うならせる研究と建築/森川博之
研究開発の流れが大きく変わってきている。
長年の研究開発は、性能の向上を目指すものがほとんどであった。できるだけ情報量の少ない映像符号化方式の開発、より高速な通信技術の開発、より高速かつ低消費電力の半導体素子の開発など、定量的な性能指標が軸となる研究開発が多かった。
しかしながら、諸先輩方のたゆまぬ努力により、ある程度の性能は手に入れられるようになってきた。もちろん、現在の性能を飛躍的に向上させる技術開発は引き続き必要であるものの、従来の延長線上の性能軸だけで成果を「売る」ことは従来に比べて難しくなりつつある。「やればできるよね」と言われてしまっては、せっかくの研究が台無しである。
性能や効率などといった従来の定量的な評価軸のみならず、うならせることができるか、驚かせることができるか、魅力的か否かなどといった定性的な軸への転換を図っていくことが必要だろう。例えば、今までの軸上での開発が求められるボーイング747/777/787と、新しい発想が求められるステルスの違いのようなものである。
モノが性能だけでは売れなくなってきている時代の流れとも同じである。
このような新しい時代に対処するために、もしかしたら建築学が参考になるかもしれない。
建築学では構造設計が基盤分野となる。構造上必要な耐力を備えるように建築物を設計する分野であり、構造力学などが基盤技術となる。しかしながら、建築物とは本来人間の多様な営みに密接に関係するものであり、使いやすく、安全で快適な、かつ感動を与える空間や環境の創造にも重点が置かれるようになってきた。意匠設計と呼ばれる分野である。すなわち、人間による使われ方(機能)、技術、美を総合的に勘案することが求められ、構造や材料といった工学的な側面のみならず、デザインや建築史などといった芸術的・文化的・社会的な側面も重要になる。コルビュジェの言葉を借りると、「住むための機械」といった側面と、「人間にとって欠くことのできない静逸を心にもたらす美の場」といった側面の二つである。
そのためか、建築家の方々の文章力はものすごい。建てた建築物を、社会や技術の大きな流れを踏まえ、これでもかというくらいに意味付けする。言説と建築物とを一致させる作業だ。こじつけに見えなくはないが、滔々と哲学を述べられると納得してしまう。
電気工学、電子工学、電子情報学も同じかもしれない。どのように(how)するのかではなく、何を(what)するのかが重要である。そして、他の人々に納得させる/うならせる/驚かせるためには哲学が必要となる。
情報通信分野では、最近、「実装論文」という区分ができつつあるが、これを進化させると建築の世界の中での「作品+哲学」になるのかもしれない。世の中に影響を与える可能性のあるソフトウェアやハードウェアは、大きな社会の流れの中で新しい軸を示した作品であるためである。
電気工学、電子工学、電子情報学は世の中を一変させることのできる分野である。インターネットや携帯電話は既に広く普及したものの、まだまだ過渡的なものだ。産業構造、経済構造、社会構造の大きな変革には、ドラッカーが蒸気機関を例に出して喝破したように、かなりの年月を要する。
社会の大きな流れの中で沈思黙考して、素晴らしい「作品」を創り出し、新しい産業と社会制度の確立に寄与する人材を生み出すためには、新しい軸を追い求めていかなければならない。センスといった感覚的な能力も必要となるが、このような能力は磨くことができる。