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  • 西遊記/齋藤嘉博@クラス1955

    あけましておめでとうございます。今年もこの稿で皆様への年賀とさせていただき、皆様のご健康とご多幸をお祈りもうしあげます。

    昨年暮れに三種の西遊記を読みました。

       一つは岩波文庫の全10巻。呉承恩が16世紀に書いたものの翻訳です。これには旧版(小野忍訳)と新版(中野美代子訳)がありますが、各回(回は一般の書物の章とおなじです)に沢山出てくる漢詩の訳には旧版のほうに中国古書のムードが感じられ、私には好感でした。もう一つは平岩弓枝著の上下二巻。かつて毎日新聞に掲載された小説で、文庫に比べて悟空の生い立ちや、各章に書かれている漢詩などが大幅に省略されていますが、三蔵の取経の旅と冒険を中心に菩薩や三蔵、悟空の気持ちをしっかりと書いて読みやすい本になっています。それに講談社の絵本“孫悟空”。
    孫悟空(15%).jpg
    昔懐かしい絵本(国会図書館で閲覧)
       西遊記と言えば中国の四大奇書の一。石から生まれた猿が妖術を得て、天竺国に経文を頂きに行く三蔵法師に孫悟空としてお供をし、途中に現れる悪鬼、妖怪と戦い、それらをこらしめて三蔵法師の取教を達成させると言う痛快なお話しは、子供のころだれでもが絵本や少年文庫などで読んだでしょう。今でも講談社の絵本を喜んで見た頃の様子を想い出します。

    しかし私が正本の全文を読んだのは今回が初めて。子供のころの印象と今80才を超して読む悟空とでは全くその受け取りが違うのも当然でしょうが、今回読んでこの書は慈悲と愛の大乗仏教の教えを説いた素晴らしい小説だったのだと分かったのでした。

     三蔵の一行が取経の道々沢山の妖怪に出会って難儀をするのはご承知の通り。そしてそのたびに孫悟空が如意棒を振るい、変身の術を弄して化け物たちを退治するのですが、孫悟空とてそれほどの力があるわけでもなく、とても手におえない妖怪が沢山いるのです。たとえば文庫の第四十一~四十三回では火炎山の火雲洞に住む紅孩児という化け物が操るすさまじい火の勢いに、さすがの悟空も目を焼かれて敗北。そんな時に悟空がすることは観音菩薩のところに飛んでいってそのお力におすがりすることでした。観音は悟空に「悪いものでもころしてはならぬヨ」と教えながら三蔵を救い出して紅孩児を捕え、最後には善財童子として彼を弟子になさいます。このあたり悟空と観音の大変面白い対話が続くのですが、菩薩の行動はいつも慈愛に満ちていて、読んでいて大変すがすがしい気持ちになるのでした。悪いことをしても本当に改心して仏に帰依すれば罪状は消滅という仏の心が全篇にあふれています。

    師匠三蔵と三人のお供の間の愛情も全篇いたるところにみられます。 三蔵は時に手に負えなくなる悟空を叱り、呪文を唱えて悟空の頭に付けられた緊箍を締めつけたりします。しかし本心は悟空がかわいくていつも心にかけ、ちょっと帰りが遅いと心から心配するのです。もちろん悟空も常に師匠と仲間の悟浄、八戒のことを心配している様子が細かく書かれています。昔電気の先生方もこうした愛情をもって私たちに接してくださったのだナアと思い出すのでした。

     この書には16世紀に書かれたとは思えないほど現代を見通したような記述があります。筋斗雲はさしずめジェット機を想定したのでしょうし、50GBを超える大容量の記憶装置が耳穴に入るSDチップになるのを予見して如意棒が書かれたようにも思います。なにより現世は妖怪に満ちみちてていますしネ。そして自然保護の思想がすでにここにみられるのです。三蔵一行が車遅国に入った時、 その土地に災いを齎す虎力大仙、鹿力大仙、羊力大仙と術比べをしてこれを退治するのですが、上記三妖怪は緑豊かな山に住んでいた虎、鹿、羊の変身。悪さの源は、自然豊かな彼らの土地、緑山に建てようとしている僧たちの法
    堂伽藍計画に反対するためだったのです。自然破壊を阻止しようと動物は必死に術を学んで王宮に入り権力を得ようとしたもので、結果伽藍の建築は白紙に戻されたのでした。こんな思想がまだ公害のコの字もない16
    世紀に書かれているとは!

     最後にもう一つおまけがありました。平岩版の終章に近く、十万八千里、十四年の旅を終えて天竺国にようやく到達した三蔵一行を迎えた王の公女。悟空は彼女の姿に影がないことに気付いたのです。これは怪しいと詮索すると月の宮殿にいる嫦娥さまが飼っていたウサギがちょっとした嫉妬心で公女に化けたことが分かったのでした。“影のない女”といえば昨年生誕100年で賑わったリヒアルトシュトラウス曲のオペラ。F夫人が貸してくださったそのオペラのDVDを5回も観て難解な話の解釈に悩んだ後でしたから、こんなところに影のない女の話題があったのだと知って大変驚きかつ喜んだのでした。

     このようにして昨年の暮れは閉じました。今年はどんな年になりますやら。諸兄がその設定にご努力を頂いている60年会まで、悟空にあやかってなんとか元気でいられればと思っております。
    1件のコメント »
    1. 年の初めに、とても楽しい、しかも、興味深い考察を伴ったお話を、有難う御座います。西遊記は、たしかに、子供のころに漫画や絵本で親しんだだけで、その印象が基礎となって、今でも、何となくそういうものと思っていました。斎藤さんのお話を読んで、そうか、そうだったのか、と合点した次第です。その前の「般若心経」のお話も大変興味深く読みましたが、若い時から仏教書を多少興味を持って読み漁っていた僕にとって、良い刺激になりました。

      コメント by 武田充司 — 2015年1月2日 @ 13:12

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