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  • クラス1953新(昭28新)

    【米寿を迎えた会員もいるクラス会/乾 知次】

    出席者:乾、片岡、工藤、倉持、高砂、塚本、
    中川、中西、錦織、濱崎、物井夫妻、八鍬

    5月に入り寒暖差が大きかった天気も、卒業64年のクラス会当日の5月25日(水)は、薄日のさす暑くない程よい天候で恒例会場の代々木クラブは居心地の良いところであった。定刻12時にはに12名の会員とご夫人1名が集まった。出席予定の三谷君が見えないので中西幹事が家に連絡したところ、前夜 心臓発作で急逝されたとご家族からの知らせがあった。予想もしなかった友の急死に皆ショックを受けた。2月には新井君が亡くなられたとの幹事報告の後、皆で黙とうをささげ、お二人のご冥福を祈った。

    工藤幹事の音頭で、出席者の健康を祝った。

    しばらくみんなで歓談した後、各自の近況報告がなされた。

    憲法第九条を守る会で活動している人、五街道を制覇し、更に鎌倉街道を歩き続ける人、喉の手術後回復を見てゴルフを再開し元気なスコアをキープしている人、毎日の買い物とホームセンターで材料を探してあちこち家の改修・修理を楽しむ人、大学の客員研究員となってパソコンと格闘している人、退院後も頑張って100歳まで生きようと意気盛んな人はどなど。80代後半の人生を前向きにとらえているものが多い。出席メンバーには、満88歳が二人、数え年で88歳は私以外にもおる一方、来年の誕生日を迎えてもまだ満86歳(旧制中学4年終了で旧制高校1年で新制大学入学)も少なくとも二人手が上がった。全員が米寿を迎え終わるのは再来年以降のようだ。

    3月10日の東京大空襲で10万人以上の犠牲者がでたが、4月に昭和天皇が視察をされた際、穴を掘って犠牲者を埋め、目に触れないようにした。もし天皇の目に入っていたなら戦争は原爆前に終わっていただろうと話が進んだ。まさに私たち年代は長くて暗い戦争時代を過ごしてきたことを改めて思い出した

    さて、年代特有な病気の話もあった。 

    医者の誤診かどうか不明だが、肺に影があるといわれたが、今は消えてなくなっている。似たことは私も経験した。15個も切除した後にできた大腸ポリープが翌年消えてなくなっていた。救急車に乗った経験者が数人いた。歩行中に全く意識がなくなり(救急車に乗せられ)病院で気が付いた話。大学病院のセカンドオピニオンで頻尿薬の副作用がなくなり、関係がないと思っていた目の色彩感覚がわずかではあるが復活した話。その他(自分の記録が読めないので割愛)

    出席者X生存年数 に相当した体験談はクラス会出席の効果と考えられる。また年齢を超えた気力を浴びることで活力が生まれる。

    3年前 富士山を愛でるクラス会で三谷夫人と会ったのが最後で、今年は会えると期待していたのにあえなくて残念だと物井夫人は寂しそうであった。今年はいつも出席の工藤夫人、佐々木夫人の姿がないのは寂しい。

    中西幹事から来年は卒業65周年になるが、旅行とかなにかイベントを行うかどうか の相談がなされた。いろいろ案はあったが結論としては、来年もここ代々木クラブで集まることとなった。各人の言葉を添えた写真集をだして出席できなかった方へも消息を知らせることができるよう配慮する案もでた。来年のクラス会は5月22日(火)12時からと決まった。午後2時解散。一部喫茶室で懇談が続いた。(錦織 孜)


    <コメント>
    充実し、かつ簡潔なリポートをおまとめ下さり有難うございます。写真も、見たがっている家内への報告に使えて助かります。三谷さんの訃報には驚きました。柳井先生の電気実験を一緒にやったり、三島でお会いしたことを思い出しました。お冥福を祈るばかりです。お互い、健康に留意して来年、又元気でお会いしましょう。
    Posted by 乾 知次

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