ラスベガス/斎藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
久しぶりにラスベガスに行ってみようかと、2月に足を伸ばして米国本土まで飛んでみました。
初めてラスベガスを訪れた1967年にはまだダウンタウンが中心で、ストリップは砂漠の中、マフィアの楽園の街といった感じが残っていました。77年に家族で行った時には子供への規制が非常に厳しくて、通りからレセプションまでに通らなくてはならないカジノの中では、「途中で一切立ち止まらない、子供は横を見てはならない」と入口できつく指示されました。娘たちは軟禁状態でホテルの部屋に閉じ込められ、二人でカジノでルーレットを遊んだことでした。
その後NAB(National Association of Broadcasting)への出席を含めて何回かラスベガスを訪れているのですが、80年代ごろからニューヨーク・ニューヨーク、エクスカリバー、MGM、ヴェネチアン、ルクソールなどテーマパークのような娯楽施設を伴ったホテルが相次いで建てられ、ラスベガスもカジノ、ギャンブルの街から家族連れ歓迎の街へと変貌していきました。カジノで稼ぐから部屋代はタダでもいいといった趣旨で、昔は低料金だったホテルのルームチャージもこうした変貌に伴って高騰。その代わりにホテルの大がかりなアクロバット、マジック、ジャズといったショー、エンターテインメントが盛んになり楽しみは増えました。ダウンタウンに作られた光のアーケードが話題になったのもこの頃でしょう。前回2003年に行った時にはフォアコーナーに建ったベラジオがホテルの前に大きな池を作り噴水のショーを公開したのが話題でした。
さて今年11年ぶりに行ってみるとマッカラン空港は第3ターミナルまでできる大きなものに変わっていてBaggage Claimには47台のカルーセルがずらり。私のバッグが到着する17番まで歩くのが大変。街の西側を抜けるH15ハイウェイも立派に整備されていましたし、ホテルもフォアコーナーのコスモポリタン、前にゴルフ場だったところにアリアリゾ-ト、ヴェネチアンの北隣りにウィンラスベガスなど近代的な超高層ビルが立ち並んで、フラミンゴの東側に作っている大観覧車も今年中に動く予定。ストリップの歩道もずいぶんその趣が変わりました。
カジノでのルーレット、ブラックジャック、ケーノ、バカラなどの風景は昔のままですが、ディーラーに女性が多くなったかなと感じます。変わったのがスロットマシン。5枚、7枚のディスクが回るという古典的なものも残っていますが、多くは液晶画面で様々なトリックを演出しています。そして昔はジャックポットが出るとジャラジャラと大きな音を立ててコインが流れだし、アテンダントがバケットを持って飛んできてくれたものですが、今はチリチリとベルが小さな音をだすだけ。獲得したコインは最後にクーポン券になって印刷されて出てくる仕掛けです。クーポンはどのマシンでもすぐ使えるので便利ではありますがこれでは楽しみもスリルも半減です。したがって当たりの形も多様化。1ドル掛けて15c、25cが返るといったことも可能になりました。それだけ長く遊べるというわけ。
今回のラスベガスで目に着いたのは中国からの旅行者が多いことでした。景気の好況を反映しているのでしょうか、ホテルも中国歓迎の一色。午ならぬ馬年を祝って大きな馬のデコレーション。桜ならぬ桃の木の装飾が目につきます。産業界、財界は儲かる国へのサービスが第一。首相の靖国神社参拝で米国が不快感をあらわにしたと報道されましが、これも産業界への配慮でしょう。日米同盟は堅固なんてうそぶいていてもいいのかどうか。マスコミの報道から感じられる以上に事態は深刻なのではないかと感じました。ヒト稼ぎしようなんていう資力も気力もあるわけではありませんが、ラスベガスの雰囲気にはなにか独特のものがあるようです。
$00A0 | $00A0 |
$00A0 写真1 | $00A0 写真2 |
写真のコメント
夜は華やかなネオンの街になりますが、こうして眺めるとラスベガスにはまだ砂漠のにおいが残っている感じです。
写真1.$00A0夕方のラスベガス、東方。下はベラジオの噴水池
写真2.$00A0朝のラスベガス、西方、レッドキャニオン方向
$00A0
2014年4月16日 記>級会消息
もう長い間アメリカには行っていないので、最近のラスベガスの変り様を昔の様子を交えながらの手際よい斎藤さんの紹介、なるほど、そうかなどと、ひとり合点しながら、楽しく読みました。
僕が最初にラスベガスに行ったのは、1960年の11月で、ロサンゼルスから友人とレンタカーをして出かけました。フォードのファルコンとかいう当時はまだ珍しい小型車(といっても相当大きいのですが)で、砂漠の1本道を快走してラスベガスに一泊しました。夜は安いシャンペンを飲みながらアイス・ショーを見ましたが、日本人の女性のプロ・スケーターが一人出演していました。名前はもう忘れましたが、エッジを立てて止まるときに飛び散る氷が我々のディナー・テーブルの上まで飛んできたのを思い出します。要するに、かぶりつきで見ていたのですね。翌日は、Death Valleyを通ってロスまで戻って車を返したのですが、これまた快適なドライヴでした。ただし、前夜の安物のシャンペンの飲み過ぎによる二日酔いと頭痛がなければの話なのですが!
今はどうか知りませんが、当時は、夏の暑い時期は、Death Valleyに車で入ることは禁止されていました。しかし、幸い、その閉鎖期間を過ぎていたので、あちこち見分することができました。
コメント by 武田充司 — 2014年4月22日 @ 16:14