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  • 昼下がりの運河/大橋康隆@クラス1955

     心に残る思い出は反芻することにより記憶が深まるらしい。油絵を初めて新構造展に一般応募で出展した「昼下がりの運河」には、様々な思い出がある。


    以前「技術から芸術の世界へ」にも書いたが、この出展が契機で会友に昇格して落選の心配が無くなった。この油絵を私は好きだが、残念なことに一般応募だったために2002年の画集には掲載されていない。
     何事でも題名が決まれば80%は進捗するが、油絵でもそうである。この時も数枚の写真を大久保先生に見てもらったが、いずれも絵葉書のようだと、没になったが、この1枚だけが、生活感があってよいと選ばれた。この頃は未だ未熟で、折りたたみ式の50号のキャンバスを担いで下北沢まで電車で通い、先生や仲間の批評を受けながら完成した。上野にも重いのを担いで行き、額縁は借り物。選考の発表は午後5時で、東京都美術館の裏の掲示板を見に行き、自分の名前を発見して胸をなでおろした。落選したら、展示されないので、一層重く感じる油絵を担いで帰らねばならない。

     この作品は、2001年の夏、家内とヴェネチアのサンマルコ寺院を見物して、裏道を通って早く町に出ようとして行き止まりになり、困っていたら隣の橋を渡っていた人が建物のドアを開けて通り抜けたので、成る程と真似をしたら、反対の町に出ることが出来た。
     頭にきた記念に一枚写真に撮ったのが意外に良い構図であった。画題を探すのが毎度悩みの種であり、また楽しみであるが、中々気に入る構図は見つからない。
    昼下がりの運河(大橋)1.jpg 
      昼下がりの運河

     
     この時は、ヴェネチアから列車で西へ1時間位のパドヴァに4泊した。宿は半値以下であり、臭くて高いヴェネチアのホテルより快適だった。1日はブレンタ川の観光船で両岸の別荘を見物しながら、もう1日は定期バスでヴェネチアに行き、帰りはいずれも列車を利用した。もう1日は雨だったので、パドヴァ大学を見学したが、ガリレオがここで教えており講義室の正面の銘板に「自由なくして発見なし」と書かれていた。当時は、死体を扱う解剖学の書籍出版は禁止だったので、秘密の解剖室を作り、冬の真夜中に解剖を行い、学生の頭の中に記憶させたそうです。これぞ真実を探求する学問の真髄だと感銘を受け、改めてイタリアの文化の重みを実感した。当時、パドヴァ大学は、欧州各地から人材を集め、コペルニクスもその一人であり、世界最初の女子卒業生の像があった。

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