• 最近の記事

  • Multi-Language

  • 日本の博士がアメリカの博士に勝てない理由/加藤雄一郎

    理工系の学問において博士号を取るにあたって、米国トップの大学院は日本のそれと比べるとはるかに魅力的である。理由は大きく三つある。

    まず一つ目は、米国の一流大学院はすなわち世界一流であり、世界中から最も優秀な人たちが集まってくる場所だということである。そこで学ぶということは、やはり世界で最も優秀な頭脳を持った同級生たちと、科学の共通言語である英語で議論しながら学ぶということである。また、研究においては同級生の他にも世界各国から集まるポスドクたちと切磋琢磨し、毎週数回は世界の有名大学から訪れた教授のセミナーを聴く機会がある。このような「世界代表チーム」の中で、努力を積み重ね、精一杯自分の能力を発揮した上で認められることは、この上なく楽しいことである。野球でいえばメジャーリーグのようなもので、最高のプレーヤーが集うフィールドなのだ。このような環境にいれば、自分も世界代表選手なのだという自覚が芽生えるとともに、それにふさわしい実力をつける努力をし、また、広い視野が自然と身につくのである。イチローがいつまでたっても日本に帰ってはこないように、学問においても米国で認められた人が日本に戻ってくる例が少ない理由の一つがここにある。

    二つ目の魅力は、濃厚な講義にある。世界各国から様々な大学の出身者が集まるため、必修科目は基礎からみっちりと教えられる。例えば、私の在籍していた物理学科の場合、必修は「量子力学」「電磁気学」「古典力学」「統計力学」である。一科目につき毎週180分の講義のほか、毎週宿題が出て、一科目分を解くのに5~8時間かかる。一学期に3科目取るのが限度で、土日を休んでしまうと研究をする時間はほとんどなくなってしまう。大学院の最初の一年から一年半はこのような授業と宿題に追われるので、実験系では博士取得に平均6年かかることになる。これだけ大変な授業だが、入念に準備された講義、毎週質問に行けるオフィスアワー、採点されたのち丁寧な解説付きの回答とともに返却される宿題などを通じて、否が応でも実力がつく。

    米国大学院の魅力として三つ目に挙げられることは、経済的な負担がないことである。授業料は全額免除、それとは別に生活費がリサーチアシスタントやティーチングアシスタントの給料として支給される。遊興費を捻出できるほどではないが、食費には困らない。つまり、勉強と研究に専念できるというわけだ。もちろん、修士相当の大学院1年目の学生、それも入学前の夏休みからでも研究を始めていれば給料が出る。これだけ魅力的な米国の大学院の環境だが、それにふさわしい学生かどうかをチェックする審査のハードルは高い。まず、入学審査は書類のみだが、かなり綿密に行われる。出身大学や学部の時の成績、共通試験の点数も見るが、何より重要視されるのが推薦者自身の言葉で綴られた推薦書である。学生の能力とやる気を証明する具体的なことが書いてあるか、また、その推薦者の以前の推薦文は信頼に値するものだったか、などが大事になる。もちろん、最終的にはその学生の授業料と給料を出す価値があるかどうか、が判断の分かれ目になる。

    当然、入学した後もハードルは多い。これも物理学科での例だが、講義では必修はすべてB以上、すべての科目の平均もB以上の成績を取ることを義務付けられており、それが達成できない学生は退学となる。さらに、大学院3年目の最初の学期までには博士候補生になるための試験を受けなければいけない。これは、指導教員を含む4人の教授を前に発表し、教員は研究内容だけでなく物理学一般についても質問して良い、というもので、未受験や二回連続不合格で退学となる。この試験で、修士取得は認めるが、中退することになることもある。物理学科では修士号だけ取得するつもりの学生は受け入れていないため、「物理学の修士など、駄目だった証拠だから持ってない方がまし」という人も多い。研究室に所属すると、授業料と生活費は指導教員の研究費から支出されるようになる。いわば家族のように養われることになり、指導教員と親密な関係を保ちながら研究に取り組むことになる。博士号取得にかかる年数も、本人の実績や指導教員の評価などにより大学院入学後3年から8年と大きく変わりうるので頑張らないわけにはいかない。ごく稀だが、責任感も向上心も欠如している輩は研究室から放逐され、他に救う手を差し伸べる教員がいなければ、退学を余儀無くすることもある。

    これだけのフィルターを通して、本当に博士号にふさわしい人だけを残し、博士号の品質を保つということなのだが、事実上退学者はほとんどいない。それだけ入学時の審査がうまくいっているということだろう。

    元の能力は大差なくとも、環境がここまで違えば5、6年後にはその力量差は歴然である。世界で活躍できる博士を、日本の大学院で大量生産することができるようになるには、まだまだ課題は山積みのようである。

    (加藤 雄一郎:工学系研究科総合研究機構・准教授)

    コメントはまだありません »
    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。