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  • ゴーザウ湖の雷/大橋康隆@クラス1955

     私の記憶に残る最初の落雷の経験は、小学2年生の頃だと思う。二階の教室での授業中に校庭の松の木に落雷した。ピカッと光って大音響がした。


    後で見に行くと大きな松の木が根元近くで黒く焦げて折れていた。地震、雷、火事、親父と言われるが、この経験で雷の恐ろしさを実感した。
     その後、雷の事はすっかり忘れていたが、会社勤務になると、雷の威力に閉口した。雷が落ちる度に、納入した通信装置は大丈夫かと思うようになった。幸い私は局舎に設置される端局装置を担当していたが、マンホールや電信柱に設置される中継装置を担当していた技術者は常に泣かされていた。特に、真空管からトランジスターに変わった当初は、耐電圧が低く雷に弱くなった。更に輸出が増えると、海外の雷は国内の数倍の強度で対策に悩まされた。光ファイバーの時代になると、電磁誘導が無くなり、更に中継距離が伸びて中継装置は不要になった。定年退職後は、雷からすっかり解放されたと思っていたが、2000年にオーストリアを旅行した際、肝をつぶす経験をしたので紹介する。
     2000年7月5日に、大曲兄や小林兄がブログで紹介されたハルシュタットを出発して、バスでゴーザウ村の宿に宿泊した。そこからの眺めは実にゆったりとしていた。(写真1)夕食では当地自慢の野菜スープがあっさりとして美味しく今でも思い出す。こんな山中で魚料理が出て驚いたが、近くの湖や川で釣れるらしい。

    1写真1 ゴーザウ村(20%).jpg 1写真2 前ゴーザウ湖(20%).jpg 1写真3 ロープウエイより(20%).jpg
    (写真1)ゴーザウ村
    (写真2)前ゴーザウ湖
    (写真3)ロープウェイより

     翌朝、バスで少し行くと、前(フォルデラー)ゴーザウ湖に到着した。ここからロープウエイに乗り、湖を見下ろしながらツヴィーゼルアルム(1,470m)に登った。(写真2、3)頂上は広々として、牛がゆったりと歩いており、(写真4)四方のパノラマ風景を眺めていると時間が経つのを忘れてしまう。途中で子供連れの日本人一家とすれ違ったが、「今日は午後の後半から天気が悪くなるので早めに引き揚げた方が良いですよ。」と親切な忠告をして下さった。そこでゾンネルアルムという山小屋レストランで昼食をとり(写真5)急いでロープウエイで下山した。しかし、ここまで来てゴーザウ湖を一周しないで帰ることは出来ない。

    1写真4 頂上の牛(20%).jpg 1写真5 山小屋レストラン(20%).jpg 1写真6 水溜り(20%).jpg
    (写真4)頂上の牛
    (写真5)山小屋レストラン
    (写真6)水溜り

     前ゴーザウ湖の周囲の道はかなり良い。比較的早く半周したので、欲が出て、後(ヒンデラー)ゴーザウ湖まで行くことにした。途中は小道であったが、素晴らしい水溜り(写真6)などがあり、元気が出てようやく後ゴーザウ湖の入口に辿り着いた。(写真7)その時小粒の雨が降り始めた。湖の反対側には山小屋がある。そこまで行きたかったが、親切な日本人一家の忠告を思い出した。急遽引き返すことにしたが、その直後、忽ち天候は一変し、強烈な雨で、登って来た小道は泥水の急流となり、大音響の雷が山中の谷間に響き渡った。

    1写真7 後ゴーザウ湖(20%).jpg 1写真8 雨中の湖(20%).jpg 1写真9 バート・イシュル(20%).jpg
    (写真7)後ゴーザウ湖
    (写真8)雨中の湖
    (写真9)バート・イシュル

     傘は持参していたが、雷が怖くてさすことが出来ない。レインウエアーだけで、家内と二人で転げるように谷間を降りた。(写真8)かなり麓近くまで来ると、大きな木の下で子供連れの外国人家族が数組雨宿りをしていた。しかし私達はバス停まで行き早々と宿に帰った。翌朝、バスでバート・イシュルに行ったが、川は氾濫寸前であった。(写真9) 大急ぎでフランク・ヨーゼフ皇帝お気に入りのカイザーヴィラを見物して、再びバスでザンクト・ヴォルフガンクに向った。

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