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  • LPの思い出/大曲恒雄@クラス1955

     昭和26年(1951年)春、ちょうど我々が駒場に通い始めた頃、日本コロンビアから国産初のLPレコードが発売された。それまでSP盤4枚8面に分かれて入っていた「運命」が片面に収まっていることに感激したものである。

     何しろ、それまでは7回も曲を中断してレコード盤を裏返したり入れ替えたりしなければならなかったのが何もせずに聴く方に専念できたのだから。まさにLong Playing(注)の有り難みを実感させられた。それにノイズの少なさ(SP盤ではスクラッチノイズが猛烈で、それが当たり前だと思っていた)、音質の良さ、など全く別次元の音という感じであった。
     (注)正確にはLong Playing Microgroove Records
     最初に発売されたLPの中にワルター/ニューヨークフィルの「未完成」(WL-2001)があったが、溝がすり減るほど(ちょっとオーバー?)聴いたことをよく覚えている。価格は小生の記憶によれば10インチ盤が2,100円、12インチ盤が2,700円で、輸入盤は3,500円程度だったと思う。育英会の奨学金が2,300円だった頃の話である。
     現在クラシックの新譜CDが2,800円程度で発売されており、57年前のLPと値段が殆ど変わらない。タマゴが物価の優等生と言われるがLP~CDはもっとすごいことになる。お金の話のついでに思い出したが、当時の授業料は300円/月、3,600円/年、つまり我々は14,400円で卒業できた。まさに古く良き時代であった。
     当時、駒場でレコードコンサート(懐かしい言葉!)が頻繁に開かれていた。後に本郷の五月祭でレコードコンサートをやった記憶がある。レコードは先輩のコネを頼って川崎にある日本コロンビアの工場まで行って借用、プレーヤーはやむを得ず自宅から持参した。
     レコードの主役がCDに代わってから久しいが、最近またLP復刻版や中古品の人気が高まっていると聞く。ヨドバシカメラのオーディオ売り場に行くとレコードプレーヤーが沢山並んでいて、根強いファン層のあることが窺われる。
     CDは音源を標本化周波数44.1KHzでサンプリングした後16ビットでディジタル化しており、20KHz以上はフィルターでカットしているため高域のデリケートな音は省略されている。そのあたりの不満に対処するためSACD(Super Audio CD)が開発されて音に対する不満はかなり解消されたはずだが、やはり大きなジャケット、持った時のずしりと来る質感、針を下ろす時の何とも言えない期待感のようなもの、などCDでは味わえない何かがあることは確かで、LPはいつまでも生き続けるものと思われる。
     (この原稿をまとめるに当たりコロンビアミュージックエンタテインメント(株)のご協力を頂いたことを付記し、謝意を表する。)

    5 Comments »
    1. 「レコードコンサート」という懐かしい言葉を思い出させてもらったついでに、僕は、当時の「音楽喫茶」を思い出しました。例えば、「田園」とか。コーヒー1杯注文して、2~3時間、薄暗い喫茶店に居座って、クラシック音楽を(リクエストもできましたが)じっと聴きながら、年末には、年賀状を書いたりしてました。LPレコードやプレーヤーを持ってない(持てなかった)貧乏学生の話です。でも、あの静かな雰囲気は懐かしい!

      コメント by 武田充司 — 2008年9月2日 @ 22:52

    2. 「田園」「琥珀」「・・・」3つ目以降は思い出せないが懐かしい!。音楽喫茶も含めていわゆる純喫茶は最近全然見かけなくなってしまい淋しい気がする。
      ついでに思い出したこと:昭和30年代の初め頃銀座松屋デパート地下のコーヒーショップでおいしいコーヒーが30円で飲めた。ドトールのコーヒーより何倍もおいしかったと思うけど。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2008年9月3日 @ 10:03

    3. ついでに、もう一言・・・僕が音楽喫茶に頻繁に通うようになった原因のひとつは、林君が素晴らしいLPプレーヤーと再生装置を自作して、僕を自宅に招いて、クラシックの名曲の数々を聴かせてくれたことです。この話(LPプレーヤー自作の話)は、林君自身から改めて語ってもらいたいものです。いずれにせよ、あの当時のことは、明瞭に記憶に残っていて、林君には、心から感謝しています。

      コメント by 武田充司 — 2008年9月3日 @ 22:13

    4. そう言えばあの頃は自作が当たり前でした。アンプはシャーシの上に大きなトランスと真空管を何本も並べて・・・。初めてまともな音が出た時の嬉しかったこと。プレーヤーはケースとモーター、アーム、カートリッジなどを買って来て組み立てた。五月祭に持ち込んだのも勿論自作の大きなプレーヤーですが、どうやって運んだのか全然覚えていません。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2008年9月4日 @ 11:20

    5. 三番目は新橋のウエストではないでしょうか。パソコンもない時代でコーヒーを飲みながらの本当に心の休まるひと時でした。ウエストはいまでもケーキを作っていますが音楽のほうは?小生まだLP、ドーナツ両用のプレーヤーを温存しています。随分使っていませんが。

      コメント by MM — 2008年9月9日 @ 12:47

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