路面電車 異聞/小林凱@クラス1955
記>級会消息 (2017年度, class1955, 消息)
齋藤さんのブログは何時も楽しんで拝見して居ます。特に世界各地を旅された経験を軽妙な語り口で述べられるのは、読者も其処へ行った様な気分にさせて呉れます。その中で若し自分も旅した事のある処では、もう一度思い出させて呉れるだけでなく、更に新しい見聞も加わって楽しいものです。
先回の路面電車のお話も楽しく拝見しましたが、とくに後編(トラム)には世界各地の街が登場して、これは私がかって仕事で回っていた処も多く大変懐かしく思いました。ただその時期は1960年代から70年代が多く、ほとんど半世紀という時間が過ぎて居ました。
それで早速コメントと思ったのですが直ぐには昔の記憶が戻りません。何かゆっくりした化学反応みたいで、少し時間が過ぎると四散していた記憶の断片が脳内に滲み出て、そして少しずつ記憶の中で繋がって来ます。
このブログもその様に齋藤さんのブログに刺激されて記憶が出て来た結果です。本来ならすぐコメントとして出すものでしょうが、中身を出すのに時間が掛りすぎました。また古い写真も出て来たので、改めてブログに投稿させて頂きました。
それで早速コメントと思ったのですが直ぐには昔の記憶が戻りません。何かゆっくりした化学反応みたいで、少し時間が過ぎると四散していた記憶の断片が脳内に滲み出て、そして少しずつ記憶の中で繋がって来ます。
このブログもその様に齋藤さんのブログに刺激されて記憶が出て来た結果です。本来ならすぐコメントとして出すものでしょうが、中身を出すのに時間が掛りすぎました。また古い写真も出て来たので、改めてブログに投稿させて頂きました。
先に齋藤さんが優雅な時を過ごされたニューオリンズ(米)へは、私も1970年6月に行った事があります。5月末からサンフランシスコへ行って居ましたが、急な話でニューオリンズへ往復することになりました。短い数日間の訪問でしたしそれから半世紀近い時間が過ぎて居ました。それなのに何故此処かと申せば、ニューオリンズは興味多い場所なのに短期間で時間が無くて不本意だった事もあるからでしょう。それに齋藤さんの記事を拝見していてあれと思った事があったので少し調べて見ました。
私の注意を引いたポイントですが、私は当地の滞在中に路面電車に乗った記憶が無かったからです。ニューオリンズの中心通りと言えばカナルストリートですが、そこでも見た記憶が無いのです。この為私は齋藤さんのブログを読んでいて、何か時間軸が逆に回転した様な錯覚を持ちました。私が此処を訪ねたのは47年前、そして齋藤さんがバーボンストリートで優雅な滞在をされたのが更にその前である事は先ず無かろうと思ったからです。
これは少し調べて見たら私の短慮な先入観によることがすぐ判りました。これは日本もそうですが、米国でも自動車により路面電車が消えて行くという現象は非可逆的と思い込んでいた結果です。ところがニューオリンズでは路面電車の復活再生が近年壮大な規模で行われていました。
これで私の疑問への答えは出たのですが、その過程でまた興味ある話も出て来ました。
私の注意を引いたポイントですが、私は当地の滞在中に路面電車に乗った記憶が無かったからです。ニューオリンズの中心通りと言えばカナルストリートですが、そこでも見た記憶が無いのです。この為私は齋藤さんのブログを読んでいて、何か時間軸が逆に回転した様な錯覚を持ちました。私が此処を訪ねたのは47年前、そして齋藤さんがバーボンストリートで優雅な滞在をされたのが更にその前である事は先ず無かろうと思ったからです。
これは少し調べて見たら私の短慮な先入観によることがすぐ判りました。これは日本もそうですが、米国でも自動車により路面電車が消えて行くという現象は非可逆的と思い込んでいた結果です。ところがニューオリンズでは路面電車の復活再生が近年壮大な規模で行われていました。
これで私の疑問への答えは出たのですが、その過程でまた興味ある話も出て来ました。
サンフランシスコからのフライトがニューオリンズに向け高度を下げていくと、広大なデルタが拡がりそこをミシシッピ川が蛇行していました。滞在中の宿は市内のビジネス地区にあるシェラトン・チャールスというホテルでした。私は川沿いの工業地区にも用事があったので、宿の場所にあれこれ申す自由はありません。6月の当地は太陽が真上からぎらぎらと照り付ける季節でした。
ここでニューオリンズをご存じない方に当地の地理を少しだけ紹介しておきます。これが無いと齋藤さんと私だけの話になって仕舞います。幸い1970年当時の地図が出て来たので、その写真を入れて置きました。 |
Fig.1
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下部がミシシッピ川(青マーク)でそこから上に町を二分する形で伸びているのが目抜き通りのカナルストリート(Canal Street 黄色マーク)、その左手がビジネス地区で其処にSt.Charles通りがあるので私の宿はこの辺りかと推察して居ます。右手の薄赤の区画でVieux Carre`(歴史の区画)と表示されているのがフレンチクヲーター(French Quarter)です。これをほぼ真ん中で横断しているのが有名なバーボンストリート(Bourbon Street 橙色マーク)で、齋藤さんはこの歴史地区にご滞在との話を羨ましく拝見しました。なおジャズフアンの聖地プレザベーションホール(Preservation Hall)はほぼその中央辺りです。
(Fig.1)
(Fig.1)
そこで本題の路面電車ですが、19世紀後半から20世紀中ごろにかけて当地でも大きな路線ネットワークが形成されています。大通りのカナルストリート線は1861年に開通しました。しかしニューオリンズの電車も他の米国都市と同様、20世紀前半に最大規模に達して後、路線は順次縮小していきます。
カナルストリート線も開通してほぼ1世紀後の1964年に廃線となりました。従って私が此処を訪ねたのは廃線後間もない悪い時期に当ります。この時のカナルストリートで撮った写真がありますからご覧下さい。この辺りはその後随分変わっただろうと想像して居ます。(Fig.2) |
Fig.2
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ところがその後電車の復活を希望する市民の強い願いが実現し、廃止後40年を経た2004年にこの大通りにも電車路線が復活しました。齋藤さんの滞在はその後であったかと推察しています。また復活に際してこの路線を市内交通の中核にしていく構想が練られ、元々幅広い通りですからミニリングを構成し、其処から外に向かって路線が伸びて行く様に計画されたとありました。齋藤さんが優雅な夕食に出かけたのも、こうした路線を利用されたのかとの想像です。
そしてこの町の路面電車を見て行くと、かってフレンチクヲーターを斜めに横断する路線がありその名がDesire Line(欲望線)であったことが判りました。これを始めに見た時は話が出来すぎていると思いました。それはニューオリンズを舞台にした名作と言えば、皆さんご存知の劇作家テネシー ウイリアムスの代表作「欲望という名の電車」(A Street Car named Desire)だからです。この作品が出来た過程には色んな歴史やエピソードがあったと思いますが、これはそちらに詳しい方にお任せして私は路面電車のお話です。
この作品はブロードウエイでヒットしまた映画化もされています。その監督がエリア カザン、主演はマーロン ブランドとヴィヴィアン リーで本邦でも上映されていますからご覧になった方もあると思います。またこの映画が作られたのは1951年、丁度私たちが駒場へ入学した年でもありました。
処でこの映画はDVDなどで見る事が出来ますが、他にトレーラーも作られています。ムービートレーラー(Trailer)とは、映画を見に行ったら次週上映予告などの短いフイルムが上映されるあれです。話の触りをちょっと見せたり違うシーンを入れたり、要はお客が関心持てば良い訳で本作品とは別物で、本番前に映画館に配布された無償映画です。66年前の話ですが、その幾つかは今も見れます。そこでは若い頃のMarlon BrandoやVivien Leighが見れますが、ニューオリンズの路面電車も出て来ます。
尚Netではこれ以外に色んな動画が出て来ますが、それに就いてのコメントはありません。
この作品はブロードウエイでヒットしまた映画化もされています。その監督がエリア カザン、主演はマーロン ブランドとヴィヴィアン リーで本邦でも上映されていますからご覧になった方もあると思います。またこの映画が作られたのは1951年、丁度私たちが駒場へ入学した年でもありました。
処でこの映画はDVDなどで見る事が出来ますが、他にトレーラーも作られています。ムービートレーラー(Trailer)とは、映画を見に行ったら次週上映予告などの短いフイルムが上映されるあれです。話の触りをちょっと見せたり違うシーンを入れたり、要はお客が関心持てば良い訳で本作品とは別物で、本番前に映画館に配布された無償映画です。66年前の話ですが、その幾つかは今も見れます。そこでは若い頃のMarlon BrandoやVivien Leighが見れますが、ニューオリンズの路面電車も出て来ます。
尚Netではこれ以外に色んな動画が出て来ますが、それに就いてのコメントはありません。
さて私の当地滞在はすぐ終わって西海岸へ戻る事になりました。この間何も見る機会がありませんでしたが、幸い仕事が終わったのが金曜日の午後で、週内に移動すれば良いとして土曜日に当地見物を駆け足で行いました。
米国にはGray Lineという観光バスがあって、難しい事を言わなければ手近な見物に便利です。ここは色んなツアーを「観光部品」の様に出していて、客は時間と好みに合わせた組み合わせを購入します。具体的に申しますと、私の場合(1)Histric Vieux Carre`(フレンチクオータ―即ち市内見物)と(2)Old Homes,Gardens(これは少し郊外を廻りプランテーションの館や庭園などを見るコース)を組み合わせました。
米国にはGray Lineという観光バスがあって、難しい事を言わなければ手近な見物に便利です。ここは色んなツアーを「観光部品」の様に出していて、客は時間と好みに合わせた組み合わせを購入します。具体的に申しますと、私の場合(1)Histric Vieux Carre`(フレンチクオータ―即ち市内見物)と(2)Old Homes,Gardens(これは少し郊外を廻りプランテーションの館や庭園などを見るコース)を組み合わせました。
こうして慌ただしく見物した後、荷物を取って空港に駆けつけ、6月13日17:15発の便でサンフランシスコへ帰りました。
当時私はまたこの町に来る機会もあろうと思って居ましたが、それはありませんでした。その数年後の1973年から77年に掛けて米国に駐在したのですがこの間もありませんでした。それが今回齋藤さんのブログから仮想空間で旅した様な気分で、私も結構楽しませて頂きました。
当時私はまたこの町に来る機会もあろうと思って居ましたが、それはありませんでした。その数年後の1973年から77年に掛けて米国に駐在したのですがこの間もありませんでした。それが今回齋藤さんのブログから仮想空間で旅した様な気分で、私も結構楽しませて頂きました。
(参考資料)Wikipedia「A Streetcar named Desire」、他にNetでの細かな検索。
2017年6月1日 記>級会消息
小生の拙文を楽しんでいただきありがとうございました。貴兄のお話で改めてなるほどと街の様子を知った次第です。私が彼の地に行きましたのは1996年8月でした。当地で行われたSIGGRAPHの大会に家内と一緒に出席。4晩Crown Plaza Hotelに泊まり、プレザーベーションホールやミシシッピープランテーションクルーズ、水族館などを遊びました。ご説ではカナルストリートの路面電車は廃止後2004年に復活とありますので、もしかすると私が電車に乗った場所の記憶違いだったのでしょうか。あそこはフランス系のプランテーションでbayouと呼ばれる沼地の多いミシシッピの河口デルタ地。アメリカのなかでも社会的、地理的に特異な街でした。「欲望」のほかディズニーアニメの「カリブの海賊」の舞台にもなっています。前からやってみたいと思っていたポンチャトレイン湖の橋をドライブしましたが、その長さにはうんざりとしたものです。手元に写真もありますので一度貴兄の写真も拝見させて頂きながらニューオリンズ談義をしたいですネ。
コメント by サイトウ — 2017年6月1日 @ 10:56
斉藤さん、
早速のコメント頂き有難うございます。併せて私の調査不十分をお詫びいたします。
1996年にも営業を続けていた路面電車があります。具体的にはSt.Charles Lineに乗車されたのでは推察致します、この線は市内カナルストリートの左側辺りを起点として、左上の方向に市街を抜け郊外を走ります。1835年開業し他の路線が閉鎖後も走って居りました。駅の数も多く、路線の感じが斉藤さんの記述に会う様に感じました。
ご滞在時に運航していた線には他にRiverFront Line(1988年開業)がありますがミシシッピ川沿いで路線の感じが違う様です。現在中核線のCanal Street Lineは2004年開業で、斉藤さんのご滞在後ですからあの町もその後大きく変わった事になりますし私は更に古いです。
他の街にも懐かしい路線がありまして(例えばチューリッヒのバーンホフシュトラッセ)また色んな所のお話を聞かせて頂ければ幸いです。
コメント by 小林 凱 — 2017年6月2日 @ 08:03