素質と成果と報酬/寺山進@クラス1955
記>級会消息 (2017年度, class1955, 消息)
羽生善治さんへの国民栄誉賞が本決まりになった。「永世七冠」という成果は誠に素晴らしい。テレビで史上最強の棋士と言っていたが、まさにその通りと思う。
ヘボのくせに70年以上も、将棋フアンを続けて来た私の独断で、ここ百年間の棋士の評価をしてみる。第1位は羽生、紙一重で大山15世名人。鼻の差で、木村14世名人、鬼才升田幸三、中原16世名人。首の差で、土居名誉名人、谷川17世名人か。もう一度鼻の差で、塚田、二上、森内18世名人などが続く感じである。つまり羽生さんは、100年に1人、大凡5000万人に1人の才能の持ち主である。
成果をすべて才能・素質に帰すと云うのには、異論も出るだろう。努力・環境などの影響は? しかし、このブログは、どうせ茶飲み話である。まあ、ひっくるめて「素質」という事にする。
羽生さんの報酬は、我々より多いのは当然だが、100年に1人の天才としては少ない。ここ何年かの年収は1億から2億弱であるが、これも長い間タイトルを4つか5つは独占していた為で、すぐ下のA級棋士になると、途端に1千万強に減ってしまう。年収に占めるタイトル獲得賞金の比率は大きい。大体、A級は大企業の部長並み、B級で管理職、C級だと平社員位の年収だという。
今、盛んに持て囃されている天才少年の藤井四段は、C-2級なので大卒の初任給位だろう。(注1)
将棋の棋士は、非常に過酷な競争を生き抜かねばならない。毎年3月に行われる順位戦の最終戦で一つ負け越して、A級からB級に落ちるという例もしばしば起きている。翌年の年収は半減してしまう。「自分にとっては勝負の影響が殆どないけれど、相手の棋士には収入どころか人生を賭けたような一番に臨む場合、全力を尽くして相手を負かすのが、相手に対する最大の敬意の表現である」という教えを徹底させたのは、故米長邦雄・永世棋聖・前日本将棋連盟会長であった。真に「勝負師」と言える職業は棋士くらいのものだと思う。
成果は「勝つか負けるか」であり、文句なく客観的で分かり易い。才能の割に報酬が少ないという点では、最右翼の職業である。
およそ対照的なのが芸能界で、素質はまず学芸会での人気者程度、つまり50人に1人位で良い。勿論、この割合で皆が芸能人になれる訳ではない。およそ客観的でない評価基準、つまり「人気」とか「好感度」、「視聴率」という魔物に振り回されている。それでも、年収1億など掃いて捨てるほどいる。
つまり、素質が必須で、成果基準が客観的な職業ほど、報酬が少なく、その逆も成立している。棋士と芸能人の間に入るのが、野球選手か。年俸1億を超えるのが、70~80人位いるらしいが、7~8年は全盛期が続くだろうから、1年当たり10人位となる。つまりドラフト1位指名の人数、ざっと5万人に1人程度であり、素質からいうと棋士と芸能人の間、上下で1000倍の差になる。
打者なら打率や本塁打数等、投手なら勝数・防御率等、個人の成果のデータも多彩に収集され、契約更改時に年俸に反映される。しかしこの業界は、案外年功序列的な所もあって、成果と報酬の関係が分かりにくい。新人が首位打者を取っても、すぐに1億とは行かない。好成績を2~3年は継続する必要があり、入団5年で1億到達なら早い方だろう。その代り減俸制限の制度がある為、成績が悪くなっても、高給を貰い続けている選手も多い。
「芸能人は楽な商売だ」と力説している様だが、或る意味その通りなので、否定しない。芸能人からクレームが来たら(来る筈ないか)次の事実を提示すれば、議論の余地なしと思う。
それは、「自分の子供を芸能界に入れたがる芸能人が多い」という事実である。二世の方も、人気とか好感度といった厄介な壁は、親の七光りでパス出来るので、あとは「学芸会」程度の芸があればよい。その程度なら親からのDNAや育った環境で何とかなる為、結果として二世芸能人が多くなる。羽生さん並みの収入は無くても、A級棋士程度の収入の二世は、掃いて捨てるほどいると思う。まあ言ってみれば、いい加減な職業で、才能より運とコネの世界なのだろう。
「乞う、魁より始めよ」で「お前自身はどうなのか」と聞かれると、大いに困る。才能は50人に1人どころか、なんの取り柄もなく、その上目立った成果もない。それでいて、将棋のB級棋士くらいの年収があったのだから、「宮仕え」のサラリーマンも満更、捨てたものでは無かったのかもしれない。
(注1) この原稿を書いたのは一月下旬ですが、二月に入って藤井四段は、C1級への昇級を決めて五段に、その直後、朝日杯に優勝して六段昇段と賞金750万円を獲得しました。この人は例外中の例外です。
2018年3月1日 記>級会消息