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  • 1953年の夏(PartⅡ)/髙橋郁雄@クラス1955

     大橋君が書いた1953年の夏の続編を書いてみることにした。

     この見学旅行で印象に強く残っているのは、宇奈月温泉に一泊(桃原旅館)した後、発電所へ行く途中のトロッコ電車である。それと、見学が終了した後、京都・奈良・橿原神宮等を見学して帰ったことである。 トロッコ.jpg 
     吉沢君、太田(宏)君、大沼君 ↑
    比叡山.jpg  7月11日に愛本の発電所を見学の後、夜行列車に乗り翌12日早朝大津駅に下車、比叡山に登った。この時は写真に写っているメンバー(朝日出文雄、太田宏次、大沼義一、大橋康隆、高橋郁雄、中橋信弘、吉沢武司)がいたようである。
    その日は比叡山から西側へ降り、銀閣寺、南禅寺、平安神宮、八坂神社等を巡り、翌13日は、知恩院、清水寺、苔寺、嵐山、保津川下り、三十三間堂、東本願寺、西本願寺等を巡っている。
     比叡山頂にて
     12日と13日は京都に宿泊(宿代が400円と記録にある)し、14日は奈良に宿泊したという記録が残っている。14日、15日は、京都御所、北野天満宮、二条城、宇治川、桃山御陵、橿原神宮、東大寺の大仏、法隆寺、興福寺南圓堂、猿沢の池、若草山等を巡っている。 建礼門.jpg 
     京都御所建礼門前にて

     あまり多くの場所に行ったので、一つ一つを必ずしも覚えているわけではないが、各所で押したスタンプ印が、証拠として残っている。15日の夜は夜行列車の中で過ごし、翌16日早朝(5時28分着)に東京に帰ったというわけである。

    2 Comments »
    1. 1953年の夏(PartⅡ)を読んで昔の記憶が少し蘇ってきました。私も黒部発電所見学の後、京都、奈良を旅行した記憶があります。それにしても、日付や訪問先が、スタンプ印等で、正確に再現されているのには感服しました。私は戦中、戦後自分のカメラを持っていなかったので、その頃の貴重な写真は友人、知人から頂いたものだけです。1961年に留学する時、初めて免税でカメラを買いました。フルブライト受験の書類に、過去10年間の住所を書く欄があり、4ケ所の住所しか書けないので、それをかなり超過していたので、追加住所の添付を要求されました。帰国後26回目に国立富士見台住宅公団のクジが当たり50歳までお世話になりました。数学の達者な仲間が当時の制度では、100歳まで生きても当たらない人が4%いる。50%以上の人が満足すればよいのが民主主義だから、運がよい方ですと言われました。そうゆう訳で引越しの度に貴重な記録が失われて残念です。NEC退職記念講演の時も、唯一の頼りはパスポートの入出国のスタンプやホテルの領収書であり、過去の記録は大切にするものだと痛感しました。ところで、1955でんきけいのブログは各自のPCに保存できるのでしょうか。良い方法があれば教えて下さい。ぼけるまで楽しみにしたいと思っています。

      コメント by 大橋康隆 — 2008年12月29日 @ 15:24

    2.  大橋さんコメント有難う。カメラについては私も同様に自分のものは持っていませんでした。ただ、この時は近所の人から借りたカメラで自分で撮影しました。勿論フィルムカメラで白黒でした。今度このブログに載せた写真はその写真をスキャナーでJPEGファイルに格納してそれを使いました。
       ブログの内容を各自のPCに保存する方法はあります。次の二つの方法が判りました。
      (1)保存したいブログの記事をカーソルで塗りつぶして選択し、「コピー」をクリックして、次にワード文書の貼り付けたい場所にカーソルを置き、「貼り付け」をクリックすれば、保存できます。
      (2)PDFファイルに保存する方法があります。但し、この方法はブログ管理者でないと出来ないようです。必要があれば管理者に申しつけて下さい。PDFファイル作成までは無料で、これを本にする場合は有料になるようです。

      コメント by 髙橋 郁雄 — 2009年1月3日 @ 17:26

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