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  • 研究を復活して10年とその結果/安田浩

    私は、1972年3月工学系研究科電子工学専攻博士課程を卒業して日本電信電話公社(現NTT)に入社し、武蔵野電気通信研究所画像通信研究部に配属されました。以来、東京大学先端科学研究所の教授に1997年4月に採用されるまでの25年間、実用化開発に取り組んできました。卒論から修士課程・博士課程とほぼ6年間画像符号化関連の研究に取り組み、帯域圧縮の理論的解明を行い、出力符号系列の遷移図ならびに遷移確率を与えると、出力符号系列の帯域が算出可能な理論式を導出、博士論文といたしました。この理論式を独自に導出したことが、一つのことを創り出したという心の支えとなり、博士課程卒業にあたってつぎの目標は社会への具体的貢献だとの決意を容易にさせたのではないかと思っています。

    入社したNTT では、テレビジョン信号の帯域圧縮デジタル符号化方式の開発研究に取り組み、世界初の商用化テレビ会議システムに導入された圧縮符号器・復号器の研究開発を行い、商用サービスを成功させました。この経験を生かし、圧縮符号化方式の国際標準化に取り組み、JPEG/MPEG 方式の国際標準化を指導し、その制定に漕ぎ着けることができました。自らの研究結果とその普及推進活動が実を結び、世界中の放送界やデジカメ業界で使用されることになったことは一緒に働いた方々の努力の賜物であり、誠に幸運であったと思います。

    研究から実用化を30年経験して大学教員として採用されましたちょうど10年前、これから大学においてなにをなすべきかいろいろ思い悩みました。そのときは東大に8年(結果的には定年延長で10年勤続)勤めることになることは明らかでしたが、8年でなにかをものにすることはできないと考え、10年ないし20年後にこれは大事と思える技術につき研究ネタをつくるための、幅広い探索型研究を行うことを決心いたしました。ただ探索型といっても全分野にまたがる大網はとても打てませんので、情報セキュリティ(中心は著作権管理)と映像コンテンツ創生の2分野について幅広く探索を広げようと思ったわけです。

    その後、先端学際工学専攻という博士課程を担当し多くの課程博士院生を指導する機会を得ましたので、各院生と相談のうえ各自異なった新しい研究項目を展開し、研究課題発掘に努力してきました。その結果課程博士19人から直接的研究課題が19、派生的研究課題を合わせると約50の研究課題を得ることができました。もちろん博士課程院生の諸君が奮闘して、おおむね理論的には解決してしまった研究課題もありますが、実用化まで考えるとまだまだ研究の余地があるものばかりです。10年間の東京大学教員生活を終えるにあたり、このように多くの未知の世界を広げてくれた院生諸君に心から感謝するとともに、これを支えてくれた同僚教員の方々、産官学連携を通じてご指導・ご支援いただいたすべての方々、ならびにこの環境を与えていただいた東京大学に深謝いたしております。研究→実用化→研究発掘という経験を経て、ようやく教育指導の重要性を自覚できたと思っており、残る人生をこれに賭けたいと思っています。

    「師の背中を見て学生は育つ」といわれています。私もそのとおり、師の背中を見て研究・実用化生活を行ってきました。大学院博士課程後半から、またNTT 勤務後5年目くらいから指導しなければならない人々がまわりに現れたわけですが、愕然としたことは、自分では自分の背中は見えないということでした。自分が見えない背中を他の人々が見て、その背中をもしかしたら手本にするのではないかということは正に恐怖でした。その恐怖に打ち勝つために、まず自分がなにか新機軸を出すこと、つぎには自分の作品が世に使われること、最後は先を切り開くあるいは広がりのある研究テーマを探し出すことを、自分に課してきたわけです。

    結果として、これらのことができたかどうか自信はありません。が、これらの課題をこなそうという努力は、それほど的外れではなかったのではないかと思っています。その結果として、これから私の背中を見て育つ人が、素直に伸びて行くようになることを祈念しているこのごろです。

    (昭和42年電子卒 国際・産学共同研究センター教授)

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