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  • 昭和の歌と2つの昭和/武田充司@クラス1955

      また年末がやってきた。もう直ぐ年が明けて平成30年がはじまる。ということは昭和が終って30年目の年になるということだ。30年は1世代、「10年ひと昔」ともいうから、昭和も遠くなったのだ。

      「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という中村草田男の句は昭和6年の作だから、そのときには明治が終ってまだ19年しか経っていなかった。それを思うと確かに昭和は遠くなったのだが、昭和7年生まれの僕にとって昭和は遠くなったどころか、まだそこに在るような気がする。
      昭和20年の夏に敗戦を迎えたときには旧制中学1年生で13歳だった。それから43年余り経って、僕もやがて57歳になろうという1989年1月7日に昭和が終った。この長い戦後の昭和は僕ら昭和一桁の人間にとって「人生真っ只中の時代」だった。
      もうだいぶ前だが、夜のNHKテレビで「金曜イチから、世代を超えて愛される昭和の歌」とかいう番組を見た。そこで話題になっていた歌は戦後の歌謡曲だった。サザンオールスターズの「いとしのエリー」とか、懐かしい昔のヒット曲をいくつも思い出させてくれた。いま、そういう古い歌の良さが見直され、静かなブームになっているとか。それはきっとあの時代が生み出したエネルギーの魅力なのだろう。
      しかし、それは僕の体にしみついた昭和の懐かしい歌とは少し違う。そのときふと思ったのだが、「昭和は2つあったのだ」ということだ。戦前の昭和と戦後の昭和と。戦後の昭和は「新昭和」で、それまでの昭和は「旧昭和」とでも言ったらいいのか。そして、僕にとっての「懐かしい昭和」とは昭和20年以前の「旧昭和」なのだと思った。
      「懐かしの昭和歌謡曲集」なんていうタイトルを見ると、小唄勝太郎の「島の娘」や東海林太郎の「赤城の子守唄」、そして、霧島昇の「旅の夜風」や「誰か故郷を想わざる」などを思い出してしまうような旧昭和世代はもう殆どいない。東海林太郎を「ショウジタロウ」と読めない人や、小唄勝太郎を男だと早合点する人も多くなってきた今では、戦後の「新昭和」こそが「懐かしい昭和」なのかも知れない。
      勝太郎の「島の娘」は昭和7年の大晦日に初放送されたそうだが、その年に生まれていたゼロ歳児の僕は、ひょっとすると、ラジオから流れる勝太郎のあの艶のある歌声をききながら、すやすやと眠っていたのかもしれない。満州事変は既にその前年にはじまっていた。それから13年、あの大破局までの「旧昭和」は酷い時代だった。そんな時代に生まれた旧昭和の懐かしい歌謡曲は、僕らの両親たちの世代のものでもある。
    (2017年12月 記)
    2 Comments »
    1. 全く同感、4年余計に生きている小生には感慨一入の一文です。新昭和と旧昭和。昨年この欄にご紹介した九段の昭和館は7階が旧昭和、6階が新昭和の展示でした。本来なら年号を変えるべきところでしょう。三味線にのった勝太郎の歌を蓄音機のねじを巻きながらSPで聞いたのを思い出します。

      コメント by サイトウ — 2017年12月18日 @ 13:30

    2.  サイトウさんのような人生の先輩に共感していただいて、うれしいです。僕がこんな風に感じ、考えるようになったのはごく最近のことです。ここ数年、急に世の中の見え方や、人の一生への思いが変わったように感じていました。そのような気付きに巡り合ったのも、多少長生きをしたおかげだと思います。人は無駄に歳をとらないものだと、天命に感謝しています。

      コメント by 武田充司 — 2017年12月19日 @ 21:14

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