博物館で学ぶ/金田康正
欧米諸国に出かけた時、私は好んで博物館を訪ねる。これまでで一番圧倒された博物館は、ドイツのミュンヘン市にあるドイツ博物館( Deutsches Museum)である。これは大砲の砲弾が突き刺さった鋼板、V2ロケット全体、U-ボート全体等のドイツ技術を駆使して作った実物を展示している、自然・科学・技術に関する博物館である。本館はミュンヘン市中心部イザール門に近く、ミュンヘン中央駅からの交通の便が良いイザール川の中州に建っている。1903年にドイツ人のオスカー・フォン・ミラーが提唱し、1906年に部分的に開館し1925年から一般に向け開館したものである。
博物館本館は農業、鉱業、航空工学、鉄道、機械、宇宙、炭坑、楽器、発電、建築、土木、電話電信、計算機、紙と印刷、化学工業等50を超える展示スペースに分かれている。まさにドイツの科学技術を若い世代に引き継ぎ、学ばせる為の科学技術史の博物館で、敷地面積は東京ドームに匹敵する4.7万・、展示品目は1万8千点という。全てを見るには17kmを歩かなければならないということだ。展示は体験型博物館の典型的なもので、全てを堪能しながら体験するには一週間は必要な規模と内容である。実際急いでも一日で全ての展示を見ることは不可能で、また行くたびに新しいコーナーの発見もあり、その広大さと充実した展示、さらに新鮮さを身を以て体験できる。ただし全ての展示に英語の説明がなく、じっくりと見学するには、独日辞書あるいは独英辞書が必須である。
このドイツ博物館には、分館としてミュンヘン市内にシュライスハイム航空博物館と交通センターがある。前者は1992年開館で8千・の展示スペースを有し、19世紀末のオットー・リリエンタールのグライダー(復元)、東ドイツ空軍所有のロシア製ミグ戦闘機、西ドイツ空軍所有のアメリカ製戦闘機、世界最初のロケット戦闘機コメート、世界最初のジェット戦闘機シュヴァルベ、メッサーシュミット109-E、レシプロエンジンからジェットエンジンまでの各種航空機エンジン等が系統的に展示してある。もう一方は2003年開館で、現存する世界で最も古い蒸気機関車や、ベンツの世界初のガソリンエンジン車、ルンプラー車、ベンツの三輪自動車、メッサーシュミットの速度記録車など、自動車・鉄道関連のコレクションが並ぶ。なおボン博物館(ボン市)はこのドイツ博物館の別館で、1945年以降の新しい技術の展示があるとのことである。
初めてドイツ博物館本館に行った時の印象はその展示範囲の広さでは無く、小学生・中学生のグループ、若い男女のカップルや、女性だけのグループ、子供連れの家族等、さまざまな年齢層の観客が平日にも関わらずかなり多く入館していたことであった。幅広く国民から支持されているということは、自国の技術に絶大な自信を持つ国民が多いというこの国の真の姿であろう。この様な国では、日本で起きているような理系離れは起きないのではと感じたことを今でも思い出す。ミュンヘンに滞在する機会に、各種美術館や博物館と共にこのドイツ博物館に足を運ぶ価値は十分にある。
ドイツ博物館以外の、世界的に有名で簡単に行ける博物館として、ロンドンの科学博物館の名をまずあげたい。ここは1909年に創設され、ワットやニューコメンの蒸気機関、スティーブンソンの蒸気機関車ロケット号、ジュールの熱量計、ニュートンの望遠鏡、フックの顕微鏡、バベッジの解析エンジン(Analytical Engin)等が展示してあり、基礎科学・技術・交通機関等の豊富な展示で知られている。また1903年ライト兄弟の最初の動力飛行機ライトフライヤー号、リンドバーグが大西洋横断に試行した一人乗り有人飛行機スピリット・オブ・セントルイス、イェーガーによる世界で最初の水平で音速を突破したベルX-1、史上初の月面着陸を行ったアポロ11号宇宙司令船室などで知られるワシントンDCの国立航空宇宙博物館は、近代技術の博物館としては圧巻で実に興味深い。
さてドイツ博物館に次いで私が強く興味を持ったのは英国のNational Codes Centreである。これはロンドンの北西80kmのBletchley Park(ロンドンEuston駅からBletchley駅まで50分)にあり、ケンブリッジとオックスフォードのほぼ中間に位置している。ここには、ドイツ軍が使っていた解読不可能と言われていた暗号機Enigmaの実物、また世界で最初のプログラム式計算機Colossus Mark IIのレプリカ、日々変更されるEnigmaの暗号鍵を破る効率を上げるための電気機械式マシンBombeの部分復刻版、イギリス国内で販売された各種計算機等が展示してある。
ここは計算機の分野でチューリングマシンとして教科書で学ぶ、ケンブリッジ大学出身のアラン・チューリングがエニグマ暗号機の解読で大活躍をした場所を博物館としたもので、計算機の発展にも興味を持つ私にとっては大変印象深い所である。ロンドンから列車で1時間弱とは言え、展示が十分楽しめるので一日がかりの旅程となるが、第二次大戦時の暗号戦とはどのようなものであったのかも学べ、知る人ぞ知る博物館である。
さて日本の1.3億人の国民が世界で生き延びるには、物作りでしか(?)その将来が無いであろうと予想している。その物作りの中で、プログラムにより変幻自在に機能を変化させ得るという点で他の技術とは明らかに質的に異なっている計算機関連技術に注目し、日本を中心とした計算機関連技術の発展経緯の展示をする計算機技術の博物館を作りたいと考えている。ただし計算機技術と言っても、それぞれの技術が開発・発展を示した時点における社会的背景あるいは時代背景の説明が付いた博物館である。日本において技術開発にのたうち回ってきた歴史、ならびにその背景にあった社会状況と合わせて展示することで、日本の技術発展の歴史を学んでもらうことを目標とする博物館構想である。実際に手を動かしてゼロからものを作り上げる経験が生徒あるいは学生に圧倒的に不足している現在であるからこそ、先人の偉業あるいはその時点における最先端技術で作られた製品を実際に目にする場となる博物館が訪問者に与えるインパクトは高いはずである。
英国ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所は、世界で最も多くのノーベル賞受賞者を出していることで有名である。そこには我々が教科書を通じて学んだことのある実験装置・測定装置が研究所のフロアーにぎっしりと展示してある。それらは研究所所属の学者達が手作りしたもので、そのフロアーの展示を見た時の強烈な感動は一生忘れることができない。--これは歴史や美術の教科書で学んだ「実物」を目にした時と同様の印象である。--この様な強烈な印象や感動を与えられる博物館ができれば、生徒あるいは学生の算数・数学離れ、理科離れ、物理離れ、理系離れ、工学離れ等を少しでも食い止めることができるかも知れない。我々成人にとっても実物を見ることにより独創性や新しい発想を得るきっかけとなることが十分に考えられる。
地方にある先祖の墓は三代が経過するとお参りをしなくなり、結局は無縁仏となってしまうと聞く。結局は先祖を身近に感じなくなるからであろう。同じことは技術についても言える。戦後まもなく1950年代から60年代にかけて計算機の開発で活躍していた先人の日頃の活動を目にしていた先駆者達は80年代には現役から退いてしまっている。(彼らはいわば初代に当たる。)先駆者の教えを受けた二代目も21世紀初頭には現役を退くので、第三代目の時代が訪れるのはもうすぐである。初代の苦労を第三代が理解するのは困難であろう。結局は関連する貴重品あるいは将来貴重品となる候補達(現時点では懐古趣味と思われる品物で貴重品とは感じられない物でも、時代が変われば評価が大きく変わる可能性があることを忘れてはならない。浮世絵が印象派に大きな影響を与え世界的知名度が高まったのは有名である。)は第三代には惜しげもなく廃棄されてしまうことになる。(結局は無縁仏と同じ。)
現時点で起こさなければならない行動は、その様な貴重品あるいは貴重品の候補達の散逸あるいは廃棄を食い止めることである。その為にも全国の大学や公的機関で保存している機器類の緻密な調査が必要となるが、問題はその実施主体であることは間違いない。
(融合情報学コースのコラムより転載)
(金田 康正:情報基盤センター・教授)