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  • プラハの思い出/大橋康隆@クラス1955

     2005年8月1日、ウィーン経由でプラハ空港に17時50分到着した。
    相乗りタクシーを利用して、プラハ東北部にある長距離バスターミナルの

    近くにあるホテルに向かった。相乗りした外国人カップルは、プラハ中心部のホテルで先に降りた。
     8月2日の早朝にホテルを出発して、今回旅行の最大目標であるプラハ城に歩いて向かった。  旧市街を通り抜け、市民会館(写真1) 火薬塔(写真2) ティーン教会(写真3) 天文時計(写真4) を眺めて、カレル橋を渡ってプラハ城を訪れた。(写真5)
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    写真1 市民会館
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    $00A0写真2 火薬塔
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    $00A0写真3 ティーン教会
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    写真4 天文時計$00A0
     プラハ城の聖ヴィート大聖堂からプラハ市街を一望すると素晴らしい。
    (写真6) 大聖堂のステンドグラスは見事で、ムハの作品もある。プラハ城の東部には、様々な色の小さな家が並んだ黄金小路があり、青色のカフカの家がある。正午にはプラハ城正門で衛兵の交代式があり、写真撮影をした。(写真7)
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    写真5 プラハ城$00A0
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    $00A0写真6 プラハ市街
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    写真7 衛兵交代式$00A0
    $00A0プラハ城の衛兵の交代式を堪能してから、西方の丘にあるストラホフ修道院を訪れた。(写真8)現在は民族文学博物館になっているが、「哲学の間」や「神学の間」と呼ばれる図書室には圧倒された。書棚に収納された蔵書の多さ、天井のフレスコ画、地球儀、天球儀を眺めていると、中世に生きた人達の偉大さが、時間の経過を超越して、はっきりと蘇ってくる。
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    $00A0写真8 修道院
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    写真9 百塔の街$00A0
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    $00A0写真10 プラハ城
     再び、カレル橋を渡り、橋のたもとにある橋塔に登り四方を眺めた。プラハは百塔の街と言われる所以が良く判った。(写真9) 更に、カレル橋から東北に進み、旧ユダヤ人墓地を訪れた。墓地の出口近くにある儀式の家には、ユダヤの伝統や生活習慣について展示されている。儀式の家は、建物として絵画になる美しさが漂っている。
    $00A08月3日は、列車でカルルシュテイン城を訪れたが、既にクラスブログに掲載されているので参照されたい。(注1)
    $00A08月4日は、午前中に、天文時計のある旧市庁舎塔に登り、プラハのパノラマ写真を撮影した。東方には、ティーン教会(写真3)、石の鐘の家、ゴルツ・キンスキー宮殿、が並び、北方には聖ミクラーシュ教会が見降ろされる。西方にはプラハ城やストラホフ修道院、南方には新市街が眺められる。 午後は、ヴルダヴァ川を観光船で、カレル橋からチェシュフ橋まで往復して、両岸の風景を撮影した。(写真10)はマーネス橋の近くから撮影したプラハ城である。
     8月5日は、カルロヴィー、8月6日はクトナホラーを訪れたが、次回に投稿したい。結局、8月1日~6日までプラハに滞在して、近傍の観光地を訪れることが出来て、充実した日々を満喫した。
    注1:クラスブログ2010-03-11「カルルシュテイン城」
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