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  • 彼方此方、さ迷う/寺山進@クラス1955

     妙な題であるが「この道一筋」の対義語のつもりである。褒章などを受けて世間から賞賛されるのは、「この道一筋」である。級友にもそういう立派な人が多い。


     翻って我が身を鑑みるに、汗顔の思いである。山下英男先生から「君を最も必要としている処」と言われて就職先を決めた。確かに電気屋が少なかった。その上、戦後の技術革新に伴う高度成長が始まっていた。ドンガラ即ち鉄鋼構造物と機械本体以外の、新しい技術分野に首を突っ込む機会が多くなったのである。「広く浅く」と云えば聞こえは良いが、「何でも屋」で結局何も物にならなかった。
     その中でも特に後々、全く役に立たなくなったもの幾つかを挙げてみる。
    墨入れ
     入社当時の図面はまだ青写真だった。墨を入れないと明瞭なコピーにならない。「大学出は図面もろくろく引けないくせに、理屈ばかり言う」と云われたので、「やってやろうじゃないか」と思った。冷房の無い、蒸し風呂のような設計室で、悪戦苦闘した。完成寸前の原図の上にポタッと汗が落ちて、墨汁と共に黒いしみが広がって行く。その時の泣くに泣けない気持は今でも夢に迄見る。しかし秋風が吹く頃には「大学出にしては巧い」と、その道一筋四十年のトレーサーに褒められた。
     ところがその後一二年で新しい複写機が導入され、原図は鉛筆書きで良い事になった。それどころか、墨入れは非効率だからと禁止される迄に至った。高等小学校を出た十四五歳から四十年、朝から晩まで墨入れだけで、背中が曲がってしまっていたトレーサーの気持はどうだったのだろうか。
    タイガー計算器
     一年後の1956年秋「原子力船調査会」に会社の代表として参加しろと、突然命令された。米国から原子力平和利用の文献が大量に公開され、一種のブームになっていた頃である。しかし、船関係の資料は無い。これは当たり前で、空母や潜水艦は高度な軍事機密である。
     小生が加わった時、会の方では資料が無いなら自分達でやる・・と舶用原子炉の設計を既に始めていた。東芝や三菱重工等、各社からエリートが来ていたが、皆さん三十歳前後で小生が一番若かった。必然的に臨界量の数値計算担当になり、三四カ月間朝から晩までタイガーを回し続けた。10桁の掛け算・割り算を何千回とやった筈だ。阪神のエース、フォーク・ボールの村山が腱鞘炎になった時、俺の方が先輩だと思った。
     若しこの頃全国コンクールが有ったら、上位入賞間違いなしだったと自信がある。10桁の数字を一目見て、時計方向に何回、逆に何回、その間左親指の桁送り何回、手首の運動回数を最小限にする手順が分る様になった。しかしこの技能も、数年後に「答一発」の電卓が登場し、アッという間に無駄になってしまった。
     その他例を挙げればきりが無い。OKITACという科学技術用計算機の第1号機のユーザーになった。主記憶はたったの4Kである。機械語レベルの言語でプログラムを組むのに徹夜したり・・真空管や初期のトランジスターで手作りの計測器を使ってデータ収集したり・・その時点では便利屋として重宝がられても、今となっては役に立たない技術である。
     技術史を繙いても、最終の姿まで一直線に進む事は殆ど無い。自動車の創成期には百花繚乱、電気自動車が本命といわれた時期もあったようだ。現生人類の進化史でもそうである。600万年前にチンパンジーと分岐してからでも、専門家によっては二十種以上のホモサピエンスが現れては消えたという。
     我々即ち現生人類が進化の過程で生き延びた痕跡は、我々の遺伝子の中にジャンク領域として残っている。しかし最新の研究では、ジャンクは全くの無駄ではなく、有為の遺伝子の発現等に影響しているともいう。
     人類を超え哺乳類、生命自体、更には太陽系、宇宙そのものの発生以来、この道一筋とは全く逆の、多岐に亘る迷路と無駄の中から、幸運と奇跡に恵まれて『自分という存在』があるのかも知れない。

    6 Comments »
    1. 題名からは想像できない内容に共感しました。「墨入れ」と言う言葉には、新入社員時代に多くの思い出があります。回路図をはじめ重要な図面は「墨入れ」をする必要があり、班長さん以下全員女性のグループには、緊急事態の要請やミスの修正のお願いで、再三頭を下げてピンチを助けてもらいましいた。また、これらの「墨入れ」の図面の保管部門があったが、先輩から「オキハラ」さんの所に行って探して来いと言われました。大きな声で「沖原さんお願いします」と言うと「いくら背が高いからといって大きい、大きい、と言わないで下さい」とこわい顔をされて吃驚しました。実は、2人原さんと言う女性がいて、大きい原さんといわれたのを勘違いしていました。タイガー計算器にも、お世話になりました。アナログからデジタルに移行した頃、学会に間に合わすために、仲間と交代で符号器のS/N計算を仕事の終了後、夜遅くまで数日回し続けました。当時、既にコンピューターや電動計算器はありましたが、アナログの濾波器など、利益に直結する部門以外では使用できませんでした。時代が変われば、馬鹿みたいなことを、当時はものともせず、真剣にやってきたものだと思います。

      コメント by 大橋康隆 — 2009年1月5日 @ 12:46

    2.  技術の進歩がそれだけ早いということだと思います。我々が学生の時に学んだ真空管は今や半導体になり、ICになっています。また、メモリも進歩が早く、私が製造に関与したTVの標準方式変換装置に使用した水晶遅延線メモリなどもICメモリに置き換えられて非常に小型になりました。装置の値段も億円単位だったのが百万円程度で出来る時代です。それぞれの時代に必死になって仕事をした結果、今の世の中があるのだからそれでよいのではないでしょうか。

      コメント by 髙橋 郁雄 — 2009年1月5日 @ 22:06

    3. 墨入れやタイガー計算器に苦労した話から人類の進化~宇宙創造にまで発展するストーリー展開はまさに寺山流の面目躍如。大変面白く読ませてもらいました。是非続編を期待したい所です。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2009年1月6日 @ 10:29

    4. 「墨入れ」の話を読んで、ちょっとしんみりさせられ、泣けてきました。昔はいろいろありましたでは済まされない苦労は、誰にもあったのだなあ、と思いました。
       僕も、タイガー計算機には、少しお世話になりましたが、本当にお世話になったのは、そのあとの電動計算機モンローでした。あの小さなボタンが整然と並んだモンローです。あれは、勿論、タイガーよりずっと優れものでしたが、鉄の塊みたいに重かった。休日に家で計算するために、あれをリュックサックに入れて背負って帰る先輩がいましたが、僕は、背負って帰る代わりに、休日出勤してロンモー嬢に付合ってもらいました。
       しかし、暫くして、富士通(富士電機か?)の子会社(?)の有隣電気とかいう会社が、飯田橋だったと思うのですが、店開きして、富士通製(?)の継電器式のディジタル計算機を置いて、計算してくれる商売を始めました。それで、難しい計算になると、有隣電気に出かけて行って、料金を払って計算してもらうことがしばしばでした。しかし、5行5列の行列の固有値問題を解くのに随分時間がかかったように思います。もっとも、僕の問題は、5個の固有値のうちの2個が非常に接近している問題ばかりでしたから、当時としては、仕方がなかったのですが、それにしても、今では信じられない話です。
       その上、僕は、あの3アドレス方式の和製計算機のための計算プログラムを自分で書くために、有隣電気の講習を受けました。
       それからまた暫くして、東海村の原研にIBMの650が設置されました。これを使わせてもらった時には、まさに、吃驚仰天でした。そのあと、三菱原子力にIBMの7090が入って、FORTRANでプログラムが書けるようになった頃には、案外、それほど吃驚もしなくなりました。
       計算機の性能が悪かった頃には、計算時間短縮のための様々な数値計算技法や、解析的手法が考案されましたが、ああいう数学的知恵(技巧?)は、今の人には無縁らしい?「腕力がまかり通る時代は味気ない!」などと、贅沢な独り言を言っていますが・・・。
       

      コメント by 武田充司 — 2009年1月8日 @ 23:09

    5.  諸兄のコメントを有り難く又興味深く拝見致しました。種々な事が脳裏に浮かび、この欄では書き切れません。
       武田兄からは懐かしい言葉を聞きました。電動計算機(フリーデンの方)、有隣電気、650、7090。FORTRANに吃驚仰天したのは7090で、これ以来コンピュータが「Black Box」になりました。
       今週動き出した新しいパソコンで、このコメントを打っています。これは正に「Magic Box」で、あのOKITACが進歩した物とは到底思えません。

      コメント by 寺山 進 — 2009年1月10日 @ 11:41

    6. そうですね、フリーデンもよく見かけました。しかし、うちの会社はモンローばかりでした。それも数が少なかったので、奪い合いになることがありました。そのため、パラメータを振って多くのケースを計算するときなどは、モンローをリュックサックに入れて、家に持っていってしまう不埒な人もいたわけです。

      コメント by 武田充司 — 2009年1月10日 @ 23:05

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