所変われば品変わる/柴田直
博士の最終審査といえば、学生に取っては人生の一大事、大変緊張するが、教員にとっては通常業務の一環、長年やっているとコツが分かって慣れてくる。自分が指導教員だと多少緊張するが、そうでない場合は比較的気楽である。ということで、外国での審査を気楽に引き受けたら、とんでもないことになった。「所変われば品変わる」というお話。
ノルウェーはオスロー大学から、O. N氏という学生の博士論文審査のFirst Opponentとやらをやってほしいと、頼まれた。時期はちょうど5月の連休中、旅費・滞在費はすべて出すとのこと。これはしめたと気楽に引き受けたのがいけなかった。どうせ一時間くらい本人がしゃべって、それに対し適当に質問をすれば良いのだろうと軽く考えていたら、全く違っていた。
夜遅くオスローに着いた翌朝、早速博士の本審査が始まる。指導教官のB教授は、審査に一切口出しできない。審査担当は3人で、一人は同じオスロー大学のW教授だが補佐役で、彼も審査に口出しできない。実際に審査を行うのは、スウェーデンから招かれたE教授と日本から来た私の二人だけ。他大学の外国人二人が審査員ということになる。午前中は、Trial Lectureというのがあって、あらかじめ決めた一般的なテーマについて、本人が45分の講義をする。これによって、博士としての知見の広さ、勉学の深さ、さらにプレゼンテーションのスキルをテストするのである。その後、昼食をはさんで、本審査となる。
さて本審査だが、本人の研究発表を聞き、適宜質問するくらいなら、まあ、これまでずっとやってきたことなので、たいしたことは無いと高をくくっていたら、これが実は大間違い。先ず、本人のプレゼンは、まったく無しで、いきなりFirst Opponent が、候補者の博士研究の業績に関し講評を全聴衆の前でやるらしい。審査会はもちろん公開で、ワンサカ人の集まった講堂で行われる。これを知ったのが、なんとTrial Lectureの始まる直前で、「えっ!?ウッソー!!そんなの知らなかった・・・。ちょっと待ってよ!?」ともいえなくて・・・・・・.イヤー困った。「何分くらいやればいいのか?」と、恐る恐る聞いてみると、いろいろで、15分の人もいれば、長いと40分くらいの人もいるという。まあ、あまり長くやって欲しくないような様子。『でも、5分ってわけには行かないし・・・・・いや困った、困った……トホホ』。この演説の後に、いわゆるDefenseが続く。このDefenseの結果で、博士号がもらえるかどうかが決まるという一番大事な場面。つまり、Opponentというのは、本当にこいつは、博士の値打ちがあるかどうかを、辛辣な質問を浴びせかけて、試さないといけない」・・・「いや大変だ….こんなことなら、来なきゃーよかった」なんて泣き言は、いまさら通らない。
出張前は忙しく、実は学位論文を全部は読んでいなかった。でも、今回は飛行機の中でアルコール飲料を一切摂取することなく、一生懸命に読んでいた。だから内容はよく理解していた。『ああ良かった。・・ホッ!』もし、いつものようにワインなんかでいい気分の道中だったら、これは大変なことになったと背筋がヒヤッとした次第。まあ、腹をくくってやるっきゃない、と覚悟を決めると強いもの。あとは野となれ山となれの心境。
本審査のやり方は、とても儀式的。聴衆が講堂に集まったころを見計らって、ガウンを着た学部長を先頭に、博士審査を受けるMr. M.S.、First Oponent の私、2nd Oponent のE教授、補佐役のW教授が、静々と厳かに入場する。皆正装。学部長なんて、ついさっきまでジーンズはいていたのに、何時の間に着替えたのやら。そして、学部長の指名を受けて私がおもむろに立ち上がり、威厳を持って演説をし、その後壇上で、彼を詰問するというシナリオ。必死にパフォーマンスをやったら、何とかうまくいったようだった。次いでE教授が質問攻めをする・・それに、候補者は聴衆の見守る中でとうとうと答えないといけない。これから東大でもこんなのやったらいいかもしれない。今度コース会議で提案してみるか?ナンテ。
これが終わると、審査委員3人がしばし退場。廊下でしばらく時間をつぶしてから、再入場する。この間に厳正な審議をしたことになっている。これからがこのイヴェントのクライマックス。学部長が厳かに聞く、「このM.S.氏は、博士の資格があるや否や?」と。これに対し私が、これまた威厳をもって、“Yes”と答える。と、割れんばかりの大歓声が上がって博士が一人誕生という運び。なにやら、結婚式みたいな儀式だった。
この後、オスロー市内の一流のレストランでのお祝いのディナーに連れて行かれる。素敵な美人が出迎えてくれるので、「あの人、だれ?」と聞くと、只今博士をとったばかりのO.N.氏の奥さんとのこと。ちなみにO.S.氏は、ハリウッドの俳優よろしく長身・金髪のハンサムボーイ。このカップルと背の低い東洋人老プロフェッサーが一緒に並んだ図は、いやはや絵になったものではない。次いで上品な年配のご夫婦がこられ、奥様が「私が、O.S.の母親です」との挨拶を受け、「ああ、ご両親ですか」というとお隣のご主人が「違う、彼は、前の主人の子供だ」という。いやあ、こんなことは聞いてはいけなかったのだと後悔。その後テーブルについて、豪華な晩餐が始まる。私の横には、O.N.氏の義理の父親、その前には実の母親、そしてその隣に座って母親と親しげに話しているのが、実はO.N.氏の本当の父親。つまり離婚した元のご主人が、息子の博士号取得を祝して来ているという構図。そしてその横には、再婚した奥さんがいて夫婦で出席している。いやあ、こんなこと日本で考えられるだろうか。これも所変われば品変わる。おいしい料理とワインでホット一息。『さあ、ホテルに帰ってぐっすり寝たいナ。』
ところがところがまだまだ続くのである。今度はパーティだという。パーティは、大学の由緒ある古い建物を借り切って行われる。行くと若者が100人くらい集まって騒いでいる。建物全体がぶるぶると震えるくらいの大音量で音楽が鳴っている。みんな学生や友達だという。ワインやビールがふんだんにある。いやあ、だいぶ疲れたので、ウーロン茶でもほしいと思ったが無いので、水差しの水をグラスにいっぱいにして飲んだら、なんと白ワインだった。
12時を過ぎても一向に終わる気配は無い。一人じゃ言い出しにくいので、同じホテルに泊まっている2nd Opponent のE教授を探し、一緒に帰りませんか・・なんて誘ってみようと思ったら、これがいけない。先生もうすっかり出来上がっていて、「きみ~、夜空を見てご覧よ・・・(ウィ~)、・・スエーデンではネェ・・・、オーロ~ラが光って・・・夜空のきれいなことといったらもう、・・・・(ウフッ!)云々・・」某大臣みたいに、もうろれつが回らない状況。やばい・・と思ったら、今度はIEEEの顔役のL教授に捕まる。いや彼も相当に酔っ払っていて、白熊そっくりの顔をした彼が、熱心に熊狩りの話をしてくれる。それはいいのだが、しゃべるたびに、彼の口からおつゆが、私の顔に容赦なく飛んでくる。あからさまに顔を拭くわけにも行かず、いやあ閉口。(新型熊ウィールスなんて無かったので助かった)。ホストのB教授が気を利かせて救い出してくださった。「時差ぼけでお疲れでしょう。ホテルまでお送りしましょう。」といってくださった。丁重な見送りを受けてホテルに戻ってきた。実はB教授もそろそろズラかりたかったのだ・・キット。
でもこれって出来レース。もし、私があのクライマックスで“No!”と言っていたら、一体どうなったんだろう。ディナーもパーティも全部パーである。そして、多分私は、いまごろオスローの港に浮かんでいたに違いない・・・・・・。なんて考えているとオスローの夜はふけ、ヤット眠りに付いたのであった。
(柴田 直:工学系研究電気系工学専攻・教授)