ターボルの思い出/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2016年度, class1955, 消息)
2005年8月7日朝9時半にプラハ本駅を出発し、列車で南下して1時間半
後にターボル駅に到着した。駅の近くに予約していたホテルに大きなリュッ
後にターボル駅に到着した。駅の近くに予約していたホテルに大きなリュッ
クを預け、一休みして昼食も済ますと正午になった。予定では半日観光であったが、見所の多い街なので、翌日ゆっくり観光することに急遽予定を変更した。
再びターボル駅に引き返して、往復切符を購入して、列車で40分北上してベネショフ駅で下車した。コノビシュチェ通りは、最初線路に沿った賑やかな雰囲気であったが、西に曲がると鬱蒼とした森の中の山道となり、やがてコノビシュチェ城が現れた。(写真1)城内には、狩猟の獲物の剥製や、刀剣や銃器が展示されていた。城の塔の2階の窓辺で数人の演奏家が楽器を演奏していたのが印象的だった。すっかり堪能して気が付いたら今まで一緒だった観光客の姿が見えない。慌てて森の山道を大急ぎで降りたが、随分歩いた気持がした。森を抜けたところで、少し左折すれば人造湖があった。そこから素晴らしい城の全景が眺められることを、翌日、絵葉書を購入してから発見して残念な事をした。列車の本数が少ないので、無事夕方にターボルに帰着することを優先してしまった。
8月8日朝早くホテルを出発して西に15分位歩いて旧市街に到着した。先ずは中心部のジシカ広場を訪れ、市庁舎を眺めたが、内部はフス運動博物館になっている。(写真2) 次いで、旧市街の南西端にあるコトノフ城 (写真3)を訪れ、城の塔に登って市街を遠望した。(写真4) 珍しくプラハに在住する日本人一家に出会った。両親と3人のお嬢さん達であった。、長女のお嬢さんは、中学生までは、現地の日本人学校に通っていたが、高校生になったので、現地の高等学校で学んでおり、帰国後の事を心配しておられた。私の友人のお嬢さん達は、同じ環境で教育を受け帰国後も立派な会社に就職して、幸せな結婚生活を送っていますよと話したら、大変喜んでいた。
再び、ジシカ広場に戻り、キリストの変容教会(写真5)を訪れ、塔に登って旧市街を展望した。(写真6)(写真7)(写真8)コトノフ城の塔よりも更に高いので、パノラマの風景は視角が異なり珍しい写真をゆっくり撮影できた。ターボルは、15世紀に宗教改革のフス運動の拠点であり、防御のために街の路地は迷路のように曲りくねっている。夕刻までには十分な時間があり、再びコトノフ城を通過して、ルズニツェ川の橋から旧市街の写真を撮影した。(写真9)
8月9日朝ターボル駅を列車で出発してチェスキー・クルムロフ駅に向かった。チェスキー・クルムロフに滞在した2日間については、既に2010年2月1日のクラスブログ「チェスキー・クルムロフ城」に掲載されています。
2016年5月1日 記>級会消息