グレートプレーンズ/斉藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2012年度, class1955, 消息)
一昨年6月、ロッキー山国立公園を散歩の折、家内がシカゴにまだ行ったことがないというので、それなら急ぐ旅でもなし、この際列車を使おうとアムトラックのカリフォルニアゼファー号、個室寝台を予約しました。
デンバー午後7時10分発、シカゴ到着は翌日の午後2時50分、およそ15時間の予定で一人$600(三食コミ)。ところが4月のミズリー川洪水の影響で列車が遅れ、デンバーを出発したのは夜中の2時半でした。意外に狭い寝台にやっと乗ったものの、列車は調子よく走るかと思うとまたしばらく停車。外を工事用車両が忙しそうに動いていいて、シカゴについたのは14時間遅れの翌日、まだ明けやらぬ午前5時でした。
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$00A0 ミズリー河の氾濫 |
サンフランシスコとシカゴを結ぶこのZEPHYR号の売り物は“ロッキー山渓谷の美しさ”ですが、私はそうした景色よりアメリカの広大なグレートプレーンズを列車で走って実感したいと思ったのでした。トムソーヤーとハックルベリーフィンが遊んだミシシッピ沿いの平原、インガルス一家が丸太で“大草原の小さな家”を作った、隣の家が2マイルも離れたところにあるというのびのびとした大地。このルートはもう50年も昔、国道80号線をグレイハウンドで走ったことはあるのですが一向に記憶がありません。
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$00A0 グレートプレーンズ を走る |
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コロラド州からカンサス、ミズリーを走るグレートプレーンズと呼ばれるあたりはまさにそういった目の届く限り緩やかな起伏が広がる平原でした。しかし小説のようなオオカミの草原ではなく一面のトウモロコシ畑。長さが100m以上もあろうという散水用のパイプが、車のついた枠に支えられて井戸を中心にゆっくりと回っています。これだけのトウモロコシ誰が食べる?米国のトウモロコシ生産量は3億トンあまり。そして日本は世界最大のトウモロコシ輸入国。その大部分が家畜の飼料になるようです。私も夏にはバーベキューで焼いたりコーンフレークを食べたり。こうした大規模な農業の生産形態はフロリダでも他の州でも同じで、今回列車の中からあらためてその広大さに感じ入りました。
それにつけても思われるのが日本の農業。いまTPPが議論されていて、農業関係者からはこの協約に反対の大きな声が上がり、自民党は聖域なき撤廃には反対と言っています。しかし黒船と同じように時の流れ。いずれ近いうちには全ての産品の関税を撤廃する時期がくるでしょう。ハウス栽培、果樹農業など底辺ではずいぶんその生産形態も変わってきているようですが、土地柄生産効率の格差は歴然です。一方もし干ばつ、飢饉といった状況がおこれば自国を犠牲にしてまで輸出をする国なんてないでしょう。最低限の自給はどうしても確保する必要があるのです。
弥生時代からの水稲生産の様子にはいつも疑問がわくのです。「豊葦原千五百秋瑞穂国」と称して狭い国土、それも山間の地が多いところに猫の額ほどの地を作って灌漑をし、稲を作る。棚田とか田ごとの月とか風流ではありますが生産技術としては??稲のルーツは南支那とされて、米の最大輸出国はタイ。この前のタイの洪水でもわかるようにひろい面積が一面の水に浸かってしまう。これこそが稲作にもっとも適した土地なのでしょう。自民党の票田として水田はずっと保護されてきました。遺伝子組替技術ができてから40年経った現在、灌漑設備の不要で陸稲と麦の中間にあるような生産効率のよい新しい穀物、そしてもちろん安全で銀シャリ以上においしい新しい品種のイネ科の植物の開発はできないのでしょうか。新しい食物をつくりだすことはiPS細胞よりも喫緊の研究課題だと思うのですが。
2013年2月6日 記>級会消息
21世紀の新しい技術革新は、バイオだと思います。
遺伝子組み換えに止まらず、最終的には光合成反応の工業化により、食料・エネルギー問題は一気に解決します。まず見届けられない未来の事ですので、勝手なことを言っています。
「豊葦原の千五百秋の瑞穂の國」は何と云っても「天照大御神」の命名で、米は日本文化の中心です。
土地が狭いので「単位面積当たりの収穫高」を高める方向へ、生産技術が繊細かつ高度化したのです。これが工業技術にも受け継がれた訳です。
理屈ではTPPが正しくても、米という「聖域」は死守せよ・・という意見には中々勝てません
コメント by 寺山進 — 2013年2月7日 @ 12:51
「アムトラック」という鉄道会社の名前を見て懐かしく、且つ月日の流れの速さに驚きました。
NECで光通信の開発に従事していた頃、「アムトラック」にプレゼンテーションに行ったことがあります。夜10時頃、ワシントンのホテルに到着して風呂に入り浴衣に着替えて床についたら、三井物産の方から電話がありました。「これからお部屋に伺います。」と言われ、着替える間もなくノックがあり、背広姿の二人の紳士が現れました。当方は浴衣のまま、翌日の打合せが始まり、専門用語などを事細かに質問されました。翌日、プレゼンテーションの最中に質問が続出しましたが、構わず続け、終了後に纏めて質疑応答をしました。後から思うと、浴衣姿の私が、いかにも旅慣れないように見え、三井物産の方は、翌日の心配で良く眠れなかったのではないでしょうか。数年後、一人の方から中近東に転勤したと葉書を頂き恐縮しました。
定年後、1999年に家内とボストンを訪れた際、「アムトラック」に乗り、思い出のニューヘヴンに立ち寄りました。1961年8月の1ケ月間研修を受けたエール大学を訪れ、遥か昔の青春時代を懐かしみました。
農業改革は、TPPの有無に係わらず、農業従事者の高齢化と後継者不足で、緊急に進める必要があります。若い世代の奮起に期待するしかありません。
コメント by 大橋康隆 — 2013年2月8日 @ 23:03