伊豆の踊子/齋藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2019年度, class1955, 消息)
山のなかで出会った踊子への想い。川端康成の「伊豆の踊子」は素朴なメッチェンのイメージを追って、昔誰もが喜んで読んだ小説でした。そのことを思い浮かべながら新緑に誘われて、そうだ歩けるうちに天城を歩いてみようと思い立ちました。
踊子歩道は伊豆半島、天城山のふもとにある湯ヶ島温泉から南に、峠を越して湯ケ野温泉までほぼ20Kmの山道。地図を見ながらこれを一日で歩くのはご老体には無理だナアと辺りの見どころとの関連も考えながら思案。結論はこの道を二日に分けて歩くことでした。
踊子号が修善寺駅に着いたのは11時過ぎ。ここからバスで水生地下まで行きハイキングのスタート。踊子の歩いた道は多分もっと荒れていたのでしょうが、舗装は傷んでいるものの傾斜3%ほどの歩きやすいのぼり道。新しいトンネルができる1970年までは車が通っていたのですから。でも一高の白線帽をかぶり、“紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけて朴歯の高下駄でこの道を歩く”のはけっこう大変だったでしょう。左に文学碑をみて20分ほどで水生地に着きました。ここは狩野川の源泉になるところ。鳥のさえずりを聴き、右下ずっと深いところにある流れを見ながら大きくカーブした道をさらに30分ほど上がると旧トンネルの入り口が見えてきました。着いたアと一休み。苔蒸したトンネル入り口の石づくりが大変印象的でした。
踊子号が修善寺駅に着いたのは11時過ぎ。ここからバスで水生地下まで行きハイキングのスタート。踊子の歩いた道は多分もっと荒れていたのでしょうが、舗装は傷んでいるものの傾斜3%ほどの歩きやすいのぼり道。新しいトンネルができる1970年までは車が通っていたのですから。でも一高の白線帽をかぶり、“紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけて朴歯の高下駄でこの道を歩く”のはけっこう大変だったでしょう。左に文学碑をみて20分ほどで水生地に着きました。ここは狩野川の源泉になるところ。鳥のさえずりを聴き、右下ずっと深いところにある流れを見ながら大きくカーブした道をさらに30分ほど上がると旧トンネルの入り口が見えてきました。着いたアと一休み。苔蒸したトンネル入り口の石づくりが大変印象的でした。
このトンネル2001年には重要文化財に指定されているのです。向こうから一組の若い人たちが歩いてきました。声を交わして 水溜まりをよけながら10分弱。南の口にでるとこちらも雲のない青空が見えていました。静かな山の中。気分いいですネエ。通行止めと書かれた柵が置いてありましたが、向うから来た人もあるようだしと構わずに突破。ここからは下り道ですのでのんびりと歩くことができます。やがて右手下に二階滝が見えてきました。南に流れる河津川最奥の滝です。踊子歩道のハイキング今日はこれまで。二階滝のバス停から今度は新しくできた445mのトンネルを1分で再び天城の北側に戻りました。
まだ陽は高く、予定通り浄蓮の滝でバスを降りて、さて滝まで?ちょっと躊躇しましたが思い切って、降りたら上がらなくてはならない200段余りの階段を下りました。一昨日の大雨のおかげで大量の水が勢いよく落ちていて、滝の下にはもうかなり大きくなったわさびが一杯に植えられていました。 | |
浄蓮の滝 |
私の部屋“けやき”のテーブルにはちゃんと「伊豆の踊子」の文庫本が置いてありました。これを読みながら今夜は就寝。明日は河津七滝めぐりをと下調べをし、瀬の音を聞きながら休みました。天気は良さそうです。
2019年8月1日 記>級会消息
良い旅をされました。かって私には伊豆高原に便利な宿があって訪れていた際に、修善寺と河津を結ぶ414号線の周辺も良く行って居て懐かしく拝見しました。勿論貴兄の様な本格的な探訪は無しで羨ましい次第です。
処でこの映画ですが、私が小さい頃田舎の家の大掃除で、古新聞か雑誌にこの映画の広告が出て居たのが印象深く覚えています。松竹映画で勿論白黒ですが、主演が田中絹代、一高生に大日向傳(監督は五所平之助)で私は見て居ませんが、良かったに違いないと今も思っています。
コメント by 小林 凱 — 2019年8月8日 @ 17:00