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  • 近頃思うこと(その30)/沢辺栄一@クラス1955

      最近AI(人工知能)が新聞や放送などマスコミで多く取り上げられ話題になっている。

      AIについては良く知らないが、AIは1950年代に米国で生まれ、人間とチェスの対戦をしたり、数学の難問を解いたりし、推論、探索が可能になったが、コンピュータのスピードが遅く、限られた条件の下でしか使用できず、ブームは去ったとのことである。1980~90年代にコンピュータの飛躍的性能向上により、膨大なデータ即ち知識を扱えるようになり、エクスパートシステムとして音声・画像認識やコンピュータを使った機械翻訳も出来るようになって再びブームが訪れたが、知識の維持管理が予想以上に大変で、更に判断には膨大な情報量が必要であり、その上精度も向上せず、再度停滞期が続いたとのことである。2010年代の現在は第3次ブームだと言われている。大量のデータから自動で学習を繰返し、AIが独自に進歩する技術「ディープラーニング」により各種の分野で活用されるようになっているとのことである。
      ネスレ日本はソフトバンクグループの人型ロボット「ペッパー」を接客のアルバイトに替え家電量販店の売り場で使い、売り上げを15%伸ばしているという。IBMが開発したコンピュータ「ワトソン」は企業の経営支援、コールセンターでのカスタマー・サポート、税務サービス、金融コンサルティング、など25種に亙る活用が行われているとのことで、特に医療分野での例として東大病院に入院していた女性患者が「ワトソン」の遺伝情報の解析により特殊なタイプの白血病であることが判明し、医師が抗癌剤を変更したところ症状が治まり、2ヶ月ほどで退院したとのことで、初めてAIが人命を救ったことはニュースでも報じられた。また、将棋界、囲碁界でもトップ棋士にコンピュータが勝ったニュースも耳にしている。裁判や人事考課にもAIが使用されていると聞く。AIで探偵小説が創られたと聞いたが、AIの創った小説、文芸作品を芸術と言うことが出来るのだろうか。
      一方、AIに職を奪われる、AIに何でも任せ怠惰な人間が増える、経済格差が拡大するなど、マイナスの面も多々あるようだ。
      ところで、前回のブログにも記したが、大学時代の特別講義で福田先生が「工学、技術は人間生活を楽にすることである」とおっしゃられた時に、なるほどと技術の位置付けを認識した。学校を卒業して17年後に「コンピュータの学校への活用、音声や画像・映像の学校での活用」に関してのアメリカでの状況を調査する目的でアメリカ各地を訪れた時、後進国からの研究者と思ったのかテキサス大学の教授が私を彼の車に乗せてくれ、テキサス郊外の各所を回って下さった。その際に先生は毎日1時間学校を抜け出してジムに通い、運動をしているとおっしゃられた。私が勤めているところではそんなことは絶対に出来ないが、アメリカの大学の先生は自由に行動できるのに感心した上、自動車社会で身体が楽になったため、自分で運動やマラソンを行い、血液の循環を良くし、酸素を体中に配ることをしないと健康を害するようになったのかと思った。その10年後には日本でも各地にジムが出来、ジョギングをする人が多くなった。福田先生のおっしゃられた人間生活を楽にしたことは良かったのだろうかと感じたことがあった。
      AIによる自動車の自動運転のことをメディアで報じている。2016年5月にアメリカ、カルフォルニア州でチェックのための二人のドライバーが乗っていたアメリカテスラ社のAIによる自動運転の電気自動車が高速道路で左折してきた大型トレーラーと衝突し、二人のドライバーは死亡した事故があった。この事故により各社は自動運転自動車の開発に慎重さが加わり、完成期間を延ばしたとのことである。同乗のドライバーは自動運転を信頼しきって注意をしなかったことは今後の更に進んだAIと人間との未来の関係を示唆しているのではないかと思う。
      人間の人体各部は使っていないと直ぐ退化する傾向にある。上り下りが多い坂道を毎日行っている私の散歩でも1日散歩を行わないとその翌日の上りの坂道には脚が重く感じられる。AIの著しい発達により、AIに任せきりになり、人間の他の動物より優れている脳がAIに頼り思考を止め使わないと、脳の退化が生じ、思考力、危険感、判断力が衰退し、遠い将来のことで大袈裟かもしれないが、人類の滅亡を促進するのではないかと思ったりしている。AIは我々に非常に大きな貢献をするので、色々な面で使用していきたいが、その開発に際して、行って良いAI開発と行ってはならないAI開発とを峻別する必要があるのではないかとも思う。世の中には素晴らしい人間もいることなので、将来、脳の各方面の能力に対するそれぞれの活性化を促す脳の訓練法を考えてくれる人が現れることを願っている。また、2045年にはAIが人間の能力を超えると推定されているようだが、人間は楽な方に行動するのでAIに引っ張られる可能性が強いが、その際も人間がAIに使われずに、AIを召使として駆使していく様、人間の主導性の保持を期待するところである。
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