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  • 老技術者の「料理事始」/寺山進@クラス1955

     現役時代の私は、家庭内で右のものを左に動かす事もしなかった。
    60歳過ぎて、二度目の職場に入った頃。妻の母親が亡くなり、86歳の父親と同居することになった。

     「年をとると、食べる事くらいしか楽しみが無い。せめて美味いものでも作ってやれよ。」
    と言っていたのだが暫くすると妻は、父親やニュ-ヨ-クから帰国した孫娘の世話で多忙になってきた。
    言い出した手前、私が料理をせざるを得ない羽目になってしまった。
     妻の時間は余り割いて貰えないので、ここは一つ零から殆んど独力でトライしてみようと思った。

     先ず戸惑ったのが、数量の単位であった。
    レシピを見ると、ダシ1カップ・醤油大さじ1・塩ひとつまみ・砂糖少々等が出てくる。技術屋としては、これが何c.c.なのか、又単位の根拠が何なのかが、気になってくる。
    料理の入門書には案外書いてない。“計量カップはスーパーでも売っています”とこんな事は懇切丁寧だ。

     実物を見ると大さじには15、小さじには5と刻印してあるので、c.c.又はml.単位だろうと分かった。
    カップの方は200c.c.だが、これを使って米を計り、炊飯器で芯のある飯にしてしまう失敗もした。
    米を計る時は、炊飯器付属のカップを使う。これは180c.c.つまり一合だ。あるメーカーは、炊飯器に200c.c.のカップを付けたが、全く売れないので慌てて元に戻した事があるそうだ。
    米が弥生時代から日本文化の基盤になっていて、一番変え難い習慣である事が良く分かる。

     その後も続々と問題が出てきた。
    揚げ物の油温の測定法、包丁等鋼の材質、鍋や釜の構造、小道具類の種類とその機能。更には最近非常に進歩してきている電子・電気的調理器具などなど。材料の切り方、味のしみ込ませ方等の調理法もある。美味い料理が出来ればそれで良い、では済まなかった。
    どうしてそうなるのか、何故この方がいいのか・・・何にでもつまらない理屈をつけて納得しないと、料理が出来ない性格なのである。

     こんな状況からスタートして、もう十数年になる。
    妻が手料理持ち寄りの同窓会の集まりに、私の料理を何度か持って行った。するとその度に、
    「すごく美味しい!」「シンプルな素材なのに、独特のあじがする」「男の人の作る料理は、どこか違う。」
    と評価して貰った。何しろ料理歴何十年のベテラン揃いだ。御世辞抜きにしても、まあまあなのだろう。
    しかし最近は、あまり新しいレシピに挑戦する事が無くなった。
    ひょっとすると、これも老人ボケの始まりかもしれない。この投稿を機会に、心気一転しようと思っている。

    平成二十年九月三日

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