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  • 今、第二工学部を回顧するのは/尾上守夫

    今年2012年は東京帝国大学に新しく第二工学部が誕生して七十周年にあたる。それを記念して、回顧の執筆を求められた。それに相応しい先輩の先生方が沢山おられるが、すでに物故された方も多い。それで私にお鉢が回ってきた。当時若輩だった私には荷が重いが、東大に第二工学部(二工)があったことさえご存知ない今の世代の方々に、第二工学部が今に持つ意味をお伝えしたいと思って、お引受けした。ただ内容はあくまで私のパーソナルな回顧であって、生研や東大のオフィシャルな立場とは関係ないことを予めお断りしておく。普通七十周年といえば、人でも組織でもその長年にわたる活動を祝うものである、しかし第二工学部は僅か十年余の短命の学部であった。しかしその記念は、この本をご覧になると判るように、夭折した子をいたむような、単なる追悼ではない、戦争に備えて作られた学部ではあるが、戦争中に卒業したのは終戦直前の第一回生約四百名のみである。残りの二千余名の卒業生とともに、それが戦後の復興に如何に寄与したかは、本書に収められた方々のメッセージからも明らかである。また閉学とともに人材の多くを引き継いで新たに発足した生産技術研究所(生研)は、二工建学のスピリットというべきものが満ちていて、今日までめざましい発展を遂げている。まさに剣を鋤にかえた天の配剤であって、われわれはそれを記念するのである。・・・・つづき(セピア色の三号館へ)

    ## 本稿は「東京大學生産技術研究所 第2工学部記念誌編集委員会:未来に語り継ぐメッセージ、2012」より転載するものです。

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