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  • リヒテンベルクのアフォリズム/熊田亜紀子

    沿面放電は、気中放電に比べて進展しやすいため、絶縁上はそれを防ぐことが最大の課題となる。この沿面放電の計測と解析を学生時代より研究課題としてきた。沿面放電の研究の歴史は古く、1777年のゲッティンゲン大学教授のG.C.リヒテンベルクによる「リヒテンベルク図形」の発見までさかのぼることができる。これは、沿面放電後に絶縁物の表面に荷電粒子をふりかけて沿面放電の描く軌跡を得る手法であり、目に見えない電気を簡単な方法で可視化する方法ともいえる。

    さて、もう10年以上前のことだが、修士課程一年のときに、たまたまドイツの歴史と文化に関する本を読んでいたところ、「ゲーテ嫌いの啓蒙主義者リヒテンベルクは、沿面放電の研究に代表される物理学者としても有名で」云々という記述にあたり、「え?このリヒテンベルクはあのリヒテンベルク?」と驚いたことがある。ちょうどコピー機のトナーをふりかけてリヒテンベルク図形を得て沿面放電進展の基礎特性を測定していたころのことであった。リヒテンベルクには実は物理学者としてだけではなく、ドイツ啓蒙主義の代表的な思想家としての側面があり、むしろ後者として名高い人物であったのである。

    リヒテンベルクは1742年ダルムシュタット近傍でプロテスタントの牧師の17番目の子として生まれ、1799年ゲッティンゲンで死去している。生来、背中が曲がっていた。ゲッティンゲン大学で数学、物理学を教え、実験物理学の分野に優れた業績を残す一方で、彼は小説や科学文学雑誌の編集を行うなど常に文学への関心を持ち続け、当時すでに辛辣な著述家として知られるに至っている。例えば「ラヴァーターの骨相学」といわれるトンデモ科学が大流行したところ、その胡散臭さにいち早く気づき、それを手ひどく笑いのめす図解入りのパロディを発表している。トンデモ科学を大真面目に批判するのは、むしろ相手に威厳を与えることになり、矛先を転じて笑いのめす戦法をとったのである。

    さらに、彼は思いついたこと考えたことなどを15冊もの雑記帳に残した。それがアフォリズム(ある問題についての思考や観察を簡潔にまとめた格言風の文)として世に出て、ドイツの哲学者ニーチェに「再読、三読に値する」と賞され高い評価を得るようになった。彼の文章は、注意深い観察に基づき、皮肉やユーモアに富んでいる。決して説教くさくなく、読者がそこからいかに考えるべきかという示唆に富んだメッセージがこめられている。

    ここ15年ほどの間にリヒテンベルクに関する著書[1]-[3]がいくつか出版され、私のようなドイツ啓蒙主義の門外漢にも少しずつ彼の生涯、著作に触れやすくなってきている。この場を借りて少し紹介したい。まず、物理学者ならではのアフォリズムから、

    • 世の中の大きな出来事は、われわれがまるきり注意しない事柄と、つねづね見逃していて、いつのまにか山のように積もり積もった原因によって生じるものだ。
    • かつて学問の限界であったところが、今では中心である。
    • 教会で伝道が行われている。だからといって、避雷針が必要なわけではない。
    • 毎朝、歯を磨いて口をゆすげ、といい続けても、あまり効き目はない。両手の中指を交差させて行うべしというと、ちがってくる。人間は摩訶不思議を尊びたがる。これは良く効く。

    皮肉が効きつつも本質をついており、200年以上も前にこのようなことがいわれていたことに驚かされる。リヒテンベルクは観察者の立場に徹しており、特に格好な観察対象である「自分」を冷徹に観察し、彼の学問や人生に対する姿勢が感じられるアフォリズムをいくつも残している。

    • あることを労なくして学び取るのと、自分のシステムの中でようやくたどりつくのとは同じではない。後者には、すべて根っこがついている。前者は、ただの貼り付けだけ。
    • 私はしばしば犯した間違いのために非難された。相手には犯すだけの勇気と洒落っ気がなかっただけだというのに。
    • 私は学問への道を、ご主人と散歩する犬のようにして進んだ。前や後ろにのべつうろうろして、行きついたとき、疲れ果てていた。
    • われわれの人生は冬の日とそっくりだ。生まれるのは真夜中。8時をすぎないと明るくならない。午後4時にはもう暗く、12時におっ死ぬ。

    まさに我々の研究に対する姿勢が問われる、自らの頭脳と努力を総動員させて研究に対峙していかねばならないことが思い知らされる警句である。「4時にもう暗くなり、そして12時におっ死ぬ」ときに、「疲れ果てている」だけのむなしい状態にならないよう、主体性をもって研究にそして人生に相対する日々をすごしていかねばならない。

    コラムを書くのに、久しぶりにリヒテンベルクのアフォリズム集を読み直し、何度もくすっと笑わされ、そしてまたわが身を振り返りドキッとさせられた。リヒテンベルクのアフォリズム集、機会があればぜひ一度手にとってもらいたい。

    [1] 池内 紀 “ぼくのドイツ文学講義”、 岩波新書、1996年
    [2] 池内 紀 編訳 “リヒテンベルク先生の控え帖”、 平凡社ライブラリー、1996年
    [3] 加納 武 “アフォリズムの誕生 リヒテンベルクとニーチェ”、 近代文藝社、1996年

    (熊田 亜紀子:工学系研究科電気系工学専攻・准教授)

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