comments »
    1. 西さんの旅行記は毎回興味深く読んでいますが、今回は山陰の石見銀山遺跡でしたので、色々な事を思い出しました。私は岡山で育ったのですが、戦時中から敗戦後であったため、意外に中国山脈を越えて、山陰を訪れたことがありません。会社勤務中に部下の結婚式で米子へ行っただけです。今回の街並みの写真はいいですね。ぜひ山陰へ旅行してみたいと思いました。高校3年の時、母校の岡山朝日高校の野球部が県大会予選で優勝したのですが、東中国大会の準決勝で鳥取西高校に延長の末敗れ甲子園への夢が断たれました。当時は米子高校など山陰勢は野球が強かったの思い出しました。

      コメント by 大橋康隆 — 2009年2月2日 @ 12:29

    2.  今回も、西兄の旅行記は簡にして要を得ている。北の方、出雲大社や宍道湖、又南の帝釈峡などは行った事がある。しかし、石見銀山はなかなか機会が無かった。
       しかし、もう行く必要も無い位である。特に、見たいと思っていた坑道の址が期待外れらしいので、尚更である。
       佐渡の金山を見学した時は、その凄まじい水との格闘、特に水汲み人夫の過酷な重労働に圧倒された。石見はどうだろうと思っていたわけである。
       

      コメント by 寺山 進 — 2009年2月3日 @ 10:46

    3. 石見銀山に行ってみようと地図まで用意してありますが、まだ実行に至っていません。是非行きたいと思っており大変有益なお話でした。すぐる年にゴールドラッシュ時代に栄えたアリゾナの金鉱にいったことがあります。近くに superstition mountain というのがあって当時の物凄さを彷彿とさせていましたが。

      コメント by 匿名 — 2009年2月4日 @ 22:55

    4. 上のコメント(3件目)の発信人は斎藤さんです。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2009年2月5日 @ 23:01

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