「昭和ヒトケタ男」/寺山進@クラス1955
記>級会消息 (2017年度, class1955, 消息)
手元に「昭和ヒトケタ男は長生きできない」という一冊の本がある。終活の進行に伴い、蔵書も殆ど整理したが、何となく捨てられずにいた。
著者は昭和2年生まれの水野肇と言う人である。出版されたのが平成二年(1990年)で、もう30年近く昔であるが、昭和一桁生まれの40歳代から50歳代にかけての死亡率が、その前後の世代に比べて明らかに高いという、データを示している。
原因は、成長期の大事な時期に於ける時代環境にあるという。
原因は、成長期の大事な時期に於ける時代環境にあるという。
「長生きできない」と言われても、このブログを読んでいる昭和ヒトケタ男は、既に現に長生きしているので、笑い話ですむ。
ただ著者は、寿命に関してだけでなく、この年代の性格・能力についても容赦していない。
ご自分も昭和一桁に入るのであるが、大正に近いと思っているのだろうか。一桁の後半、つまり昭和6年から9年生まれに対して特に厳しい。
ただ著者は、寿命に関してだけでなく、この年代の性格・能力についても容赦していない。
ご自分も昭和一桁に入るのであるが、大正に近いと思っているのだろうか。一桁の後半、つまり昭和6年から9年生まれに対して特に厳しい。
昭和ヒトケタ男の欠点を列挙しているので、その内の幾つかを拾い上げてみる。
「上に従順、部下の管理が出来ない」「表現力が無い」「人を見る目が無い」「確固たる信念が無い」「創造性が無い」「マクロ的にモノが見られない」「論理思考に弱い」「飽きっぽい、諦めが早い」「努力しない」「小心翼々」「ピンチに弱い」・・・
こういう調子で、なんと五十項目にもわたるのだが、すべて時代のせいにしている。「ろくな教育を受けていない」その上「お国の為にすぐ死ね」と言われながら、「誰が努力するというのか、じっくり考えたりするものか・・」と、誠に尤もな言い分を並べている。
この「水野説:昭和一桁50の欠陥」は、社会人として落第、特に「指導者」としては全く不適格という項目の羅列である。
情けない事に私自身は、殆ど全てに当てはまってしまうが、同年代全部が該当するとなると問題である。
情けない事に私自身は、殆ど全てに当てはまってしまうが、同年代全部が該当するとなると問題である。
そこで何か実例があるか考えてみた。といって本気になって論文を書くわけでもないので、手軽に調べられる「総理大臣の生まれ年」を取り上げた。
大臣が偉いと思っている訳でもないが、何てったって日本のリーダーなのである。
大臣が偉いと思っている訳でもないが、何てったって日本のリーダーなのである。
初代伊藤博文以下幕末、明治と順調に進み、初めて大正が出て来るのが「田中角栄・大正7」である。次に三木・福田・大平・鈴木と明治が続いて中曽根になる。以下現総理迄、ただ生まれた年だけを列挙してみる。
「中曽根康弘・大正7」「竹下登・大正13」「宇野宗佑・大正11」
「海部俊樹・昭和6」 「宮澤喜一・大8」「細川護熙・昭和13」
「羽田孜・昭和10」「村山富市・大正13」「橋本龍太郎・昭和12」
「小渕恵三・昭和12」「森喜朗・昭和12」「小泉純一郎・昭和17」
「安倍晋三・昭和29」「福田康夫・昭和11」「麻生太郎・昭和15」
「安倍晋三・昭和29」「福田康夫・昭和11」「麻生太郎・昭和15」
「鳩山由紀夫・昭和22」「管直人・昭和21」「野田佳彦・昭和32」
「安倍晋三・昭和29」
正直な話、この結果を見て愕然としてしまった。海部俊樹一人を除いて、昭和一桁は見事にスルーされている。大正二桁から二往復して、昭和二桁に飛び移っている感じである。
その海部総理は、寧ろ「水野説:50の欠陥」に当てはまっているようにも見える。しかし一寸調べてみると、当時全盛を誇った「竹下派」に自派から総理を出せない事情が生じ、「操り人形的総理」に祭り上げられた事が分かる。却って「水野説」の補強材料になっている。
この時の実質総理は、今や見る影もない位に落ちぶれてしまった、若き日の「小沢一郎自民党幹事長・昭和17」と言えるだろう。小沢さんは海部さんの次の総理を選ぶのに、宮沢さん(大正8)、渡辺美智雄さん(大正12)、三塚博さん(昭和2)の大先輩3人を、幹事長室に呼びつけて面接試験を行い、宮沢さんを選んだ。小沢さんは或る意味、総理より偉い「キング・メーカー」でもあった。
こんな具合に、水野理論を認めてしまっては、何とも情けない。先行き短くなったこの年代の、之までの人生を否定してしまう。この原稿は、むしろ投稿しない方が良いのではないか。
そう思っていたところ、武田兄が、私の前回のブログへのコメントの中で「黄金の世代」論を紹介してくれた。これは心強い理論である。何としても立証しなくてはならない。これが私の次のブログのテーマになった。
級友諸兄の知恵・アドバイスを切にお願いしたい。
2017年9月16日 記>級会消息
大変興味深く拝見。水野肇さんの著はその昔彼の初期著作の「夫と妻の老年学」を読みまだ書棚に乗っています。ここにヒトケタ男の欠点が載っていますが、それよりも私が感心したのは、その欠点を検証するのに歴代の総理の生まれ年を調べられた貴兄の発想です。これを拝見すると「表現力が無い」「創造性が無い」「マクロ的にモノが見られない」「論理思考に弱い」などの水野さんの表現がおかしく、疑問に思えます。感服。小生は昭和3年生まれでその4年間の違いはかなり大きいと思います。三八銃を担いで野山を走る教練をさせられたのですから。しかし振り返ってみるとやはり昭和ヒトケタ世代は空襲を逃げ、食べるものもない不自由な時代からスマホの時代まであらゆる経験をした時代でした。やはり人間は経験だけがたより。黄金時代よりもさらに上の経験を経て終焉に至るように思うのですが。でもこれからの若者も多分もっと大変な時代でしょうネ。
コメント by サイトウ — 2017年9月17日 @ 10:26
寺山兄の課題提起はタイムリーでした。3連休とテレビで見たのでカレンダーを見たら今日は敬老の日でした。電車に乗ってもスマホに熱中している人達は席を譲ってくれません。時々席を譲って下さる女性方は、多分両親が私達の年齢だと思います。
さて、列挙された昭和ヒトケタ男の欠点は、その気になって反省すれば、年代に関わらず多くの人々に共通するもので、その差は僅かであると思います。すべての人間のDNAの差は2%、ショウジョウバエと人間の差は10%だという講演を聞いたことがあります。やはり人間は経験だけがたよりという斉藤兄の意見には賛成です。戦中、戦後の正反対の経験を持ち、この歳まで生きながらえた昭和ヒトケタ男は、貴重な存在だと思います。私は、某新聞の声欄に90才を過ぎた方々が、人生の最後にあたり戦時中経験した真実を投稿されているのを読み、これこそ重要な記録であり、貴重な文化遺産であると思います。
コメント by 大橋康隆 — 2017年9月18日 @ 13:35
敬愛する斉藤・大橋両兄から示唆に富むご意見を頂きました。誠に正論であり、反論の余地はありません。本当にありがとうございます。
それでも「水野説50の欠点」は、自分自身に云われているように思えてなりません。
ブログ本文に書いた項目以外にも、「妻の考えが分からない」「子供の教育ができない」「美的センスに欠ける」「感受性が鈍い」・・・等々読んでいて嫌になる位です。
この本を今まで処分出来なかったのも分かる気もしますが、今回思い切って捨てる方に分類する事にしました。
コメント by 寺山進 — 2017年9月27日 @ 09:41