昼下がりの運河/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2008年度, class1955, 消息)
心に残る思い出は反芻することにより記憶が深まるらしい。油絵を初めて新構造展に一般応募で出展した「昼下がりの運河」には、様々な思い出がある。
以前「技術から芸術の世界へ」にも書いたが、この出展が契機で会友に昇格して落選の心配が無くなった。この油絵を私は好きだが、残念なことに一般応募だったために2002年の画集には掲載されていない。
何事でも題名が決まれば80%は進捗するが、油絵でもそうである。この時も数枚の写真を大久保先生に見てもらったが、いずれも絵葉書のようだと、没になったが、この1枚だけが、生活感があってよいと選ばれた。この頃は未だ未熟で、折りたたみ式の50号のキャンバスを担いで下北沢まで電車で通い、先生や仲間の批評を受けながら完成した。上野にも重いのを担いで行き、額縁は借り物。選考の発表は午後5時で、東京都美術館の裏の掲示板を見に行き、自分の名前を発見して胸をなでおろした。落選したら、展示されないので、一層重く感じる油絵を担いで帰らねばならない。
この時は、ヴェネチアから列車で西へ1時間位のパドヴァに4泊した。宿は半値以下であり、臭くて高いヴェネチアのホテルより快適だった。1日はブレンタ川の観光船で両岸の別荘を見物しながら、もう1日は定期バスでヴェネチアに行き、帰りはいずれも列車を利用した。もう1日は雨だったので、パドヴァ大学を見学したが、ガリレオがここで教えており講義室の正面の銘板に「自由なくして発見なし」と書かれていた。当時は、死体を扱う解剖学の書籍出版は禁止だったので、秘密の解剖室を作り、冬の真夜中に解剖を行い、学生の頭の中に記憶させたそうです。これぞ真実を探求する学問の真髄だと感銘を受け、改めてイタリアの文化の重みを実感した。当時、パドヴァ大学は、欧州各地から人材を集め、コペルニクスもその一人であり、世界最初の女子卒業生の像があった。
2008年12月15日 記>級会消息