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  • 先を見た人達/小林凱@クラス1955

     かって先人が行った将来予測がどうなったか、秋の夜の楽しみに、偶々節目の年を迎えた二つの例を振り返って見ます。


                                   
    Ⅰ 2001年宇宙の旅

     先日ある紙面でSF作家アーサーCクラークの記事を読みました。先般死去した彼の業績を偲んだもので、懐かしく読みました。代表作の2001年宇宙の旅が発表され、同時にスタンレー・キューブリックにより映画化されたのが丁度40年前の1968年です。その頃私はSFにハマッテ居ましたが、異星人や怪獣の登場と違って、科学への深い造詣をベースに想像力を駆使した話がすっかり気に入りました。
     当時好きな作家には彼とアイザック・アシモフが双璧でした。アシモフも科学への理解が深く、特にロボDSCN0220.02.JPGットの未来に深い関心を持っていて、私見ですがホンダはそのロボットに良い名前を付けたと思います。この名前の意味に付いてはさて置いて、アシモフは既に半世紀前にロボット開発の憲章とも言うべき三原則を作って居ました。
     
      話を本題に戻して、このSF作品に描かれているものが単なる空想だったか、アイデアとして実現して行ったか眺めて見れる時期に来ています。今年は宇宙ステーションの構築も進み、日本人宇宙飛行士も活躍しました。
     アーサー・クラークの話に登場する宇宙ステーションは、いわゆる宇宙軍艦などとは別物で、空間に浮かぶ大きな円盤として描かれ、今日実現した物と形は違いますが基本的な違和感を感じません。また宇宙ステーションの回転運動とか、宇宙基地に居ると骨格が弱くなる話など今日の課題に結びつく着想が含まれて居ると思います。
     またこの作品には、探査船のボーマン船長の他にもう一人の主役として、搭載されたHAL9000なるコンピューターが登場します。このIBMの一文字先を名乗るマシンが1968年でも今日でも大変な代物で、物語の展開からの推察を今様の記述で行うと、このシステムは学習機能で成長し高次の判断能力を備えて行く、高度な通信機能を制御する能力を持ち、多数のセンサーの情報を高速に収集して反応する部分が多数組み合わされ、一部の損傷は残りがカバーして動く大きな分散システムと拝見しました。
     
     他にも色々今日話題となっている話が登場します。またこの翌年にアポロ11号の探査機が月面に着陸し、宇宙探査に関する現実も、SFの世界も大きく変ったのはご承知の通りです。こうした時間的背景も含めて、皆さんも時間を見つけて一読され、40年前の予測を現実と対比をして下さると面白い。なお同じ作者で他に2010 OdysseyTwoと2061 Odyssey Threeの二作を読みましたが、私は第一作がお勧めです。
    Ⅱ 百二十年前の名講義

     今から丁度百二十年前の明治21年(1888年)我国の電気学会が発足します。6月の第一回総会で初代会長榎本武揚の演説に続き、幹事の志田林三郎博士が電気工学の発展の歴史を振り返り、更に将来の展望について講演しましたがその内容が凄い。
     当時は電灯がついて電気車が走った電気応用の揺籃期ですが、今日の情報通信分野の将来を大いに強調しています。その一部を志田博士の講演から引用しますと、DSCN0222.01.JPG
    「以上電気学ノ沿革ヲ考察シ将来ヲ推測スルニ~今仮ニ一ニノ豫期スヘキモノヲ挙レハ一条ノ電線ニ依リ一分時間数百語ノ速度ヲ以テ同時ニ数通ノ音信ヲ送受シ得ルノ時モ到ルヘシ電線ヲ用ヒス数里ノ河海ヲ隔テ自在ニ通信又ハ通話シ得ルノ節モ来ルヘシ~」
     120年前の話ですから細部の詮索は無用とすれば完全実現です。ここで「一条ノ電線デ同時ニ数通ノ~」とあるのは、志田博士はどの様な方式を考えて予測されたか大変興味ある処です。(ご存知の方あればご教授を)
     更に続いて、
    「猶ホ一歩ヲ進メ~想像ヲ試ミルニ光ハ電気、磁気、熱ノ如ク勢力ニシテ唯異ナル所ハ其種類ニ在ルハ~、以テ電気又ハ磁気ノ作用ニ依リテ光ヲ遠隔ノ地ニ輸送シ遠隔ノ地ニ在ル人ト自在ニ相見ルコトヲ得ル方法ノ発見ヲ望ムモ敢テ夢中ノ想像ニアラザルヘシ~」
    これは正に光ファイバーケーブルが世界中に張り巡らされ、画像は勿論のこと大量の情報が飛び交って居る今日です。その他に電磁気学の発展に光も加えての多彩な予測を行っています。
     また博士はこうした将来の進歩に備えて今後研究すべき事項として、広い基礎応用分野に言及しています。その中には、金属の特性と磁気の関係とか、物質の電気特性に与える光の影響とか、何か今日の太陽光発電や各種デバイスの発展に繋がる遥か以前の着想が含まれていなかったのかとも思えます。
     
     この他にも随分多くのテーマが示されていますが、幸いこの講演記録は電気学会百周年記念に復刻版が出来ているので、今日読むことが出来ます。
     志田林三郎博士の肖像は電気工学科教室に掲示されていたと記憶します。それを思い出しながら120年前の将来予測を、ここで振り返って見て頂くのも面白いと思った次第です。

    1件のコメント »
    1. 「先を見た先人」には、大いに感激。特に志田林三郎博士の講演は、電気科の大先輩であり、先見の明には、感服するばかりです。36歳の若さで早世されたことは、日本にとって、世界にとっても痛恨の極みであります。私は、1993年5月31日発行の「先見の人・志田林三郎の生涯」信太克規著(佐賀大学理工学部教授)㈱ニューメディア発行を読んだ時、明治時代の先覚者の偉大さに感嘆しました。私は、NECで光ファイバー通信の初期の開発に従事しましたが、残念なことに、志田博士がどのような通信媒体をお考えであったかは知る由もありません。NECで昭和35年に「伝送の夢を語る」という座談会があり、私も参加しました。その時、機械科出身の同期の伊藤伸一さんが、細い金属線で低損失の電線が出来るだろうと予言しましたが、後に材料は異なるが光ファイバーが実用化されました。私はその時、長時間残業と長時間通勤で疲弊していたので、在宅勤務が出来るようになると予言しました。しかし、司会者が「それでも会社は給料を払う必要があるのか」と質問され、この部分は勤労でカットされて、記録に残らず、残念でした。しかし、色々未来を語ることは、非常に有益な事だと思います。

      コメント by 大橋康隆 — 2008年10月13日 @ 13:54

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